屍鬼という魔物
火の傍で、うとうとしているゲインを見ながら俺は周りを警戒しているが、なにかが動く気配もない。それは小さな動物の気配も少なくて、何だか不穏な感じだ。
先に招聘された聖人とやらが自国の近くを重点的に清めているのかも知れないが、ここだけ清めても意味はない。実際に屍鬼に浸食されているのは、ガロニ島に近い海岸沿いのはずで。
まあ、トレモ帝国は、フィランスタ聖公国の更に倍の大きさで、この大陸の下の方半分欠けるぐらいの巨大な帝国だ。それの半分近くがやられていると報告には在ったが、実際は三分の一ぐらいだろうと考えている。
避難している人が少ない気がするし、ここまで国境が近い場所に難民らしき人もいないからだ。聖人が行って何とかなっているのなら、逃げる先は近いフィランスタ聖公国が最優先だろう。それとも国同士の仲でも悪いのか。
考え事をしている間に随分時間が過ぎていたようだ。
夜が空けて朝日が射してくる。木々を抜けて光が地面にも降りてくる。
ゲインが自分に当たった光で目を覚ました。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日もいい天気ですね」
「そうだな」
国境までもう少しだし、そこまですぐ移動するか。
俺はゲインの腰を抱える。
「あ、あの?」
「国境まで移動するから、舌咬むなよ?」
「え、うわっ」
抱えたまま空中に浮かぶ。
「ちょ、え、わ」
「本当に気を付けろよ?」
目印の小さい山も見える。やっぱり夜に移動は出来ないな。
ゆっくりだが移動を開始する。
「もしや、エルムさんは魔法使いですか?」
「…これをしてて魔法使い以外だったら、怖いだろ」
「そうですね」
納得したようだ。それなら少し速度を上げる。遠くに見えていた山はどんどん近づくが、国境になっている所が煙の一つも立っていない。
「…手前で降りる」
「あ、はい。どうされましたか?」
「国境の手続きをするはずの場所に人気が無い」
「え?」
直ぐ近くで降りたが、あるはずの小さな村が、見当たらない。
「この先でしょうか?」
「そのはずなんだが、村の場所を移動するとか有り得るのか?」
俺がゲインに聞くと流石に首を横に降られた。
「国境は法律で決められているはずなので、勝手に移動は出来ないはずです」
「だよなあ」
歩きながらそんな話をして、村があるはずの場所に立った。
「ああ、なるほど」
村だった場所は遠目で見ると分からないほど壊されていた。
大きな家などの建物はすべて平らにならされていて、何かに潰されたような跡がある。この地に現われている脅威は屍鬼のはずだが、こんな事が出来る魔獣がいるって事か?
ゲインがつぶれた家を見て歩いている。
生き残りというか、動くものが見えない。
何でこんな事になっているのか。
「エルムさん。こちらを」
「え、どうした?」
ゲインが呼ぶところに行ってみる。
指さされた先には家の下に潰れた何かの遺骸があった。
人型だろうが、肉体が腐っていて判別がつかない。
「あとこれを」
床というかつぶれた家の元屋根に、見た事のない魔法陣が書かれていた。描かれている呪文からすると、封じの魔法に見えた。
つまりここは、この死骸を封じるために村を潰したという事になる。手分けして潰れた建物のどこかに魔法陣が無いか探してみた。
どの家にも何処かに描かれている。
屍鬼を封じるために物理的に押しつぶし、その上を魔法で封じる。かなり強引なやり方だ。聖なる魔法が使えない苦肉の策だろうが。
「かなりまずいな」
「そう、ですね」
此処は国境だ。それが屍鬼の被害に遭っているという事は、多分フィランスタ聖公国にも、もう入り込んでいるはずだ。
俺はゲインを見る。故国が危機なのだ。誰かに知らせに行くかもしれない。
「この先が心配です。急ぎましょう」
俺に向かってゲインがそう言った。
驚いた顔をしている俺に苦笑する。
「僕が言ったところで、あの国には信じてくれる人がいません。それよりも先へ行って何とかする方が良いと思います」
そう言って微笑む。
いや本当に、ゲインが聖人でよくないか?
「おい!お前たちは何処から来たんだ!」
壊れた建物の前にいる俺達に呼びかける声がした。
見ると、重鎧を着た大柄な男が近寄って来る。ゲインが背筋を伸ばして男を見た。黒っぽい鎧の胸には何かの紋章が着いている。
「まさか、フィランスタ聖公国から来たのか?」
「はい。向こうの森を越えてフィランスタ聖公国から来ました」
そうゲインが答えると、男は頷いてから森の方を見る。
「此処は既に安全ではない。俺はこれから軍に合流するがお前たちも来るか?」
ゲインを見て肯いたのを確認してから、俺を見た。
「お前はどうする?」
言われて俺も頷く。
「俺は、帝都トレモロに行かなければならない。そこにある冒険者ギルドに行って確認を取りたいんだ」
俺の言葉に男は首を横に降った。
「無理だ。帝都トレモロは半壊している。まだ市民はいるだろうが立ち入りは禁じられているだろう」
そうか、もうそんな事に。
「ならば余計に俺が行かなければならない」
「どういう事だ?」
鎧の男が首を傾げる。ゲインが不安そうに俺を見ていた。
「俺はクラータ王国のショロンから来たエルムという。ギルド連盟の依頼を受けてトレモ帝国経由でガロニ島に行く」
「ギルド連盟の」
男が呟いた。
「あれは白金等級の冒険者たちに発令されて失敗したはずだ」
「それを受けて、新たに俺に依頼が来たんだ」
「お前ひとりに?」
俺はきっと苦笑している。
「そうだな。無謀だとは思うけど、まあできる所までやるよ」
「お前のタグを見せてくれ」
まだ疑っているのだろう男に言われて、首から下げているタグを服の内側から出して見せる。
「確かに白金だな。しかしお前のような少年が一人で行く所では無い」
「…体格とか顔とかで、俺の能力を判断しないでくれ」
「では、一緒に来て侵蝕を食い止めて欲しい。それでトレモロに案内するか考えよう」
「まあ、もともと行く先で被害があるなら、手を貸すつもりだったから、それでいいよ」
そう言っているその横で、ゲインが俺を見て黙っていた。
「どうした?」
話しかけると、困ったように手を左右に降りだした。
「あの、僕、白金等級の冒険者とは知らなくて、その、失礼を」
「失礼って」
つい笑ってしまう。
「冒険者に失礼とかないだろ。人として対等にしてくれればいい。むしろゲインは俺より年上だろうに敬語でこっちが恐縮しているよ」
「え、僕はこれが癖なのですけど、お嫌でしたか?」
「嫌じゃなくて、凄いなあって感心してた。俺はそういう話し方出来ないから」
本気で思っている。俺には丁寧な言葉は難しい、いつも苦労している。
「そうですか」
そう言って困ったように笑うゲインは、男に頭を下げる。
「僕も一応聖なる力が使えます。何かできれば」
「おうそうか、それは良かった。今は一人でも手が欲しいから助かる。君はフィランスタ聖公国の人間か」
「はい」
頷くゲインに対して、男はそれ以上何も言わなかった。
伴われて歩いていける場所に馬車の隊列が待っていた。
「わざわざここに寄ったのか」
俺は馬車を見ながら聞いてみる。
「そうだ、此処が一番フィランスタ聖公国に近いからな」
うん?どういう意味だ?
「詳しい話は馬車の中でしよう」
促されて馬車に乗り込む。
大きな馬車で、引いているのは軍馬な気がする。
走り出してから、男は被っていた兜を脱いだ。目は見えていたけど思ったより若いかも知れない。左頬に大きな傷跡があった。
「改めてようこそ、トレモ帝国へ。俺は帝国軍のアダプトという。我が国の白金等級は全滅してしまった。応援に来てくれたのは心強い」
「ああ、資料で見た。どうなっているか分からないから現状を教えて欲しい」
「そうだな」
そう言ってから何故かゲインを見た。
「君には悪いが我々はフィランスタ聖公国を、鎖国するかもしれないのだ」
「え」
ゲインが小さく驚いた声を出した。
「理由は?」
俺が聞くと頷いて話を続ける。
「国として公国に聖人を借り受けた。最初は幾らか止めて貰えたので感謝していたのだが。そのうち一人二人といなくなってしまった」
「何処に行ったんだ?」
ほうっと大きな溜め息をアダプトがついた。
「聖人たちが屍鬼になってしまった。そこまで侵入していた屍鬼はいなかったのだが自然発生のように何処にも屍鬼がいない環境で、聖人が変化した」
「…それで?」
「王が公国からの侵略と決めてしまった。我々にも真実が分からない以上、王に従うしかない。公国の人間全部が変わるのではないが、公国の人間はこれ以上国に入れたくないと言われてしまった」
ゲインが幾分青い顔で、アダプトに聞く。
「あの、入っても大丈夫だったでしょうか?」
「まだ発令されていないし、君以外にも多数の公国人がいる。まだ平気だ」
ほっとゲインが息を吐く。
「しかし、鎖国されたら国に帰ることは出来ないかもしれない」
「ああ、それは良いです」
ゲインの即答に、俺もアダプトも驚く。
「僕は此処で、助けになればいいのです。もとより生きて帰る気は有りませんでした」
そう言われて、俺はゲインを見つめる。
俺の視線にゲインが照れたように笑う。
「偉そうな言い方ですけど、そう思って来たのです」
ああ、もう絶対生きて返してやるからな。
俺が両手で顔を覆ったのを、呆れてアダプトが見ている気がした。
「そうか。それでは手伝ってもらおう」
頷いたアダプトが言うのを、ゲインが頷き返していた。
俺は変に興奮してしまった頭を冷やしたくて、馬車の窓を少し開けた。
おお、風が気持ちいいな。
連なって走っている隊列の真ん中ぐらいの位置の馬車から見える景色は馬が蹴立てている砂ぼこりの向こうにうっすらとしか、見えない。
大国と呼んで良いこの国は、海沿いに発達した歴史があり、内陸は荒野が多いと聞いた事があった。いま見えているのは確かにそんな景色で。
不意に前方から馬が走って来る。伴走している騎士だろうか。
「アダプト様!屍鬼が」
「なに!?」
その言葉を聞いて、俺は馬車の窓から屋根の上に上がる。
「おい!?」
下から声が掛かるが、返事をしている暇がない。
身体を飛ばして、先頭の馬車の所まで行く。確かに乾いた地面に多数の屍鬼がいた。こんな町も村も見えない所にどうして。
「〈聖清〉」
俺がいる場所から波紋が広がる。触れた屍鬼が崩れて倒れる。その向こうからまだたくさんの屍鬼が歩いてくる。
馬車が止まったのでその前に降りて立つ。
「君は」
「後ろにいてくれ」
範囲を広げるために手を伸ばして、もう一度魔法を使う。
「〈聖清〉」
前方に範囲を広げて魔法を放つ。遠くに見える屍鬼まで届いたようだが、その先にまだ居る。どれだけいるっていうんだ?
後ろからアダプトが来たようで、俺の後ろに人の気配がする。
「どれだけ来るんだ?」
「最近はこうやって大群が徘徊しているのだ。おそらく壊された町や村の人々が」
そこまで言ってアダプトが黙る。屍鬼が集まって来ていた。
「〈聖清〉」
もう一度範囲を広げて近づいている者から、倒すように魔法を放つ。
「まだ居るみたいだな」
倒れた屍鬼を乗り越えてまだ歩いてくる。走ってこないだけましか。
面倒だ。
俺は走って、まだいる軍勢に突っ込む。
「〈聖清〉」
その場で範囲を広げて、魔法を放つ。
やっと全部の屍鬼が動きを止めた。息を吐いて辺りを見回す。
やはり、村も町も見えない。
振り返るとアダプトが走って来ていた。他の軍人さんも後ろから来る。
「全部、倒したのか」
息を切らしながらそんな事を言われた。
「見える範囲は」
「そうか」
俺はあたりを指さしてアダプトに聞く。
「ここらには、街も村も見えない。まさかとは思うが都市から来てる訳じゃないよな?数百ぐらいの数だけど、多すぎないか?」
「多分近くの都市がやられたのだろう」
アダプトを見上げる。
「この馬車は何処を目指していたんだ?」
「…その近くの都市だ」
「そうか。行くのか?」
「生き残りがいるかも知れない」
「数千の屍鬼がいるかも知れないけれど」
俺の言葉に、アダプトが苦い顔をする。
「それでも、確認しなければならない」
「分かった。付き合うよ」
「助かる、有難う」
まあ、帝都トレモロに行かなければならないしな。
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