第17話:サクラと鬼の稽古
「瑠菜さんって欠点とかあるんですか?」
「?……運動。」
「嘘ですよね?」
サクラは体力には周りにいる誰よりも自信のある方であった。
しかし、今稽古として瑠菜から合気道などをごちゃまぜにしたものを教えてもらっていて一つの言葉が頭に浮かんだ。
「……死ぬ……。」
もちろん、瑠菜が言葉で技のやり方をやさしく教えるなんてことはなく、すべて受けて覚えろという教え方だった。
それなのにもかかわらず、サクラが殴ろうとしてもけろうとしても瑠菜にはサクラの手も足も当たらず、逆に瑠菜の手刀や足技でサクラは軽く一メートル飛ばされてしまう。
もし着地の仕方を間違えればすでに骨がバラバラになってしまっていることだろう。
最初に受け身の取り方はしっかり口で教わっているため、サクラはそれだけできる。
もっと言うとそれしかできない。
「よかったわねぇ。優しい師匠で。私なんて自分なりに受け身編み出してたし。」
「……どこが、や、さしいんですか?」
「稽古つけろって言ったのはあんたでしょう?まぁ、こんなんじゃだめだろうけど。」
「無、無理ですよ。てか、なんで息が上がっていないんですか?」
「息が上がったらきついでしょう?」
「はい、いや、疲れたら息って上がるんですよ。知ってました?」
「それを落ち着けることができれば上出来ね。」
座り込んだままはぁはぁと息切れするサクラに瑠菜はそう言って近づく。
「もう終わりにしましょうか。飲み物でも買ってあげるけど、何がいい?」
瑠菜がそう言った瞬間にサクラはいまだと言わんばかりに重くなった腕を前に勢いよく出した。
すると、ドンっという鈍い音が瑠菜の体の中へ響いた。
サクラのこぶしは瑠菜の肩へと直撃しているように見えた。
「あ、入った……。」
「やられちゃったか。よけてなければ心臓だったな。」
遠くで見ていた楓李と雪紀が拍手をしながら瑠菜とサクラのもとへと駆け寄る。
瑠菜はサクラに殴られたところを少し笑いながら触って、もう一度サクラを見た。
「よ、よけてたんですか?」
「少しはね。」
「楓李はサクラの傷を手当てしてやれ。」
「了解。」
サクラは所々血が出ていて、服も破れていた。
楓李は消毒液とペットボトルの水、ばんそうこうや塗り薬をカバンから取り出して、サクラにそこらへ座るように言って、そのまま慣れた手つきで手当を始めた。
ここは家から車で十分ほどの所にある空き地だ。
遊具はなく、寂しい場所だなぁとサクラははじめ思っていたが、稽古をつけてもらっているうちにそれどころではなくなってしまった。
ほんの三十分間瑠菜とやりあっていただけだが、もうサクラはくたくたであるのだ。
なぜ、ここにきて稽古をつけてもらったかというと、龍子と話していて師匠からの稽古というのを受けたいと思ったからだ。
サクラに稽古をつけるのはまだ先だろうと思っていた瑠菜は最初びっくりして「本当に?」と聞き返したが、すぐに雪紀と楓李に連絡をしてここに連れてきてくれた。
「なんで、あんなにすごいんでしょう。瑠菜さんは……。」
「あれ。」
元気なく言うサクラに楓李はそっけなく気を指さした。
「え?なんですか?」
「手当終わったらあの木の裏覗いてみろ。すごい理由分かるから。」
(そういえば瑠菜さんたち何してるんだろう。瑠菜さんは手当てしてもらってなさそうだけど。……いや、無傷だっただけか。一発しか当たらなかったし。)
サクラは少し瑠菜が心配になったが、自分が最後に一発しか当てていないことを思い出した。
「はい、終わり。他に痛いところはないか?」
「大丈夫です。ありがとうございました。」
サクラはそういいながら楓李に頭を下げてから木の方向へと向かって歩き出した。
(なんだろう……?何があるんだろう?)
サクラはまるで小さい子供が見たことないものを初めて見るようにウキウキしながら木の陰からのぞいた。
しかし、そこには誰もいないし、何もなかった。
「少し、見に来るのが遅かったな。」
サクラの存在に気づいた雪紀は一言そう言った。
見ると、雪紀の腕の中には力なくうなだれている瑠菜がいた。
そんな瑠菜の姿を見て、サクラは急に心配になり駆け寄ったが、瑠菜は全く反応しなかった。
「瑠菜さん!……え?なんで?さっきまであんなに……ハッ……!私があてたから……。」
「落ち着け。気を失ってるだけだ。お前のこぶしは関係ない。」
瑠菜は服もボロボロで血に染まっていて、さっきのサクラとは比べ物にならなくらいひどい状態に見えた。
「なんで、こんな……。」
「あっ……、もう終わってたか。」
「楓李兄さん!瑠菜さんが、瑠菜さんが!」
「わかった、わかった。雪紀兄さんもなんで手加減しないかなぁ。」
「こいつが向かってくるからだ。」
楓李はいつものことかと言いながら瑠菜を雪紀から取り上げた。
焦っているサクラをなだめながらも瑠菜をさっきサクラを手当てした場所へと運ぼうとする。
「なんでお前が手当てする?瑠菜は俺が手当てしてもいいだろう?さっきのサクラよりもひどい怪我なんだから。」
「手当てするために来たんで。おかしなことはしていませんよ?」
さらっというと、雪紀は楓李を少しにらみながら離れようとした。
楓李はそれを気にも留めずに、サクラを手当てするときにはなかったピクニック用のシートが引かれている場所に瑠菜を寝かせている。
サクラの手当てが終わってから敷いたのだろう。
「サクラも雪紀兄さんに相手してもらったらどうだ?」
「いや、私は……。」
「おう、いいぞ。やるか」
「は、はい。」
サクラは断ろうとしたが、雪紀に声をかけられて反射的に答えてしまった。
すぐに取り繕うとしたが言葉すらも出てこない。
「ま、待ってください。い、いやです!助けてください。楓李兄さん!」
「大丈夫だ。ばんそうこうと包帯なら余分にたくさん持ってきた。」
「そういう問題じゃないです!」
それから楓李が瑠菜の手当てを終えたくらいに瑠菜は目を覚ました。
瑠菜の怪我はいろいろな個所から血が出たりしていたが、骨に問題はないようだった。
「ん?かえ……っいって……。」
「いつも以上に頑張ったな。」
無理に起き上がろうとする瑠菜を支えるように楓李が手を貸してついでに持ってきた飲み物を渡すと、瑠菜はそれをグイっと一口飲んだ。
「なんでかわいい弟子に蹴り入れるのよ!あの人!」
「可愛い子には旅をさせよ?」
「うるっさい!」
瑠菜にそう言われて楓李が笑っていると、サクラが吹っ飛ばされてきた。
瑠菜の横まで吹っ飛ばされているので、約二メートル。
「もう終わりか?」
雪紀はケラケラと笑いながら飛ばされたサクラに聞いた。
たった数分しかたっていないと言いたいのだろう。
「……瑠菜さん。おはようございます。」
「びっくりしたー。サクラも稽古つけてもらってるんだ。」
「はい。もう無理です。」
瑠菜は棒読みでサクラに言った。サクラも元気なさそうに即答した。
「体が動かなくなるまでなら別に稽古つけてもらってもいいけど?」
「それは……体が動くなら行け、と?」
瑠菜がニコニコしながらうなづくと、サクラは渋々立ち上がって雪紀のもとへと走った。
瑠菜は雪紀が自分とやる時より相当手を抜いていることを知っているからだろう。
そのまま持ってきたクッキー片手に映画やスポーツの試合でも見ているかのように二人の姿を見ている。
サクラは雪紀によけられたり、軽く押されて転んだり、たまに雪紀の蹴りを受けて座り込んだりしていた。
「あの子避けるってことを知らないのかしら?」
サクラがバカ正直に真正面から攻撃を受けているのを見て瑠菜はつぶやいた。
見ているとサクラは逃げも、隠れもしないで攻撃をすべて受けている。
体力がいくらあっても、このサクラの戦い方ではそのうち体が悲鳴を上げ始め、一生のうちで消えない残る傷になるだろう。
雪紀もそれに気づいて致命傷にはならないように少しずれた攻撃をしているが、長くは続けていられないだろう。
「サクラ、しゃがんで。」
「は、はいっ!」
サクラは急に瑠菜に言われて戸惑いながらもその場にしゃがんだ。
「立って、ジャンプ。……次は右に一歩。そしてしゃがんで。」
瑠菜がそう言うと、サクラは全て言われたとおりにした。
すると今まで受けてきた攻撃がびっくりするほどかすりもしなくなったのだ。
これは、何年間も稽古をつけてもらった瑠菜だからこそできる技だ。瑠菜は雪紀の戦いの癖や、攻撃までの動きをすべて見切っていたのだ。
雪紀の行動をほんの少し先読みして教えているので、雪紀も急に攻撃を変えることができずに瑠菜が言ったように動いてしまう。
「瑠菜さん、すごいです!おかげさまで一発も当たらなくなりました。」
「避けるって言う戦術を学ぼうか。」
「はい!」
サクラは帰り際まで雪紀に合気道のようなものを教わっていた。
何度も何度もサクラが雪紀へ戦い方を聞きに行くため、雪紀もうれしかったのだろう。
雨が降ってきてやっと雪紀とサクラが帰るというまで、何もせずに瑠菜と楓李は待っていたのだ。
「瑠菜さん、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
帰り着いてすぐに瑠菜は社長であるカミ様に呼ばれた。
そのため、本社の施設があるところまで車で送ってもらったのだ。
その際、サクラもついて来ようとしたが楓李と龍子に止められたため行くのをやめて、雪紀に誘われて晩御飯を食べに行った。
「お待たせしました。星月瑠菜です。」
「遅いよ。呼んだら早く来てもらわないと。昼間に呼んだわけじゃないんだし、今日は休日でしょ?」
カミ様こと、上代は風邪でも引いたのか、顔を真っ赤にして席をしながら奥の部屋から出てきた。
(一時間もたってないし、体調悪い時に私を呼ぶ必要はないと思うけど。)
「体調が悪いんですか?」
「まぁね、でも大丈夫。パーティーの後からこんな感じだったから。」
「それで?何の御用でしょうか?」
「冷たいねぇ。」
「はやめに病院へ行かれてくださいねとでも、言えばよろしいですか?」
「あー、わかった、わかった。君はまだ役職をもらっていなかったよね?」
瑠菜はそれを聞いた瞬間にまたかと思い、部屋を出て行こうとした。
今までに瑠菜は何度も社長である上代だけでなく、前の社長からもこの手の話をされてきた。
しかし、瑠菜は何度誘われても断り続けたのだ。
コムの存在もあったことから上代自身も瑠菜に役職を持つことを強制することはできずにいたのだが、やはり瑠菜の実力と才能を考えると役職に就いたほうがいい。
これは上代個人の意見でもあり、前の社長の心残りでもある。
「待った。少しだけでいいから、聞いてくれ。」
「役職については持ってはいませんが、持つ気もないです。」
「待てって、話を聞けバカ。」
「瑠菜、待ちなさい。」
瑠菜が社長室のドアへ手をかけて出て行こうとすると、後ろから氷のような冷たさの声がした。
瑠菜はその声を聴いて、体が動かなくなるような感覚がした。
「あなたに相談所を開いてほしいの。」
「会長、なぜあなたがここに?」
会長は瑠菜と上代の間に立ってそう言った。上代は少し下を向いている。
「あなたに相談所を開かせるためよ。あの子の愛弟子でしょう?そしてその素質もあなたにしかない。今相談所へ行くはずの手紙や依頼は私たちがもらって答えているわ。でもその回答に納得する人は少ない。」
「私は今、雪紀さんの手伝いで手一杯です。それに、私はあと二年ほどでここをやめるという話だったはずですが?」
「あなたにしかできない仕事よ。人の話も、その他の話もあなたにしか聞けない。」
「誰だって話くらい聞けるでしょう?」
「コムは特別だっただけで、誰だってできることじゃないわ。」
瑠菜はここから逃げたいと思った。
これ以上いると、自分が聞きたくない話すらも聞いてしまいそうだ。
そう思ったが、会長に見られている以上体が動こうとはしない。
「瑠菜、引き受けろ。」
「……コムさんの……遺言ですか?」
上代に言われて確信となった瑠菜の考えは口からポロリとこぼれ出た。
瑠菜は重くなった頭をあげようともせずに言った。
ここに楓李や雪紀がいたならば何も言わず二人に受け答えをさせて出て言っていたかもしれないが、一人で来てしまった瑠菜にはどうしても体を動かして部屋を出ることができなかった。
「コムさんが、私に……?」
「えぇ、あの娘の頼みよ。」
会長も、上代も言わないつもりでいたらしい。勘のいいガキだと小声で言いながら周りを見渡している。
しかし、そんな二人の言葉も、行動も瑠菜は気にならないほど下を見ていた。
「……わかりました。了解です。」
「瑠菜、私はあなたにこの役職をやらせたかっただけで、別にあの小娘が言ったからとかじゃないの。あなただから頼んだだけで。」
了解です、その言葉を発した瞬間に瑠菜の体は軽くなった気がしたため、会長の言葉も聞かずにうつむいたまま瑠菜は出て行った。
出て行かないと、その場に泣き崩れてしまいそうだったのだ。
コムの役職を瑠菜が引き継ぐということは、もうコムはここへ帰ってこないという確証があるということだ。
ずっとどこかで楽しく笑っているだろう、そうであってほしい、そして気が済んだらまた帰ってきてくれるなどと考えていた瑠菜にとってそれは現実を見せられたともいえる。
(生きていたら連れ戻すだろう。死んだ……死体があったのだろうか。……会いたい。会いたいよコムさん。)
瑠菜はそんなことを考えながら会社を出た。
「あ、瑠菜さん。ごはんどうしますか?皆さん食べに出かけちゃったんで……僕はもう食べたんですけど……。」
しおんは最初明るくそう言って瑠菜を出迎えたが、瑠菜の様子を見てだんだん心配になってしまった。
瑠菜はそんなしおんの様子を見て申し訳なく思い、今できる精いっぱいの笑顔を作ってしおんのほうを見た。
「今日はいいかな。ありがと。」
瑠菜は明るい声で言った。
とはいえ、しおんから見ればそれはすごくぎこちなく、違和感のあるものだった。
「瑠菜さん……何かありました?」
「え?何で?」
瑠菜はなかなか人に表情を読まれることがないためびっくりしてしまった。
楓李やコムには気持ちの変化から体調の良し悪しまですぐに気づかれてはいたが、そのほかの人は全く気付かない。
雪紀からは言葉で言えと言われるほど、人に自分の気持ちを伝えるのも表に出すのも苦手だった。
しおんも弟弟子として瑠菜と過ごすようになってから一年ちょっと経つが、初めて瑠菜の表情から心境の変化に気が付いた。
しかし、相当なことがあったということ以外は全く分からない。
「言ってみていいですよ。僕はまだそこまでの知識はないですし。何を言われても意味はそこまで理解していないですから、僕が落ち込むことは全くありません。」
さすが、弟弟子だ。瑠菜の性格をしっかり理解している。
しかし、しおんがコムと全くかかわっていないわけではなく、なんだかんだでコムになついてはいたしおんにこの話をするのは酷だと判断した瑠菜はもう一度笑顔を作り直して気合を入れた。
「……。いや、だめね。この話は私だけの話。しー君に愚痴るのは間違っているわね。その代わり、良いことを教えてあげるわ。楓李と雪紀にも伝えといてほしいんだけど。」
「良い……ことですか?」
「えぇ。……幸せなこと。うれしいことよ。」
「なんですか?」
瑠菜は目を輝かせて聞くしおんを犬のようだと思った。
何ならしっぽが見える気がする。
きらきらとした幼い笑顔が瑠菜の言葉を待っている。瑠菜にはそれがまぶしくて、いまにも涙がこぼれ落ちそうになった。
でも、それは瑠菜のプライドが許さなかった。
「瑠菜ね、役職もらっちゃった。」
瑠菜が一言そう言うと、しおんはパァっと明るい顔になった。
「え?すごいじゃないですか!ずっと断っていたのに、やっともらうことにしたんですか?あんまりもらえるものじゃないですよ!何の役職ですか?」
しおんはそういいながら手を叩いて喜んでいた。
今まで役職をもらうことを断っていた瑠菜にもったいないとは言っていたが、これだけのことでこんなに喜ぶとは思ってもいなかった瑠菜はこれが普通なのだと思った。
ほいほいもらえるものでないのは確かで、ほんの一部の優秀な人しかもらえないのだから、自分ももっと喜ぶのが理想だ。
「相談よ。」
「すごいです!瑠菜さんにピッタリですよ。」
「そう?」
「はい!だって、瑠菜さんは優しくて、たくさんのことを知ってるような、そんな人ですもん。きっとたくさんを助けられますね。」
しおんは瑠菜の手を握って瑠菜のいいところを述べていく。
姉弟子である瑠菜を尊敬しているということはわかる。
瑠菜はしおんのその姿を見て少しだけ安心する部分があった。
「ありがとう。もう今日は疲れたし、部屋に帰るね。」
「あ、今日は稽古をしていたんでしたもんね。しっかり寝て、元気をつけて怪我もしっかり治してください。」
「えぇ。また明日ね。しー君。」
「はい。おやすみなさい。」
満面の笑みで言われて、瑠菜は少し考えを改めた。
(……まだ、生きていこうかな。)
瑠菜はしおんと話をするまで自分は今一人になってしまえば自分を殺してしまうのではないかと思った。
それでもしおんの話を聞いていると、少しだけまだ生きようと思った。
ここまで自分関係のことで喜んでもらえて、自分のことのような反応をされては死ぬに死ねないような気がしたのだ。
もっと言うと、今自分が生きてるのか、どうかすらもわからなくなり、少し心配になった。
(死なない程度……入院しない程度に……。)
瑠菜はそう考えながら自分の机へと向かって、引き出しを開けそれを手に取った。
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