山姥 (2)
「…………こんな夜更けに
そう、平静に聞こえるように声音を整えながら、片手は刀に掛けたままにした。
「……御大将」
牛飼い童の後ろ、ぬっと立っていたのは御所で見送った鳴神で、その隣には手伝いに行けと伝えておいた、気弱げな陰陽師が立っていた。
「夜更けに押しかけまして申し訳ありません。 ……祓い自体は無事に済んだのですが、少々問題がありまして……。
気弱な声音の割にしっかりと耳に届く声を確認して、刀から手を離し、一つ頷く。
「……なるほど、何かあったようだ。一人住まいゆえ、むさくるしい所もあるかもしれぬが、中へ。……言問殿も遠慮せず入って下され」
「供も連れて大丈夫でしょうか?」
「構わない。むしろ、少しは人の気配があった方がいい。 眠れず、一人酒をしておったところでな。 ……ささ、こちらへ」
庭が見やすい、客間として使っている部屋へ案内すると、鳴神、言問殿が並んで座り、背後に供が付く。 酒と茶どちらをと聞くと、二人ともが茶を選んだ。
「お二人には俺の寝酒に付き合って貰えぬようだ。 ……さて、じゃあ子細を聞きましょうか」
茶が二人の前に置かれたところで、言問殿が話し出した。
「我らが祓いの場所に着きますと、そこにはたしかに女がおりました。川中に立ち、下半身は血に濡れ緋袴のよう、単衣の袖は鳥の羽のようになった女のあやかしでございました。そちらは祓えばたちどころに消えたのですが、川辺にこちらの赤子が残されておりました」
言問殿が供に合図すると、しずしずと付き添いの女房らしき女御が麻布に包まれた赤子を連れて出てきた。そのまま、そっと柔らかく俺の前に寝かされる。
その赤子は床上の冷たさにも動じず、スヤスヤと寝ていた。
「おそらくは、あのあたりで産気づき、産み落としたものの自身は力尽き儚くなった産女がいたのだと思われます。我が子を守るため、なんとか人を寄せたかったのかと」
「…………なるほど。子がおったのか……」
「ただ、我らは一人身であり
「……鳴神、お前……。俺の事を気にかけてくれてはいたのだな」
「御大将がそれなりに俺に気を回してくれていた事は知っている。子が欲しいというならば、適任ではないかと思った」
「……そうか」
じんわりと胸が温かくなるような気持ちで、寝かされた赤子を見る。
ふわふわぽやぽやとしたやわらかい赤い髪、紅葉のような小さな手が愛らしく、寝顔は玉の様だ。
そっと宝物を持ち上げるように、冷たい床から俺の腕へ持ち上げた。
温かくやわらかく、乳の匂いがして、初めて息子を抱いた時の面影が脳裏にあふれかえって、知らず涙が流れていく。
「陸奥守殿」
ほたほたと、声もなく泣き始めた俺に動ずることなく、気弱げな口調はそのまま淡々と言問殿が言葉をつづける。
「この子は素性がわかりませぬ。そして、主上は素性がわからぬものを近くによせることを嫌いますゆえ、この子を育てるのでしたら、出来ましたらこの件は伏せて頂きたく……」
言葉を聞くまでもなく、分かっていた。
主上の夷敵に対する苛烈さは、最近日増しに増している。
先日鳴神が取った鬼の首などは、勲章のように古都の宝物蔵に仕舞っていたくらいだ。為政を司る天子は鷹揚で平等でなければ、と我が義父が言っていたのとは反対に。
俺は言問殿の言葉を途中で遮るように猛然と頷いた。
「むろん、他言せぬ。この子は命に代えても俺が守る。何があっても守るゆえ、是非俺に任せてくれまいか……頼む」
「陸奥守殿にそこまで言って頂けて、我ら安堵致しました。これで、あの産女も報われましょう……」
そこで、ようやく安堵したように礼をした陰陽師は、少し冷めたぬるい茶に口を付け、端然と飲み干した。鳴神の方はとっくに飲み干し、泣く俺を不思議そうに眺めている。その袖をついと引く言問殿にハッとしたように鳴神も目を伏せた。
「それでは、我らはこれにて。子細はまた報告いたしますが、赤子とその母に関わる部分は伏せさせて頂きますゆえ」
「いや、俺こそ感謝している。まさか俺の手に再び宝が巡ってこようとは……。気を遣わせて申し訳ない、俺から主上への報告もその通りにする。……ああ、また御所で会おう」
赤子を抱いたまま見送りに立とうとすると、気弱げな陰陽師は優しげに笑って首を振った。そして
「……言問殿か……鳴神が懐くのも分かる御仁だ。……さて、お前の名は何にするかな? 温かい乳も恵んでもらわねば。……ハハッ、忙しくなってきたぞ」
ツンとその愛らしい赤い頬をつつくと腕の中のむずがる赤子に笑いかけ、俺は家人を呼び、早速の手配を始めた。
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