青に溶ける

ふあ(柴野日向)

第1話

 手元でパチパチと火の粉が爆ぜる。白く青く、時には緑や黄色にも輝き、光の粒を砂の上に惜しげもなく散らしていく。何か生き物が息絶えるように炎が勢いを失うのを察すると、真斗まことはその命を永らえるように、次の一本を手に取り蝋燭の火にかざす。そして再び明るい炎が棒の先から迸るのをぼんやりと眺めて過ごす。暗い砂浜には人っ子一人姿はない。

 大学の夏休みを利用して小島を訪れてはや三日。既に暇を持て余していた真斗は、商店で買った手持ち花火を一人で楽しんでいた。大学のある街のごみごみした空気に飽き、かといって田舎に帰省する気も起きず、ふと思い立ち、港からフェリーで一時間の島に滞在することにした。海辺の田舎に一度浸ってみたかったのだ。

 だが、一日二回しか船の出ない島の生活は、あっという間に真斗を退屈でいっぱいにした。二十歳になる年に、なんで俺は一人で花火をしているんだ。静かな波の音に、よけい虚しさがこみ上げる。

 しゅうと小さな音を立て、手元の花火が最後の光を砂浜に落とした。蝋燭もすっかり力尽きている。

 もう戻って寝よう。そう思い顔を上げた先で、真斗は海の水が跳ねるのを見た。水平線から昇った満月の明るさで、十メートルほど向こうの海は青く輝いている。静かにいったりきたりする波が、ぱしゃりと弾けた。

 波の間に、黒い影が揺れてていた。それは人間の頭にしか見えなかった。逆光で顔は見えないが、大人ではなさそうだ。波間にぷかぷかと浮かぶ誰かが、じっと真斗を見つめている。

 呆然と影を眺めていた真斗に、ふっと恐怖の気持ちが湧き上がった。時刻はもう夜の九時を過ぎている。こんな遅くに、夜の海で泳ぐ人間がいるはずがない。幽霊や妖怪といった言葉が頭に想起され、真斗は思わず「ひっ」と喉の奥で悲鳴を上げた。

 その影がふと腕を上げた。波をかいて泳いでくる。あっという間に砂浜へ辿り着き、海の中から上がってきた。

 一刻も早く逃げたい気持ちと、律儀に片付けをしようとする気持ちがせめぎ合い、真斗は残った花火と蝋燭を歪な手つきでかき集めていた。焦る気持ちのおかげで、腕の間からぽろぽろと花火が零れ落ちる。もたつく足がバケツをひっくり返し、ふと目線が足元の懐中電灯に落ちた。民宿の親父が親切に貸してくれた、デカくて強力なやつだ。これだけ持って逃げようと、真斗はしゃがんだまま懐中電灯のスイッチを入れた。

 振り回した懐中電灯の先で、白い光がビームのように砂浜を走る。ゴミ一つない綺麗な浜辺に打ち上がった流木、大ぶりな貝殻、岩に張り付くフナ虫さえ見て取れる。

 その光の中で、海から上がった影は両手で顔を覆って立ち尽くしていた。その姿を見つめ、明かりを向けたまま、ようやく真斗は安堵のため息を吐いた。

「なんだよ……」

 それはどう見ても生身の人間だった。海水パンツを履いた中学生くらいの少年で、ひどく痩せた身体から海水を滴らせている。彼が光から逃げるように足を動かすのを見て、真斗も慌てて明かりを地面に向けた。

「ごめんごめん、まさか人が泳いでるなんて思わなくてさ」

 謝罪しながら近づくと、よほど眩しかったのか彼は目を擦りながら真斗を見上げた。ゆうに頭一つ分は背が低い。

「……花火」

「花火?」

 囁くような小声に問い返すと、彼はこくりと頷いた。

「花火、してたの」

 そうだと答えつつ、一人で花火をする寂しい人間と思われる懸念を覚える。しかし彼は気にしていない様子で、真斗が散らかした花火や蝋燭の散る方を見つめていた。

「綺麗だった」

 そう言ってくしゅんとくしゃみをする。いくら季節が夏とはいえ、夜に濡れっぱなしでは風邪をひく。「着替えは」と尋ねると、彼は向こうの岩場を指さした。

 成り行きでついて行くと、岩場の陰には畳んだ服とサンダルとバスタオルが置いてあった。少年はタオルでしっかりと身体を拭き、簡素なシャツとハーフパンツの上に薄いウインドブレーカーを羽織る。サンダルを履き、フナ虫の大群に怯える真斗を見て少しだけ笑った。

「お兄さん、島の人じゃないよね」

 彼はみなとと名乗った。今年で十六歳だという彼は、目を見張るほど肌が白かった。日焼けに慎重な女の子でもこうはいかないだろう。白い肌とは対照的に、小動物を思わせる大きな黒い瞳が印象的だ。

「一人で花火してたの」

「ああ。まあ……」気まずさを誤魔化すように、隣りを歩く湊を見下ろす。

「そっちはまさか一人で泳いでたのか? こんな時間に」

「うん」

 変な子だ。そう思いながら片付けをする真斗の横にしゃがみ込み、湊は花火の一本を手に取った。

「まだ、たくさん残ってるよ」

「今日はもう帰るよ。遅いから」

「捨てちゃうの」

 あげようかと言いかけて、真斗は違う台詞を口にしていた。

「一緒にやろうか。明日にでも」

 花火を見下ろしていた顔を上げ、湊はそれをぱっと綻ばせた。思春期らしいひねくれ具合のない、まるで子どもじみた笑顔だった。

 明日の夜九時に待ち合わせ、真斗は彼と別れた。民宿を通り過ぎ、彼の姿は夜闇の中へ溶けるように消えていった。

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