第10話 新たなる始まり

 翌朝。


 俺は自分に与えられた地下室で目を覚ました。立ち上がって伸びをする。脳裏に浮かぶのは昨夜のこと。全てが夢だったのではないかと思いそうになるが、胸元に刻み込まれたキスマークがそれを否定している。


 屋敷は朝から騒がしく、地下室までも噂話の声なんかが聞こえてくる。まあ当然だろう。お嬢様がメイドに攫われかけたのだから。


 階段を上り、すぐそこに噂好きのメイドがたむろしていた。声をかける。


「お姉さんがた。今はどんな感じか知ってるか?」


 彼女らは話したくてウズウズしていたようでみな一斉に口を開いて喋り出す。


「伯爵様がお帰りになられて――」

「――昨夜の刺客は伯爵様の手先って話も――」

「新しく養女を迎えるとか――」

「――リリムお嬢様は急にご婚姻が決まって――」

「遠い田舎に送られて――」

「――体のいい厄介払いってことなのかも――」


 頭が真っ白になった。


 養女? 婚姻? 遠い田舎? 厄介払い?


 点と点とが繋がっていく。思えば最初からおかしかった。過去何度も主人に歯向かってきた俺とリリムを一対一で訓練させるのも不自然だ。まるで大事なお嬢様が死んだってかまわないと思ってるみたいに。最古参のメイドが裏切るのはもっとありえない。アイカは結局自分の主に忠実だったということ。


 伯爵と伯爵夫人はどうにかリリムを葬り去りたかったのだ。それもなるべく外面がいいように。不運な事故で奴隷に殺されるとか、どこぞの人攫いに攫われるとか。誘拐はむしろ慈悲だったのかもしれない。奴隷として売られようと死ぬことはないのだから。


 そんなことになった理由は、リリムが落ちこぼれだから。


「クソッ!」


 走り出す。


 幸いなことに、愛する少女はすぐに見つかった。庭の真ん中でモプップを撫でている。丸まった背中は震えていた。モプップは必死に舐めたりそばに寄り添ったりして慰めようとしていたが、俺に気づいてワンと吠える。


「リリム」


「おじ……」


 そいつはくしゃくしゃの紙切れみたいな顔をしていた。たまらなくなって抱きしめて、びしょびしょになった目元を拭う。無理やりに顔を上に向かせた。


「泣くんじゃねえ」


「お父様とお母様にいらない子だって言われちゃった…… 遠い場所に行って帰ってくるなって。二度と家名も名乗るなって」


 俺は精一杯に口を動かした。リリムの直面する苦しみが人生の全てではないと伝えたかった。


「いいかリリム。自分の価値は自分にしか決められない。親の評価なんて気にするな。俺は親に銅貨数枚で売っぱらわれたが、俺の価値はそんなもんじゃねえ。そう証明してきたし、これからも証明しつづける。お前もそうするんだ」


 リリムがぐすんと鼻をすすった。目が合う。


「やりたいようにやるんだよ。育ててもらった恩とか、貴族としての責務とか関係ない。これはお前の人生なんだ。気に入らないことを押し付けてくるなら抗え。戦って、戦って、戦え。それだけが唯一の生きる道だ」


「……でもどうしたらいいか分かんない」


「――どうしたいんだ。重要なのはそこだけだ」


「……田舎に行って結婚なんてしたくない」


「よく言った。なら――逃げるぞ。家出だ」


 青い瞳が丸くなる。


「逃げるの?」


「ああ、逃げる。ときには逃げるのも戦いの内だ。逃げて逃げて、逃げた先でまた戦うんだよ。人生っていうのはそうやって進んでいく」


「おじも一緒に来てくれるの?」


「俺はお前の専属奴隷だからな」


「うん。――おじ、好き」


「ああ」


「……なら着替えとか準備してくるからちょっと待ってて」


 そう言って屋敷へ戻ろうとするリリムの腕を掴んで止める。


「旅行じゃねえんだ。そんなのはいらねえ。名字も金もぬいぐるみも全部捨てて、着のみ着のままで、たったいまこの瞬間からお前はただのリリム。他はぜんぶいらない」


「……うん」


 リリムは口の中で味わうように俺の言葉を繰り返した。「自分の価値は自分にしか決められない」。俺は「そうだ」と返す。


「そして世界に理解からせろ。自分は親に従う人形でもなく、自我を捨てた奴隷でもなく、一人の意志ある人間だってことを」


「うん。――わたし頑張るよ」


 メスガキも、いつまでもメスガキではいられないのだ。成人を迎えたその口調は大きな変化を迎えつつある。


 リリムは唐突に自分の服の中を覗き込んだ。そしてにやりと笑う。


「おじが好きな白パンツで良かった。しばらくこれだもんね。――――ぷぷぷ~。顔赤くなってる。すぐ妄想しちゃうざこじゃん。ざーこざこ」


「お前ッ――覚悟しとけよ」


「なんの覚悟ですかぁ~? ざこおじ相手にするのに覚悟なんていりませ~ん」


 クソッ。分からせを予告するべく、俺はリリムの耳元でとんでもなくヤバいことを囁いてやった。一瞬で余裕が崩れて縮み上がる。


「そ、それはダメっ! おじ、やりすぎっ! そんなの壊れちゃうから! わたし昨日だって死ぬかとおもったのに……」



「うるせえ。――まずは馬を盗むぞ」

「わたし盗みなんて初めて」

「これからはたくさんする。慣れるこった」


 一つ戦いが終わった。

 そして新しい戦いが始まる。


 人生が続くかぎり、戦いも続く。俺とリリムは分からせ合いながら旅をするだろう。そしていつかその旅も終わり、また新しい戦いが始まる。


 そういうことだ。

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