サファイア!~リボンの棋士はあきらめない~
四条京
第一局
マイ・ネーム・イズ
三が日もとっくに終わって、どことなく浮かれた気持ちが元に戻ってきた今日は、三学期の始業式の日。
ストーブのついた、暖かい教室の中に入るや否や、私は一番後ろにある自分の席にそそくさと向かって、ランドセルの中身を全部机にしまってから、本を取り出した。
カバーをかけた分厚めの本は、私の年頃の子が読むような、物語の本じゃない。
じゃあ何を読んでるのかっていうと、これ。
『将棋の参考書~振り飛車持久戦編~』
どんな内容か分からない?
これはね、将棋の技術書なんだ。
将棋っていうのは、九列×九行、計八一のマスに区切られた盤の上で、駒を二人で交互に動かして勝敗を競う、日本に古くから伝わるゲームのことだ。
駒の種類は、歩、香車、桂馬、金、銀、飛車、角、そして王の八種類。八種類・二〇枚ずつの駒を使って、互いの陣地を攻めて駒を取り合う。攻める駒が相手の王様へねらいをつけることを『王手』、王様がどこにも逃げられない状態になることを『詰み』っていう。そして、最終的に王様を取ったほうが勝ち、取られたほうが負けになる。
日本の子どもは、昔は誰でも将棋を指せたとも言われているらしいけれど、今ではそうでもないと思う。将棋というゲーム自体は知っていても、ルールや駒の動かし方を知らない子は結構いるみたい。
だけど、私の場合は少し事情が違う。
私のお父さんは、職業としての将棋指しであるプロ棋士。
お母さんは、これまた職業としての将棋指しだった、元・女流棋士。
そんな二人の間に生まれ育った私もまた、根っからの将棋指しなのだ。
お父さんから将棋を教わったり、学校のクラブで先生を相手に対局したり、休みの日には将棋道場に通ったり。
今みたいに、休み時間にはこうして本を読んで勉強もしている。
この先ずっと将棋を続けていくかは、まだ分からないけれど。
とにかく私は、普通の人よりは、ちょっと、ううん、かなり真剣に将棋をしているほう、だと思う。
「はーい、皆さん席についてー。朝の会を始めますよー」
チャイムが鳴るのとほとんど同時に、担任の先生が入ってくる。それを見て、私は読んでいた本をぱたりと閉じた。
先生……
学校にいる先生たちの中では一番若いけれど、意外にも将棋の中継を見るのが好きな、いわゆる『観る将』。将棋クラブの担当もしてくれているんだ。
すごく真面目で礼儀正しくて、開けたドアはきちんと閉めるタイプの人……なんだけど、そんな先生が、今日はなぜか、入ってくる時に開けたドアをそのままにしている。
どうしたんだろう。冬だし暖房もついているし、換気のつもりかな。
そんな見当違いなことをぼんやり考えていると、いつもよりも少し弾む声で、駒ヶ坂先生は「さて」と言った。
「今日はですね。何と、転校生が来ています!」
先生の言葉に、にわかに教室がざわめく。
転校生が、しかも年が明けて学年が変わるまで間もないこの時期に来るなんて、確かにめずらしいことだもんね。
「転校生やて! めずらしいなあ」
「男の子やろか、女の子やろか?」
「おれ、女の子に来てほしいなあ、ウチのクラスの女子みたいにガサツやない子!」
「何やてえ!?」
おどけた調子で言う男子に、目くじらを立てる女子。
すっかり浮足立って、さわがしくし始めたクラスメイトたち。
もうしばらくしたら六年生になるっていうのに、みんな、落ち着きがなさすぎるにもほどがあるんじゃないだろうか。
私だって、転校生が来るのは、ちょっとわくわくする。
でも、だからって、そんなにはしゃいでたら――
「もう、みんな静かに! 朝の会が進められないでしょー?」
ほら、先生が困ってるじゃん。
思わずため息をつきながら、私は一人、ひっそりと居ずまいを正した。
困ったような、あきれたような笑顔のまま、どうにかこうにかみんなを静かにさせたところで、先生はわざとらしくせきばらいをする。
「じゃあ、みんなも楽しみにしていることだし、入ってきてもらいましょうか!」
ドアの外へ体を向けて、小さく手まねきをする先生。
すりガラスの窓の向こう、ぼんやりと見えていた影が揺れて、そのまま教室に入ってくる。
その姿が、初めてはっきりと見えた瞬間――
「……わ」
私は思わず、口元に手を当てて、声をもらしていた。
私たちよりもずっと白い、けれど少し赤らんで確かな温度を感じる色味をした肌。
すうっと通った鼻筋とうすい唇、ペリドットみたいにきらきらした瞳。
赤いフレームの眼鏡をかけた小さな顔には、それらが、まるで神様の完成させたパズルのようにバランスよく配置されている。
お人形さんみたい、なんていう例えさえ安直すぎて、それこそ失礼に思えるほど整った顔立ち。
それを見ていると、心臓がバクバクとうるさいほどに音を立てる。
ああ、私、今、めちゃくちゃ緊張してるんだ……
「それじゃあまずは、自己紹介をお願いね」
またざわざわし始めたみんなを、けれど今度はいさめることもせずに、転校生君に自己紹介をするようにうながす先生。
彼がこくりとうなずくのに合わせて、さらさらのブロンド・ヘアーがかすかに揺れた。
「Hi! My name is Alfred Williams. Nice to meet you!」
はきはきとした調子で、流ちょうに話された英語。
彼自身の見た目を裏切らない、私たちが普段ふれているのとはまったく違う言葉。
ぽかんとしている私たちを、ぐるりと一周見回して、彼は人なつっこい笑みを浮かべる。
得意げに頬を赤くして、彼は、「ええっと、」ともう一度口を開いた。
「初めまして! おれはアルフレッド・ウィリアムズ。仲良くしてくれるとうれしいな」
フランクな言葉のあとに、彼はニカッと歯を見せて笑う。
同い年の私たちよりも、少し大人びて見える姿からは想像もつかないような、あどけない笑顔。
「よろしくな、アルフレッド!」
どこかの席から、誰かが楽しそうに声を上げる。
その言葉を皮切りに、自然と、教室中から拍手がわき起こった。
そうして、転校生――アルフレッド・ウィリアムズ君は、クラスメイトたちの心をあっと言う間にひきつけてしまったのだった。
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