第10話:夜の街はナンパと裏情報の山

 「よし、終わり。」

 「え?何で……、私のほうが仕事量少なかったですよね?」

 「サクラが遅いのよ。」


 瑠菜は、パソコンを閉じて体をぽきぽきと鳴らしながらサクラに言い返す。


 「瑠菜さんが早いんですよぉ。半分やってください。」

 「それは無理だけど、私のと今後は交換する?」

 「いやですよぅ。あれは一日が五時間あっても終わりませんもん。」

 「六時間もかかってないけど?」

 「だからおかしいんですよ!」


 サクラは、本気で終わりが見えないらしい。

 しかし、瑠菜がどんな量をこなしているのかは分かっているため、仕事を交換するのはすぐに断った。


 「今日中に終わらせねーと、明日も似たような仕事が同じ量来るぞ。」

 「楓李兄さんも終わったんですか?」


 サクラは驚いたように二人を交互に見る。


 瑠菜はもともと読むことに優れていて、百何十ページある本でさえも三時間ほどで読み終わるほど早い。

頭も悪くはなく、理解する力もあるため仕事が早いのだ。


 楓李のほうは、仕事をこなし続けたからこその慣れから早くなった。

簡単に言うと、努力の結果だ。


 「楓李も最初は遅かったし、大丈夫よ。」

 「瑠菜、やめてくれ。」


 楓李からストップをかけられて瑠菜は黙った。

これ以上口を開くと、何をされるかわからないと思ったのだ。


 「あれ?楓李兄さん、帰るんですか?」

 「ちょっと用事があってな。」


 楓李がそう言って小屋を出た後、サクラはジト目で瑠菜のほうを見た。


 「瑠菜さんは帰らないんですか?」

 「なんも用事がなくてな。」


 瑠菜が楓李の真似をして言うと、サクラは小さく噴き出して笑い出した。


 「あはは……は……あー。瑠菜さんと楓李兄さんって似てますね。今のも、何もできなくなった楓李兄さんみたいでしたし。」


 サクラはひーひーと言いながら机を叩いた。


 「瑠菜さんはいつ帰るんですか?」

 「さぁ。」


 瑠菜は首をかしげてサクラにあいまいな返事を返した。

 サクラは、瑠菜の反応の薄さに少し落ち込みながらも目の前の終わる予感のしない仕事に取り掛かり始めた。





 「んー。やっと終わったぁ。」


 サクラは外を見ながら腕を上にあげて大きく伸びをした。


(瑠菜さん、もう帰ったですよね。いつ帰ったんでしょう。)


 外はもう真っ暗で、びっくりするほど人通りが少なくなっていた。

 サクラは集中していたからか、瑠菜がいなくなったことにすらも気づかなかった。

そのため、置いて行かれたと思い、帰るのに躊躇した。


 「あら、終わったの?」

 「わぁっ!え?もう帰ってしまったのかと思っちゃいました。」


 ガチャリと開いたドアにびっくりして目を丸くしているサクラを見て、瑠菜はきょとんとした。

しかし、すぐにクスッと笑ってわざとらしくため息をついた。


 「置いていくわけないでしょう?かわいい弟子を置いて。」

 「へ?あ、ん……。」


 瑠菜がサクラの頬に軽くキスをすると、サクラは見る見るうちに耳まで赤くなっていった。


 「あれ?そっちの趣味あったの?」

 「る、瑠菜さんが変なことするからです!」


 サクラは、にこにこする瑠菜から顔を背けながら言い返すが、またドアが勢いよく開きびっくりした拍子に、瑠菜に抱き着いてしまった。


 「浮気か?瑠菜。」

 「違うわよ。てか、あんたは彼氏じゃないでしょう?」


 ドアの前には、黒いシャツの上に赤いワンピースを着たキレイ系の、背の高い人が立っていた。

赤毛のくるくるとした髪、腕には宝石のついた腕輪、指には指輪もたくさんつけていてとても派手な格好をしていた。

ついでに言うと、声も高くて聞きやすくかわいい声だとサクラは思った。


 「瑠菜さん、……この方は?」

 「ん?」


 サクラは瑠菜に縋り付くようにぴったりとくっついたまま聞いたが、瑠菜はサクラが思っていた反応とは全く違う反応をした。


 「まだわかんねーの?」


 ひらひらとワンピースを揺らしながら、その女性はサクラの目の前にしゃがむ。

 サクラは瑠菜から離れて、端っこのほうに行こうとした。


(うすうす気づいてはいたけど、サクラってやっぱり軽く人見知り入ってるのよね。)


 瑠菜はそう思いながら、サクラが怖がって腰を抜かす姿をじっと見ていた。


 「今日も話したろ?サクラ。」


 低い声。

愛想のないしゃべり方。

 そう、それはサクラのよく知っている人物と同じ特徴だった。


 「か、楓李兄さん?」


 にやりと唇の端を上げるその姿もだが、声や素振りなど、見た目以外のすべてがサクラの記憶と一致する。

一致はするが、サクラはどうしても信じられなかった。

 どこからどう見てもサクラの目の前にいる人は女の人だ。


 「迎えに来てやったのにひでぇなあ。つーか、さっさと帰るぞ。」

 「ゆっくり帰りましょうよ。お兄には私から言っとくし、今のサクラじゃ帰れないわよ。もう少しだけここにいてもいいんじゃない?」

 「だ、大丈夫です。もう立てます。」

 「本当?小鹿みたいになってそうだけど?」


 腰を抜かして立てなくなっているサクラとそれを見て愛おしそうに笑っている瑠菜を見て楓李はため息が出そうになるが、何とか我慢して楓李は瑠菜とサクラの間に入った。


 「瑠菜、仕事だ。」


 サクラにぎりぎり聞こえるか聞こえないかという声の大きさで、楓李は瑠菜に耳打ちをした。


 「急ぎ?」

 「だな。」


 サクラは迷惑をかけたくないからか、立ち上がって水を飲んでいる。

会話は聞こえていないのだろうが、外はどんどん暗くなり不気味になって言っているため早く帰りたいのだろう。


 「サクラ、もう帰れる?」

 「あ、はっ、はい!」

 「んじゃ、行くか。」

 「え?瑠菜さん?瑠菜さん、楓李兄さん。待ってください!」


 さっさと小屋を出て行ってしまう楓李と瑠菜を見て焦りながらも、サクラは必死になって二人のもとへと走って追いつこうとした。

 こんな不気味な場所に置いて行かれたくないと言うのがサクラの本音だ。


 小屋から出て、少し歩くとキラキラとした裏通りに出る。

暗くなる時間帯は、酔っ払いが多くなり始めるため、女だけで歩くにはとても危険になっている。


 「うわぁ。きれいですね。」

 「居酒屋しかないからね。」


 カラフルな居酒屋の電灯にサクラはうきうきとしている反面、瑠菜はここだけは通りたくなかったとでもいうようにさっさと歩いた。


(早く帰るならここしか道内の、本当に不便だわ。サクラを置いていくわけにもいかないしなあ。)


 瑠菜はそう思いながら、楓李のほうを見た。

 楓李は、女装をしていないからかきれいなお姉さんたちにちょこちょこ声をかけられている。

 サクラを守ることができるかと言えば、あまり信用はならなかった。


 「楓李、私次囲まれたらそのまま蒔いて帰るから、サクラよろしく。」

 「了解。」


 さすがにサクラの歩幅に合わせていたら間に合わないと察した瑠菜は、楓李にサクラを任せることにした。

仕事に遅れると、本気で雪紀に怒られてしまうのだ。


 「姉ちゃんたちかわいいじゃん。」

 「ちょっと遊ばない?」

 「え?」


 数名の男たちに絡まれてしまい、サクラは瑠菜に縋り付こうとしたが、そこにはもう瑠菜の姿はなかった。


 「あれ?」

 「何々?置いて行かれちゃった?」

 「かわいそう。一緒に遊ぼうよ。」

 「あの、えっ……ひっ!」


 サクラがあいまいにしゃべるからか、男たちはどんどん調子に乗り、サクラの手をつかんだ。

 急に手首をつかまれたことでサクラは逃げ出したくて仕方がなかったが、男の力に女のサクラがかなうわけもなく、どうすればよいのか本当にわからなかった。


 「か、かえ……。」

 「ねえ、ちょっと寄って行ってよお。」

 「お兄さん、顔いいし。」

 「ねえ、イケメンだよねぇ。」

 「モデルさん?」


 サクラは、周りを見ても見つからない瑠菜の代わりに、楓李に助けを求めようとしたが囲まれてしまっていて、こちらには気づかなさそうだった。


 「ちょっと、おいでよ。」

 「や、やめてくださ…………」

 「嫌がってんじゃん。大丈夫?」


 サクラをつかんだ男の手に黒く日焼けた手が覆いかぶさる。

 その顔は、きりっとしたイケメンと言える顔で楓李やあきはおろか雪紀にも負けていなさそうに感じられた。

年は、二十代後半くらいだろう。


 「あ、も……申し訳ありませんでした。」

 「女の子ちゃんに行ってあげなきゃ。」

 「申し訳ありませんでした!」


 その男を見た瞬間、サクラをナンパしてきた男たちは顔を真っ青にして頭を下げてさっさと逃げて行った。


 「あの、ありがとうございます。」


 サクラは助けてくれた男に頭を下げた。

 男はよく見ると、大きなクマのぬいぐるみを抱えていた。

身長は百七十センチを軽く越していそうだった。


 「大丈夫か?」

 「あ、楓李兄さん。もう、遅いですよ!この方が助けてくださいました。あ、瑠菜さんはどちらに?」

 「そうか。ありがとうございます。」

 「瑠菜……?」


 瑠菜の名前を聞いた瞬間、男のあやしげに笑っている口元が少し引く着いたのを楓李は見逃さなかった。

もちろん、それについて問い詰める必要もないと楓李は思い、あえて無視をした。


(瑠菜の知り合いか?)

 「それじゃあ、僕はもう。」

 「あ、あの、名前だけでも。」

 「サクラ。」


 楓李はサクラの行動に驚きながらも片手で制した。


 「え?……うーん?そうだなあ……コム……いや、チカ。チカって読んでもらえると嬉しいな。」

 「チカさん。ありがとうございました。」

 「うん。じゃあ、またね。」


 サクラがチカと名乗る男にニコニコと笑っている。


 (コム?何でこの男があいつの名前を知ってんだ?偶然……、いや、そんなわけがないか。)

 「そんな怖い顔すんなよ。悪かったって。」


 耳元でそう言われた気がして楓李は後ろを振り返ったが、その男の姿はもうすでになかった。

 サクラにはその一言が聞こえていなかったらしく、なんと言われたのかを楓李に聞いた。

 もちろん、楓李は答えなかった。






 「チカ?」


 瑠菜は目の前のスナック菓子を手に取りながら、楓李の出した名前について聞き返した。


 「あぁ、知ってるか?」

 「いや、まったく。」

 「知り合いだろ?つーか、夜中にそれ食べんな。」

 「えー?あと一つだけ!」

 「チカってやつの情報だけくれ。」

 「えー。うーん……、チカ……ち、か?あっ!」


 瑠菜は楓李の部屋を飛び出して、自分の部屋へと入っていく。

 楓李はびっくりしながらも、瑠菜について行った。


 「瑠菜、それ……。」

 「コムさんの資料。小屋にあるやつの写しね。昔、コムさんが相手したお客さんとか、捕まえた人の個人情報が載ってるの。」

 「でも百何十人以上の情報があるだろ?さすがに……。」

 「瑠菜は、いや。私は、何十人のコムさんの知り合いに電話をかけた。でもいまだに見つかってない。もしその人が、コムさんを知っているとしたらその人について調べない理由はないでしょう?」


 楓李はあきれてしまった。


 「それをして、倒れかけたのを忘れんな。このバカが。」

 「自制くらいするわよ。私はただ、どんな形でもいいからコムさんに会いたいだけ。」


 本当にあきれてしまう。


 なぜ瑠菜がここにいるのか、楓李はよくわからなくない。

 洞察力、直感、知能、推理力に加えてこの性格ならば探偵事務所では大活躍だったことだろう。


 普通の生活を、普通の女の子でいることを誰よりも望んでいた彼女が、たった一人の短期間関わっただけの人間にここまで執着するのか。


 「なんでコムがかかわってると思ったんだ?」


 楓李はチカの話をするうえで、コムの名前は出していない。

瑠菜のコムへの執着心は異常で、コムが関わっていると知れば体を壊すまで情報を探し続けるだろうと考えて、あえてコムが関わっているかもしれないというっことは黙っていたのだ。


 もっと言うと、本当にかかわっているとは限らない。

これは楓李の仮説でしかない。

 だからこそ、楓李は一人で調べるつもりだったのだ。


 「なんでって、楓李が好きだから?」


 軽く一つで束ねた長い髪。

その隙間から見える、美しくてかわいい、幼い笑顔。

 夏使用の寝間着は、どこに目をやってもきわどく感じてしまう。

 日付をまたいでいるからか、楓李の頭もボーっとしてきているのだろう。


 「瑠菜……。」

 「なーんてね。楓李が何か隠しているんだろうなあって考えたら、何となく予想はつくよ。」


 瑠菜が口の端を軽く上げて言うと、楓李もふと我に返った。

 少し寂しそうな笑い方をしている瑠菜に、楓李は何とも言えなくなってしまう。


 「みんな、気を使ってんだろ。」

 「知ってる。」

 「お前が一番、コムになついてたしな。」

 「そうだね。」

 「俺なら、話くらい聞くけど……。」


 楓李の消え入りそうな声に瑠菜はびっくりしてしまった。

 いつもの自信たっぷりの楓李なら「仕方ないから俺が相手をしてやる。」くらい言ってくる。「頼んでない。」と、瑠菜が答えるまでがいつもの会話だ。


 「ありがと。うん……いつか、話聞いてよ。」

 「いつか……な。」


 瑠菜は資料を開きながら、大量にある名前とその人の個人情報に目を落とした。

依頼者の家族構成までしっかり見ていく。

 楓李は横でその姿をずっと見ている。いや、寝る準備をちょこちょこ進めていた。

 日が昇るまでに瑠菜に声をかけなければ、一晩中資料に目を通し続けるだろうと思ったのだ。




 「なぁ、瑠菜。」


 三時間ほどたって楓李は瑠菜に声をかけたが、当たり前のように反応はなかった。

 よほど集中してファイルに目を通しているらしい。


 「瑠菜。」


 楓李は瑠菜の見ていたファイルを取り上げてもう一度声をかけた。


 「あ、ごめん。そんなに読んでた?」

 「十八冊目だ。」

 「じゃあ、あと三十二冊だ。」


 楓李はため息交じりに頭を抱えた。


 「もう終わりだ。時間も時間だしサッサと寝ろ。」

 「ブルーライトのおかげで目が……。」

 「紙に書いた文字からブルーライトとか関係ねえだろ。」


 楓李が、瑠菜の出したファイルを一冊ずつ棚に片付けながら言うと瑠菜は頬を膨らませた。


 「かえ、もうちょっとだけ。あと五時間。」

 「五時間後はもう朝だ。」

 「ねぇー?」

 「……。」

 「かえ。」

 「……。」


 楓李は瑠菜の呼びかけに対して必死に無視を貫いた。

 瑠菜も眠いのか、やけに楓李に甘え声で呼びかける。


 「かえ。」

 「寝ろ。」

 「一緒に寝よ?」


 楓李はその言葉一つで少し迷いが出た。いつもなら、しっかり言い返すことができるのだろうが、頭があまり回っていなかったのだろう。


 「一人で寝ろ。」


 やっとのことで言い返した。

 しかし、瑠菜は何を言われようと楓李がベッドの中へと入った瞬間に、一緒にベッドの中へと入った。

瑠菜は何も聞いていないらしい。


 結局、一晩一緒に寝て二人して早く起き、資料に目を通し始めた。

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