山姥 (1)

息子がいなくなったのはいつの事だったろう。


かねてから目を掛けてくれていた高位貴族の深窓の姫、そのたおやかで優しい妻と結ばれて初めて生まれた、玉のような可愛い子だった。

貴族というものは、あまり妻の家には頻繁に通わぬらしいが、俺は武家で、妻も子供も可愛かった。毎日のように通い暮らした。義父になったあの方も、すっかり顔を緩めて優しい手で孫の面倒を見ていたのを思い出す。

息子は少し大きくなると、父上父上と袖にまとわりつき、俺と同じように強くなるのだと大きなキラキラした目で小さな木剣を振り回した。

あの優しく温かく懐かしい日々。


しかし掌中の玉は落ちて砕けるも一瞬だった。

まずは失意のうちにあの方が蝋燭が溶け落ちるように亡くなり、続いて妻が元々弱かった体に病を得て儚くなった。そして残った大事な我が子。

せめてもこの子だけは、とか細い伝手を辿り乳母を探し、使用人を探し、出仕の間も不自由ないよう守っておったつもりだったのに。

乳母がほんの少し目を離した隙、家の庭池に落ち、俺が戻る頃にはすっかり固く冷たくなっていた。


そこからしばらくは茫然自失で記憶がない。

気づけば、主上に目を掛けられ、御側の守として侍るようになり、武官の指導を任せられるようになっていた。


鳴神を見つけたのもその折だ。

天子の末の尊い血を持ちながら、見た目で忌まれ官位もなく、戦場へ駆り出される若武者。朱まじりの金の垂髪に、青い双眸、恵まれた体躯に、幼さが抜けたばかりの精悍な顔。異端とさげすまれ、戦場から戦場へ放り込まれてもどこ吹く風、ただただ戦が楽しいと、その磨いた技量で殺気を鮮やかに放つ。

俺のかわいいかわいい息子とは似ても似つかないが、打ち合いをする前、対峙した時にこちらへ向けられる嬉しげな顔は、父上とはしゃぐ息子の目に少し似ていた。

あの子も生きていればあの年頃くらいだろうか。

そう思えば、鳴神に対しても、少しは配慮をしたくなる。


例えば、少しでも生き残る確率が上がるよう、まともな武具が回るように。

例えば、連戦にならぬよう一度、二度、必ず休養を得られるように。

そうして、すっかり鳴神が一人前の武士になった頃には、俺の情も養子にしたいという気持ちにまで育っていた。


「……まあ、あれほどにべもなく断られるとは思わなかったがな……。確かに、もう養子になるよりは妻を迎えて子を育てる時期か……」


今の俺の屋敷には、最低限の使用人以外、俺しかいない。

だから余計に人恋しく、息子の亡くなった年と同じ年ごろの子供を見ても、声をかけてしまうようになってしまった。

眠れずに、酒をちびちびと飲みながら、暗い庭に灯る篝火を眺めていたらば、庭向こうからギシギシと牛車のきしむ音がして、門の前に泊まる。

申す申す、と上がる牛飼い童の訪う声に、軽く袿を引っかけ、身支度を整えると、傍らに刀を携えて、使用人用の門を開けた。


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