3−1 装うこと

 出迎えたのは苦虫を噛み潰したような顔だった。

 シハースィはまず、この人間がここまで豊かな表情を見せたことに驚く。それからなかなか人間らしい反応を引き出せたことが愉快だと、薄く紅を引いた・・・・・口もとをほころばせる。

「着飾った女の子は褒めるものだって、習わなかった?」

「その褒める対象はどこにいる?」

「ここに」

 魔術師の呆れきった視線を気にすることなく、シハースィは自分を指さした。

「けっこう似合ってると思うんだけど」

 たっぷりと贅沢なドレープは、月光を湖の底で凝らせた冷たい影の色。娼館の色彩豊かな照明に当たって青とも黄ともとれる静かな反射を返す。

 詰め物をしていない胸もとは片方の肩から重ね流した布で誤魔化し、露出した反対の肩を、ごくごく薄い金砂のレースが覆う。

 大胆に見えて、シハースィの男性らしい体型をうまく隠した保守的なドレスだ。

「お前はそれでいいのかよ」

「ん、楽しいけど?」

「……はぁ」

 魔術師の手を引いて鏡の前に並んでみれば、生地の光沢が程よく馴染み、揃いで仕立てたことがしっかりわかる。

(あとは……繋ぎがあれば完璧、かな)

 竜であるシハースィは上背がある。それは帽子を被った魔術師とちょうど並ぶくらいで、距離感も相まり、仕事上のパートナーという感じが否めない。

 しかし、これから向かう夜会には、恋人もしくはそれに準じる関係のパートナーとして参加したいのだ。


「準備ができたなら行くぞ」

 シハースィの装いについて口を出すことを完全に諦めたらしい魔術師が、遠い目をしながらも隙のない所作で手を差し伸べる。

 その甘やかさはまさに、女の夢。従妹のシャーラェが知ったらなんと言われるだろう。あれほどの執着を見せたのだ、思いつく嫉妬の言葉には想像ながらも呆れてしまうが。

 なにはともあれ、今宵はたっぷりシハースィの相手をしてもらうつもりだ。さて、完璧な紳士のエスコートでも楽しもうかと、シハースィはしずしずと手を乗せながら視線をあわせた。

 そうして視界に入った、魔術師の両耳で揺れるピアス。

「――あった」

「は? ……おい」

 乗せたばかりの手をどかして手袋を脱ぎ、シハースィは針ほどに細めた月光で自分の指の腹を刺した。

 ぷくりと浮き上がる黒い血。ふた滴、凝らせる。

(大きさは……これくらい、かな)

 降る星の軌道を固めたようなピアスの邪魔にならない、かといって埋もれることもない大きさと要素の濃さで固定し、最後にピンの部分を作る。

「ね、これを着けてよ」

「お前な」

 再び、しかし若干角度の異なる呆れを魔術師は浮かべた。

 それは竜の血を平然と差し出した、シハースィの不用心に対するもの。先日、この魔術師にはシャーラェとの性行為を許すことで高濃度の要素を与えたが、血もまた濃い要素を含んでいる。魔術的には血のほうが意味を持つこともあるくらいだ。

 どこか心配の混じったその不思議な温度感に揺られながら、シハースィは自分の血でできたピアスを魔術師に押しつける。

「左右で対称だと、華やかすぎるかな。そのピアスは片方に寄せられる?」

「ったく」

 意外にも、魔術師は素直に従った。もとから着けていたピアスを右耳に、シハースィから受け取った小さな黒いピアスは左耳に。

「繋ぎって、一方からだけだと弱いんだけど」

 ならばこれはどうだろうかと、シハースィは楽しそうに首を傾げる。

「ね、君の血で作ったピアスをくれる?」


       *


 はたして準備は完了した。

 互いの血液から作られたピアスを着けることで互いの要素を薄っすらまとう。一見しただけでは血の契りを交わしたのと見分けがつかないだろう。

 シハースィがこの装いを選んだのは「面白そうだから」という理由が大部分を占めるが、それだけではない。事実からかけ離れた嘘の関係性を装っておけば、いざというときは脱皮するように外面だけを残して逃げることもできる。複数人で危険な場所へ行く際にはかなり有効な手立てだ。

(あんまり使いたくない手、だけど)

 今回は目的もあり、また自らが動くと決めたので、こうして策を講じた次第である。

「賭け事は好き?」

 魔法の道をゆく馬車に揺られながら、ゆっくりと流れる街の景色を眺める魔術師に問いかければ、彼は視線をこちらへ向けることなく「それなりだな」と答えた。

 よほどシハースィの女装が嫌らしい。無視をするわけではないが、かなりそっけない反応だ。

 それでも馬車に乗るときはしっかり支えてくれたあたり、他者の前で取り繕うことには慣れているのだろう。素肌を見た従妹が言うには行動派の魔術師らしいので、さまざまな場所に潜入することもあるのかもしれない。

 装うことの重要性を知っているならば、嫌がりつつも従う理由になる。

「じゅうぶん。どうせ僕の目は誤魔化せない、から」

「は、勝敗の決まった勝負か」

「結果だけ、かな。決まってるのは」

「……なるほどな」

 魔術師の横顔には、はっきりと「より質が悪い」と書いてある。だが、人ならざる者とは、そういうものなのだ。

 自身の要素が損なわれることを決して許しはしない。

 今回、人間に謀られ片目と鱗の一部を奪われたのはシャーラェの妹分だ。将来を期待されている娼婦であり、月光の竜のうら若き娘。シハースィにとっても、雇っている従業員という前に、大事な一族の者である。

 そして奪われたものを取り返すのはとうぜんとして、その許されざる者で愉しく遊ぶのが、シハースィというひとりの竜の性格だった。

「つまりお前は――」魔術師のその口調はあいかわらず突き放すようで、しかし、こちらを向いた瞳の奥には、この状況を愉しんでいる光が揺れていた。「俺に月光を取り返してほしいと懇願する恋人役というわけだ」

 シハースィは、自分の顔に笑みが広がっていくのを感じる。

「そういうこと」

 取り返す相手はいかにもな悪者ではない。一国の重鎮で、正義の裏にある悪を知り、必要とあらば自ら悪意を扱ってみせる。そんな、狡猾な人間だ。

 悪意の向き先が月光でさえなければ、シハースィはその人間を面白いと評していたかもしれない。


 馬車が、さらに深い階層に入った。

 現実の街並みは霞み、人ではない者が住まう空間や、土地に染みついた記憶による幻影が混じる。馬車を牽く影渡りの輓馬ばんばは、中継地のような魔法の空間を正確に踏み、進んでいく。

 このような道を通ることでしか行かれないような場所にも、なんらかの伝手を使い訪れる人間はいる。

 そういう人間のなかには、愉快だと感じる者が多い。

(この人間は、どうかな)

 シハースィは今回の遊び・・で、この魔術師の真贋を見極めるつもりだった。

 顔のよさと魔術の心得が多少あるだけで、取るに足らないものなのか。ときにこちらの想像を逸脱し、愉しませてくれるのか。

 ――あるいは。いっしょに遊べるような存在なのか。

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