第2話 『悲痛な叫びと行ったり来たり』

今日は最悪の日だ。


 この女『トワ=スレンド』は今日という忙しすぎる日を心から呪っていた。朝叩き起こされたと思えば今までほとんど休むことなく戦い続けさせられ、肉体的にも精神的にも限界が近づきつつある。


 更に彼女は目の前に立ちふさがる現実に頭を抱えていた。


 なぜなら彼女の目の前に顔のほとんどを口が占めた植物の化け物が立っているからだ。全長は5mほどありさらにこの植物を特徴的なものにたらしめているその大きな口からは透明の唾液が大量に流れ、ただ眺めるだけで恐怖を呼び寄せてくる。更に辺りをうねうねと動き回る大量の根のようなものは高速で彼女たちを攻撃し、討伐することを困難なものにしている。その植物の化け物はつい先ほど30人ほどいた彼女の部下をその大きな口で噛み、根で刺し殺し、彼女ただ一人になってしまった。現在両者は共に睨み合い次にどちらが攻撃を繰り出すか互いに膠着し合っている。


 一方彼女トワは敵と膠着しながらも時間を気にしている。今どれくらい経ってしまったのか、皆が亡くなってから『1時間』以内には倒さなければという考えが彼女の頭に走り焦りが如実に顔に現れる。照り付ける太陽のせいか、走り回り続けたせいだろうか顔には汗が垂れ、唇はカサカサに乾燥し一部が剝がれそうになっている。


 目の前の化け物と対峙している今の状態のことは固唾を飲む状況であると言うべきであろうが飲み込むほどの唾液はもう既に消え去さってしまった。


 両者間に流れる静寂。次にどちらが行動を始めるか、その手に対してどう反応するべきか互いに睨みを利かせている。






 張り詰めた空気を壊したのは意外なものだった。トワは周囲の状況を把握するべく忙しく目を回したからだろうか、一早く目の前に起こった異常事態に気づくことができた。空中に突然現れたソレは明らかに人の形をしている。空中で両手を広げた状態の人間が自由落下のもと急速にその身を地面に叩きつけようとしている。



 彼女は助けなければといった考えが走ると同時に体が動き始めた。





「大丈夫、生きてる!?あなた空から落ちてきたのよ!誰にやられたか分かる?」

 聞こえてくる女性の声。焦って話す声が可愛いが顔が分からない。顔どころか辺りの景色すら見えない。自分の体に触れられている手の感触から何者かに抱えられていることは分かるがそれ以上の情報が掴めない。それに『指パッチン』をしてからの記憶が全くない。あれからどれくらい経ったのであろうか、彼は知らぬ間に気を失ってしまったらしい。急いで重く硬くなってしまった瞼を必死に開こうとする。目を開いた先に入る日光に目がやられそうになるが構わず見開くとそこには普段目に入るはずのない美少女が自分の視界のほとんどを占めていた。

 

 空よりも澄んだ薄い水色の髪。光を乱反射しているように錯覚してしまうほど輝いたエメラルド色の目。彼女の着ている服装は今まで見てきたことのある服装と比べ異質なものであり白と黒、水色を基調としたものであった。彼女の姿全体を見通して言えばアニメのキャラクターがそのまま現実世界に飛び出してきたようなそんな不思議な感覚に陥る。


「大丈夫、意識はあるかしら?」


 焦っている顔も可愛い。彼女の顔が目と鼻の先にあることから彼女に支えられていることが分かる。更に辺りの視界は高速に左から右へと移り変わり、上下に揺れ、少しばかり風を感じる。どうやら自分を抱えながら走っているらしい。


「あ、あの僕は一体」


「良かった意識は戻ったのね。良い、今から言うことをよく聞いて。この後十秒経った後にあの化け物に向かって魔法を撃つ。撃たれたタイミングでとにかく東に走って。そうしたら小屋が見えるからそこまで行ければ多分助かるから。分かったかしら」


 切羽詰まった彼女の声。洛錬は何が起こっているのかまだ把握できていないが彼女の声のトーンからただ事でないと思う。一瞬辺りを見渡すとそこには植物のような巨大な化け物がこちらを見つめている。いやもっと正確に言えば顔の全てが口だけでできているためそのように形容するのは正しくないのであろう。簡単に言えば『ハエトリソウ』が巨大になったような化け物。洛錬は彼女があのような化け物と戦っているのか、あんな化け物に自分も狙われているのかと考えるだけで背筋が凍ってしまう。


「大丈夫?分かった?」

 迫真の大声で洛錬に疑問を投げかける。


 彼女の必死な声によって洛錬の意識が声の主の方に移る。


「あ、、はい、分かりました」


 言われた言葉に対し買い言葉として返事をするが正直今がどんな状態か良く分からない。洛錬は化け物が自分たちを狙っていることは分かっているがそれ以上のことは分かっていない。突然の彼女はあの化け物を倒すことができるのか、今この現状は何なのか、何で化け物から逃げているのか、ここはどこなのか、彼女は誰なのか色々な考えが頭の中を交差するが何もまとまることはない。


「3、2、1、今!!」


 そう彼女の精一杯の絶叫の元、体が宙に投げ出される。彼女の優しさかそっと空中に投げ出してくれたことによって怪我をすることなく地面に着地する。洛錬はどこにでもありそうなその黄土色の地面を両足で確かに踏みつける。一度は地面に足を踏むことはないだろうと覚悟していたほどだが地面を踏み、今は生の実感を味わう。


 ―俺は今確かに生きている


 柵の上に立ってからそれほど時間は経過していないはずなのだが洛錬の頭の中はその考えで一杯であった。


 生を噛みしめた後洛錬は次に足を動かし始める。自分に出来ることは何もないと思い、彼女に言われた通り小屋を目指し東に向かって地面を駆ける。


 しばらく走った後今いる場所からかなり下の方に沢が見え、今いる場所が今いる場所が少し丘になっていることを理解する。それと同時に木でできた家のようなものがそこにはあった。外装から天井に至るまでが大きな丸太で作られており、ログハウスと言える建造物で洛錬は自分の家に比べてもかなり大きいものでありどこも小屋でないと呟く。


 洛錬はそのまま丘を下りログハウスに向かう。木でできた扉を開けようとすると建付けが歪んでいるのか『キーッ』といった歪んだ音が鳴り、扉を開けるのには洛錬の精一杯の力をかけないといけなかった。


 扉を開いた先に広がる世界は無人のベッドの列。建物の中には光の類は何もなく窓から入ってくる日光のみで部屋全体は暗い。


「すみません!!誰かいませんか!!!!」


 洛錬の叫びをかき消すような沈黙。返事を返してくれる人は誰もこの中にいない。


「すみません!!誰か!!」


 誰かいないか叫びながら部屋の奥へ奥へ進んでいくが人の影は現れることが無い。


「誰か!!戦っている人がいるんです!!植物の化け物と戦っているんです!!誰か助けてくれませんか!!!」


 洛錬はただ誰かいないか自分の現状を模索する内容から本人も気づかないうちに女性を救うことを懇願する言葉に代わっていた。


「誰でもいいから助けてくれよ、、、、」


 絞りだしたような情けない声。だが無情にも洛錬の声に答えてくれるものは現れない。彼は植物の化け物をただ一目見た瞬間に自分自身ではどうすることもできないものであることを悟り、彼女の言葉通り逃げることを選んだ。だが今安全な地帯にたどり着き彼はどうすることもできない自分の無力さを呪い、ただこの家の中を駆け周り、声を枯らすばかりである。何か地図のようなものさえ見つかれば、町まで行き助けを呼べるのかもしれないと思うものの特に見つからない。


「何で、どうして、どうすれば。どうすればいいんだ!!何か、何かないのか!!!」

 

 どうすることもできない虚しさと自分を助けてくれたであろう人を見捨てて逃げてしまった自分の心の弱さにムカつき自分の気持ちを両手の拳への力に変え建物の壁に当てる。

 

『ドスンッ』と音が部屋一帯に響いた後、あるものが自分の目に留まる。左手の人差し指にささった『それ』は先ほど日光に反射しあれほど輝かしく光っていたにも関わらず今は部屋の暗さも相まってか光を失い金属の無機質さが目立っている。

 

 この『指輪』を使えばもしかすれば元の世界に戻れるかもしれない。元の世界に戻ることさえできれば何か状況を変える手立てがあるかもしれない。もしくはここでも元居た世界でもない別の世界に行ってしまうかもしれない。行った先の場所にとんでもないものがあって命の危機に陥ってしまうかもしれないといったような色々な考えが彼の頭の中を錯綜する。


――それでも、自分を助けてくれた人を救えるのなら。俺は俺を救ってくれた人に命を懸けたい


 洛錬は先ほどやったように親指と中指を擦り合わせ『指パッチン』を行おうとする。一度目はただ自分の命を救うために。次は自分を助けてくれた人を救うために『指輪』の持つ能力を使おうとしている。


「どうか、どうか元の世界に」 


『パチン』

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