第23話 爽やかな君の潮味 ④
「おぉ、勇者よ! よくぞ戻られた!」
ハッと気がつくと、いつものおじいちゃんの国王と、少しリアルな大臣の前で、ぼーっと突っ立っていた。
「そなたは運が良いと見える。」
「先日のそなたは、誰が見ても死んだ状態だったのだが、そなたが死ぬ直前に、鬼であるはずの怪鳥が、そなたに自分の生体エネルギーの核である細胞を植え付けたのだ。」
「そして、自らそなたの聖剣にかかって、光となって城塞都市の上空へと消えていった。」
「あの雲の上の都市には何があるのか。」
「まだ、本国でも調査はされてはおらぬが、不浄と呼ばれる城塞都市が、雲の切れ間から、時折、幻のように見えると言う。」
「わしはまだ、それを見たことはないが、そなたが雲の上から我が国に、垂れ流されるヘドロを浄化してくれたおかげで、雲の上に潜む城塞都市の全貌も明らかになりつつある。」
「汚れきったその都市こそが、鬼を生み出す元凶であり、この世界が必要とされている所以かもしれない。と科学者は見ているようだ。」
「ともかく、よくぞ生きて戻った。」
「そなたの腹を見てみよ。」
「あの鬼は、鬼の核をそなたに植え付けてそなたを守った。」
「あの鬼の残したそなたへの贈り物であろう。」
僕はワイシャツをめくり上げて、先日、自ら切り裂いた腹を見ると、一文字の切れ目が真横に裂けていた。
「ほう、 見事な切腹の跡であるぞ。」
「手を差し込んで見るが良い。」
言われるがままに、切れた腹に手を突っ込むと、腹の中に何もない空間が広がっていた。
「もっと欲しい。もっともっと・・・。」
「そう思う心が鬼を呼び、情念が湧く。」
「もっと、もっと・・・。」
「その情念の根源が、その切れ目からお前の腹に食い込んでいる。」
「お前の腹は、物でも人の気持ちすらも全てを、際限なく飲み込んでいくことができるはずだ。」
「ただし、そなたの心だけはその腹に呑まれてはならない。」
「腹に心が呑まれた時には、もはや誰にもそなたを救うことはできない。」
「全ての世界の魔王として生まれ変わるしかなくなるのだ。」
「そして、必ず駆逐される。」
「勇者よ、決して奢るな。決して自惚れるな。」
「いいか、勇者よ、・・・。うん、まぁ、今のままの清い心を持ち続けておれば、何の問題もないはずだ。」
「 さぁ、グズグズしている暇はないぞ。」
「メルキドンを支配する、ゴーレムとなった鬼の情念を消し去ってくるのだ。」
「さあ、行け勇者よ!」
女神の町への道すがら、国王の言葉を思い返してみる。
〇〇さんは、自分自身がこの世で存在するための、核である情念を僕に埋め込んで、僕を死から救ってくれた。
そして、今日はあんなにも自分を肯定もして、まるで何の不満もないように自分の情念となった恥部を笑い話にして、あっさりとみんなに公言していた。
多分、もう〇〇さんは、容姿のことで自分を責めることも他人を羨むこともないのかもしれない。
情念を失うということは、競争心を失ってしまうことなのかもしれないと思った。
もしそうであるならば、それは〇〇さんにとって、良いことだけではないのではないか?
全能の女神に聞いてみよう。
「左様。」
「怪鳥はそなたを救うために、己の欲望の根源をそなたに託した。」
「怪鳥の持っていた欲望の大きさは、己の腹に手を入れてみれば、その大きさも広がりも測れるであろう。」
「欲望は際限なく溢れ、 広がり続ける宇宙でそのものである。」
「怪鳥が、もしもそなたの知る人間であるのであれば、その者は今、赤子のように全ての事柄に満足しているはずである。」
「しかし、赤子も齢を重ね成長する。そして身の丈に合わない尊大な欲望の自我が芽生えてくる。」
「言わずもがな、お前の友人である人間の欲望の広がりは、そなたの欲望をすっかり呑み込んでも、まだ余りある。」
「今日は赤子であったとしても、明日にはその欲望は異次元よりも広がっておるはずだ。」
「心清き、勇者よ。」
「そなたは幼い。幼すぎるほどだ。」
「何も気にすることはない。全ての者はそなたよりも数千倍大きい欲望をその身に宿しておる。」
「安心して行くが良い!」
「世界は勇者の救いを待っておるのだぞ!」
女神の周りで立ち昇っていた水の壁が、話し終えるのを待っていたかのように四方から勢いよく降り注いだ。
僕は水圧により女神の前に這いつくばり、押しつぶされて地面にめり込みながら意識を失っていった。
目覚めた場所に見覚えがあった。
〇〇さんと戦い、彼女の爪で自ら腹を割いて死にかけた場所だった。
僕は何となく腹に開いた穴の中に手を入れた。
何かが指に当たった。
鏡だ。
スポーツブラもあった。
先日、僕がこの地にぶちまけたものが、異次元の空間に浮かんでいた。
そして、僕が思えばそれらが近寄って僕の手に触れる。
漫画で見たような、可愛いポケットではないが、このグロテスクに横に開いた肉と肉の間の隙間が、僕のポケットになったのだ。
何でも入れられるポケットであったが、何も入れられるものがなかった。
あたりを見回してみると、羽根が僕に見つけて欲しそうに地面に刺さっていた。
『大切なものを置いてきた気がするんだけど・・・』
〇〇さんの言葉が思い出された。
僕はその羽根を取って自分の顔に優しく当てた。
柔らかい羽根から、タオルから放たれていた香りがする。
僕を包み込んでいく彼女の素肌がそこにあるようだった。
僕は彼女との気持ちを確かめるように、腹の裂け目に羽根をサワサワと押し当てて、彼女の愛撫を楽しむようにそっと目を閉じる。
僕は、彼女の柔らかい乳房を思い出しながら、二人の思い出の中に、ゆっくりと彼女の羽根を押し込んでいった。
上空から見下ろした世界では、確かこの森の中に町があるはずであった。
泉に囲まれたその町は崖の上にあった。
どのように行けばよいのか、はるか天空をめがけて登っていかなければならなかった。
かなり険しい登山になる。
出発の時刻と登頂できる時刻のシュミレーションが必要になりそうだった。
ここは国王の言うメルキドンではない。
行く必要はないはずだ。
僕はこの町に行くのを諦めて、森を東北に抜けて色の変わった沼地の奥にある、メルキドンへ向かうことを決めた。
鬱蒼とした森の中で、方向感覚がおかしくなったが、太陽が定位置を動かずに、同じ位置に登り続けている。
そのおかげで影のできる方向も一定であり、木が途切れる場所で方向の修正もすることができた。
手持ち無沙汰な僕は、腹の中に手を差し込んで〇〇さんの緑の服や、〇〇さんのスポーツブラを異次元の世界で握りしめていた。
〇〇さんの分身である、スライムに包み込まれた僕の手は、何とも気持ちが良かった。
未知への探求に対する好奇心は、なぜこんなにも時間が早く回っていくのだろうか。
こんなにも早く沼地へとたどり着いた。
「さぁ、これからどうしようかな。」
あまりにも毒々しい色の沼を、歩いて渡らなければならないのか?
奥地の深い場所では、泳がなくてはならないのか?
覚悟を決めて飛び込もうとした時に、沼の岸辺の背の高い草の茂みに、小舟が浮かんでいるのが目の端に止まった。
危いところだった。
僕がビビって躊躇していなかったら・・・、もう少し早く飛び込んでいたのならば、この舟を見つけることはできなかったであろう。
つづく
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