第53話 紅月ムルシェと導化師アルマ②

「…………姉さんからだ」

「え……アルマさんが……?」


 導化師アルマ……もといマネージャーの姉、四条ルナからの連絡。


「えっと、電話ですかぁ?」

「いや文章だ。これは……ツムリに宛てたメッセージか?」

「え? 私に?」


 チャットで送られてきたのは、端的に主旨だけを綴られたたったの2文。


『社長室にて紅月ムルシェが窮地』

『導化師なら助ける』


 それだけだった。男は首を傾げる。

 実の姉が何を考えているのか理解に苦しんだ。


「ムルシェさんが窮地ってどういう……ってツムリ? そんな急いでどこに……」

「決まってます。社長室に行くんですよぉ」

「お前……状況も分からないのに何しに行くんだ?」


 いつも通りの緩い口調に相反して行動が早すぎる担当タレントについていけず困惑する。

 彼女は今の短文に一体何を見出したというのか。

 すると振り返り答えてくれる。


「分かりますよぉ。少なくとも急がないとってことだけはぁ。アルマさん……ルナさんが私なんかを頼るほどの窮地、社長室のあの人は何しでかすか分かりませんからぁ。間に合わなくなってからじゃ遅いですよねぇ」


 言いながら微笑する。

 安心させるため、彼女なりに余裕の笑みを浮かべているつもりなのかもしれない。

 散々消耗した後だ、もちろん疲弊の色は拭いきれていない。

 それでも彼女は振る舞う。

 心に思い描く理想像を。


「導化師は今――――私しか居ませんからぁ」





 


 紅月ムルシェは見つめる。

 自分のよく知ってる声を持つ、よく知らない人物。


「安心して待ってて。アタシがなんとかするからさ♪」

「…………はい」


 年下の、仲間になって僅か半年過ぎの後輩。

 尊敬し続けてきた先輩、その偽物。

 その小さな背中を目で追うことしかできなかった。


「んんっ……あのぅ、社長さん? 私なんかが物申すなんて恐れ多いことかもですけどぉ、ブイアクトはみーんな私の推しなんですぅ。それを辞めさせるとかぁ……ちょっとありえないんですけどぉ?」

【ツムリ。辞めさせるわけではないよ。ただしばらく休暇を与えるだけだ】

「無期限なら同じことですよねぇ。推しはぁ、オタクの生きる活力なんですよぉ。それを取り上げられちゃうと私ぃ……何するか分かりませんよぉ?」

【……何が言いたいんだ?】


 子供を諌めるように、苛つきながらも大人の対応を見せる灰羽メイ。

 対して静かに怒りを顕にするツムリは要求する。 


「要するにですねぇ、この程度のお願いも許されないならぁ――――私が先に導化師アルマを辞めますぅ。ああ、そうしたらムルシェさんを休止させる理由もなくなりますねぇ?」


 にへらと口元を笑わせながら言う。

 しかし目が笑っていない。

 少女が本気であると悟り、女は迷いながら言葉を端末に打ち込む。


【誰に影響されたのか、随分と可愛げがなくなったものだ…………分かった。ただし活動継続には条件が2つある】

「なんでしょうかぁ? 無理難題だったら即辞めですよぉ?」

【不可能なことではない。だがこれ以上の譲歩もできないことを理解してくれ】


 二人のやりとりを見て、紅月ムルシェは何も口出しできずに居た。

 社長を言い負かす新人に目を奪われる。


(異迷ツムリさん、この子は一体……何なのでしょうか?)


 自分を助けようとしてくれる存在。

 しかしその底知れなさに恐怖すら感じた。


【……まず1つ目、明日までに導化師アルマと紅月ムルシェの二人で配信すること。そこで少しでも危険行動が見られれば許可できない】


 1つ目の条件を聞き、ツムリはムルシェの方を見る。

 できそうか? そう問われている気がしたムルシェは小さく頷いた。


「おーけーですぅ。それでもう一つはぁ?」


 この程度の要求ならクリアできそうだ、と安心しかける。

 その甘い考えはすぐに砕け散った。


【もう一つは……今後紅月ムルシェは彼女が復帰するまで導化師アルマの名を呼ぶことを禁止する。もちろん明日の配信もだ】

「なぁっ……!?」


 少女が保ってきたなけなしの余裕を崩される。

 企業系VTuberにとって同じ箱内のメンバーとの関わりは最早日常。

 それを唐突に名前すら言わなくなればいずれ気付かれるだろう。

 不信に思われ、不仲を疑われ、あらぬ噂が立つことは容易に想像できた。


「そんなの無理に決まってぇ! ……? ムルシェさん?」


 即刻突っぱねようとツムリが声を上げようとしたそのとき、ムルシェは前に出た。


「……チャンスをくれてありがとうございます。それで大丈夫なのです」

【ああ。理解してくれてありがとう】


 落ち着いた声で要求を受け入れる。

 難しい条件であることは理解していた。

 しかし、それらは全て自分で解決できるものだったから。


「本当に……大丈夫ですかぁ?」

「はい。ツムリさんもムルのために頑張ってくれてありがとうなのです」


 それ以上、後輩に頼ってばかりの先輩で居たくなかった。

 自分の知ってる先輩は、そんな情けない姿を見せてこなかったから。







「コラボ配信で名前を呼ぶな? それはまた……無茶苦茶だな」


 社長室に乗り込んだ結果をマネージャーに報告する。

 紅月ムルシェが活動継続するための条件。

 それは今後導化師アルマの名を呼ばないこと、さらに明日までにコラボ配信をすること。


「大丈夫でしょうかぁ。ただでさえ導化師アルマの現状を知って動揺してる状態でコラボなんかしてぇ……」

「明日までとなると流石に不安だな……まさかこんな形で巻き込んでしまうとは……」


 自分の姉の身勝手な行動が、自分達の行いが、それを知ってしまっただけの人間に実害を及ぼしてしまっている。

 男はまたも申し訳無さに苛まれる。


「うだうだ言っても仕方ない。こちらもできる限りの準備はしよう」

「ですねぇ。けど今から何かできることってありますかぁ?」

「そうだな……できれば台本まで用意したいところだが、最大のネックになる呼び名だけはなんとかしないとな」


 導化師アルマとして彼女を助ける。

 そう誓ったからにはどんなに厳しい条件でもクリアしなければならない。

 その少女の思いに応え、マネージャーは知恵を貸す。


「明日は導化師アルマの2つ目の顔を使おう」

「2つ目の……顔?」


 察しの悪い少女に男は説明する。

 そうして明日の試練に向けた作戦会議は夜更けまで続いた。

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