第五局

『竜王の娘』

「サファイア! このあと、用事ってあるかい?」


 ウィリアムズ君がそう話しかけてきたのは、火曜日、ホームルームが終わってからのことだった。

 せっかく声をかけてもらったのに申し訳ないけれど、今日は用事があるんだよね。


「ごめん、今日は用事があるねん」

「そっか、残念」


 私が断ると、ウィリアムズ君は少ししょんぼりした様子で肩を落とす。

 今日は駒ヶ坂先生が出張でクラブがお休みだったから、もしかすると、練習将棋のお誘いだったのかもしれない。


「道場に行きたかったとか?」

「将棋といえば将棋だけど……一緒に動画を見たかったんだ。対局の中継動画」


 対局の? それって……


「もしかして、A級の順位戦見ようと思っとった?」

「That's right! よく分かったね。もしかして、サファイアってチョーノーリョクシャ?」

「超能力者ではないなあ」

「だよねえ」


 自分で言った冗談なのに、ウィリアムズ君はくすくす笑っている。

 でも、そうか。順位戦を見たいのか。それなら話は別だ。


「順位戦やったら、私も帰ったら見るつもりやで」

「そうなの?」

「うん。よかったら、うちで一緒に見る?」


 さっきとは逆に、こっちからお誘いをかけてみる。

 終わるのが遅くなるだろうし、最後までは一緒に見られないとは思うけれど、晩ごはんの時間ぐらいまでなら私は問題ない。

 ついさっき断ったばかりだったのに、今度は家に来てもいいとまで言ったものだから、ウィリアムズ君は嬉しそうな半面、戸惑っている様子だった。


「いいの? サファイアの家、急に行っても大丈夫?」


 心配そうにしている彼に、私はごくごく当たり前に答えてみせるのだ。


「ええねん。うち、今日はお父さんもお母さんもいてへんから」




 誰もいない家のドアを開けると、しーん、という音が聞こえてくるような気がした。

 お父さんもお母さんもいないことが不思議で仕方ないのか、ウィリアムズ君は落ち着かない様子できょろきょろしている。


「本当に、DudもMumもいないんだね」

「うん、まあ。靴、適当に脱いで上がってな」

「あ、うん。オジャマシマス」


 きっちり靴をそろえて脱いだ彼を、リビングに案内する。お母さんの仏壇がある部屋のドアが開けっ放しになっていなかったことに、少しほっとした。

 二人分のジュースを用意しておいて、自分の部屋へノートパソコンを取りに行く。ネットで対局したり対局動画を見て勉強したりできるようにと、お父さんがお下がりをくれたのだ。

 一階へ降りてくると、「あーっ!?」という叫び声が聞こえてくる。

 何かあったのかな?

 急いでリビングに戻ると、ウィリアムズ君が何かを見ながら唖然とした表情を浮かべていた。


「ウィリアムズ君、どうしたん?」

「さ、サファイア! どうしたん、じゃないよ! これ、これ、竜王が写ってるじゃないか! どういうこと!?」

「ああー……」


 そっか、そういうことか。

 ウィリアムズ君と、彼の指さす写真立てを見て、大体の事情を察した。

 うちのリビングには、いくつか家族写真が飾ってある。

 ウィリアムズくんはたまたまそれを見て、私と現竜王が写っていることにびっくりしていたんだ。

 最強ともいわれる竜王のタイトルを持つお父さん――白銀飛鳥は、今や将棋指しだけじゃなく、ちょっと将棋を知っている、あるいは全然将棋を知らないような人でも知っている存在だ。イギリス出身とはいえ、一介の将棋指しであるウィリアムズ君が、お父さんを知らない道理はない。

 別に、隠しきれることだとも思っていなかったし、教えてしまってもいいだろう。


「その人な、竜王の白銀飛鳥さん」

「うん」

「私のお父さんやねん」

「……What? What did you just say?」


 私がさらりと白状すれば、ウィリアムズ君は何度もまばたきをする。

 何だって? って言ってるのかな。


「だから、私のお父さん。マイ・ダディ。どぅーゆーあんだすたん?」

「……That's unbelievable!」


 念押しするように言った私の肩を、ウィリアムズ君は勢いよくつかんで何度もゆさぶってきた。

 まんまるに見開かれて、きらきら輝いている目を見れば、驚きやら感動がないまぜになって興奮しているのがよく分かる。


「白銀竜王が君の父親? すごいじゃないか! どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」

「教えんかったら、困ることでもあった?」

「そ、そういうのはないけどさ……」


 困ったように、口をもごもごさせるウィリアムズ君。

 ちょっと意地悪な言い方、しちゃったかな。

 でも、もしも、私と仲良くしてくれる理由が、「白銀竜王の娘だから」っていうことになったら、すごく傷つくもん。

 そういう気持ちが、ほんの少しでも顔に出ていたのかもしれない。


「サファイア」


 ウィリアムズ君が、突然、真面目な表情で私の目を見つめてくる。

 窓から差しこむ西日が、彼の端正な顔をまぶしく照らし上げる。

 そのまなざしがあまりにも真剣そのものだったから、ドキッと胸が高鳴ってしまった。


「おれはね、君が白銀竜王の娘だって知らなくても、変わらず君と友達になっていたよ」

「……ほんまに?」

「本当さ。だって君は、おれが向かい合って将棋をさした、初めての人なんだ」


 初めて? 私が?

 じゃあ、ウィリアムズ君は、今までどうやって将棋を勉強していたんだろう?

 そんな疑問はあったけれど、すぐにそれはかき消えてしまう。

 だって、嬉しかったんだ。

 私を、きちんと一人の将棋指しとして見て友達になったんだって、こんなにもまっすぐに伝えてもらえたんだから。

 それにしたって、こんなに近い距離でそんなことを言われたら、恥ずかしくってかなわない。

 だって、さっきからずっと肩をつかまれたままだし、顔はお互いの息がかかるほど近くにあるんだもの。

 ただでさえ王子様みたいな見た目をしているのに、こんなに真面目な声でしゃべられたら、ドキドキしてしょうがないよ!


「わ、分かった。分かったから!」


 まともに顔が見られなくなって、あわててウィリアムズ君から目をそらした。


「とりあえず、順位戦、見るんやろ。準備するから、一旦座ろ?」

「おっと、そうだったね!」


 私の言葉に、彼はぱっと手を離すと、いそいそとソファーのほうへ向かっていく。

 た、助かった……

 やっとひと心地つけたような思いで、私も動画を見る準備を始めた。

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