ある奴隷の告白




 私の故郷はずっと戦争をしていた。


 今いる場所、クラータ王国から遥か遠く離れた、大陸も別のグラニカ王国という名前の国で、海を越えてすぐの隣国メソニカ王国との長い戦争が政治や経済の正常化を壊し、田舎者の働き口は兵役しかない様な、貧しい国だった。


 農村に生まれた私はたいした学もなく、子供など何の価値もない村では成人前から戦争に行かなければ食事すらとれないような状況だった。

 一般の下級兵など一日一回の食事で、ろくに切れない鈍らな剣で相手の肉を叩き潰し血に塗れて疲れ切っても、土の上で眠るしかない。


 生き残れば食事が二回に増えたりしたが、常に疲れ常に飢えていた私は、それでも犯罪に身をゆだねるほどの前向きさもなく。悪戯に何年も戦場に身を置き続けた。

 考えることを放棄していたのだろう。


 内陸で始まった戦地は徐々に移動し、海沿いの戦場で戦っていた私達に、船に乗った敵国の魔法使いが巨大な火の玉を何発も打ち込んで来たことが、戦争の一時停戦を作りだした。

 私達はボロボロのまま、敵国の船に乗せられ捕虜になった。

 着いた敵国では人的資源は金に替えるのが常識なようで、裁判に掛けられる事もなく多くの捕虜は次々と奴隷として売られていった。


 私も売られ、沢山の国を渡った。


 転売されるたびに傷が増えて、片側の頭の一部と片目が無くなり、右腕と左足をもがれて、売りに出すにもできないような体になってさえ、何かの実験に使えるのではという奴隷商人の店で、ただ息をしているだけの存在になった。

 汚れた檻の中で、一日に一回の食事もなく。ただ横になっているだけの存在。


 半分の視界で痛みに耐えながら、何故こんな思いをしてまで生きているのかと、自問自答を繰り返し。一つしかない眼からはもう涙も流れず。

 時間が過ぎても変わらない日々に、心の中は黒く塗りつぶされていくばかり。

 

 私がいる怪我や病気持ちの奴隷が詰め込まれている部屋は薄暗く臭くて汚いから、使い捨ての玩具を必要とした客しか訪れない。

 見に来るのは濁った眼をした変態ばかりで、買われれば苦痛を与えられてからの死。それ以外の未来はなかった。


 けれど、その日は違った。


 開いたドアから入って来たのは、真っ黒いローブを着た細身の少年で。美しい銀髪と紫色の大きな瞳。うっすらと桃色の唇が白い肌に映える様な、どこか貴族めいた人物がしかめ面をしながら、私達の檻の間を丁寧に見て回った。


 少年の後ろからは奴隷商人が焦りながら声を掛けている。

「戦闘用でしたら、ここではなく先程の獣人の方がお役に立つと思いますが」

「ちょっと黙ってろ」

 柔らかいアルトの声が苛立ちを隠さないまま紡がれる。

 私の故郷では絶対に有り得ない色合いに、ぼんやりと歩く先を眺め続けていた。見取れていると、彼は何故か私の入っている檻の前で立ち止まった。

「お前、料理は出来るか」

 たぶん私に聞いている。

 横になっている私に目線を合わせるために、しゃがみ込んで私を見ているのだから。

 

 もう声が出ない私が頷くと、彼も頷いた。

「洗濯とか掃除とか、出来るか」

 多分できると思ったので頷く。

「庭の管理とかもできるか?」

 それはやったことが無いので分からないが、田舎にいたから植物のことなら何とか分かるかもしれない。

 頷かなかったが、私の目を見ていた少年は立ち上がって私を指さした。


「これをもらう。いくらだ」

「しかしこれは、お客様の要望には答えられませんよ?何せ自分ではもう動けないのですから」

 そうだ。

 瞳の色に見とれて頷いてしまったが、私の身体は自分の思い通りには動かない。

「これは、いくらだ」

「…金貨二枚です」

 残念そうに値段を告げる奴隷商人に少年が金貨を渡す。奴隷商人は私を檻から出した後、私の左手の甲に奴隷紋を刻み、そこに彼が指を乗せ魔法の契約がなされる。

「これでこの奴隷はあなた様の物です」

「そうか」


 少年…旦那様は私を白い布で包む。周りが見えなくなったが、誰かに抱えられた事は分かった。これは旦那様が私を肩の上に抱えているのだろうか?!


 ガチャリとドアの開く音がして、外に出たのが分かった。

 臭くない、ひんやりとした空気。

 その中を誰かに担がれて移動している。

 誰かと言っても多分、旦那様なのだろうが。


 またガチャリと音がして、どこかの家に入った。

 ドカドカと木の床を歩く音。

 そして私は降ろされて布を取られた。右肩を押さえてグルングルンと回したから、やはり旦那様が担いできたに違いない。

「まずは、治すか」

 なにを。

「〈〈再生〉〉」

 それは単純な言葉だったが、声が幾重にも重なって聞こえた。


 そして私の周りに光の渦が巻き起こった。小さな鈴の音がたくさん聞こえる。痛みはなく、ただ暖かいだけの奔流に身を任せていると、しばらくして光の粒が天井に上っていき、辺りが静かになった。

 私を見降ろしていた旦那様が屈み込んできて、両手で私の頭や腕や足を掴んだり触ったりした。それからまた立ち上がると頷く。

「うん。問題ないな。…立てるか?」

「え」

 声が出る。

 両目が見えている。

 自分の身体を見降ろせば右腕も左足も生えていて、頭を触ると頭部が戻っていた。


「魔法ですか?」

「そうだ。立てるか?筋力も戻っているはずなのだが」

 そう言われゆっくりと立ち上がってみる。

 こんな、奇跡が。

 呆然と旦那様を見る。旦那様は私の顔を見てクスッと笑った。その顔が美しくて。見とれた私の頬をポンポンと叩くと旦那様は大きなタオルを渡してきた。

「まあ、先に風呂に入れ」

「は、はい」

 旦那様はすぐ横のドアを指さした。

「綺麗になるまで出て来るなよ」

「はい」


 身に纏っていた物は黒く汚れた貫頭衣で、すり切れて破れ身体を隠すという最低限の役目も果たしていなくて、すでに何の役にも立っていなかった。身体は汚れた塊りがこびりついていて、お湯で何回流してもなかなか取れなかった。湯船は無限にお湯が満たされているので、どれだけ流しても困ることはなく。


 私は自分の腕を眺め足を眺め、洗い場にある鏡で自分の顔を眺めた。

 ああ、こんな風に五体が揃っているのは一体何時ぶりだろうか。両目で世界が見れるのは何時ぶりだろうか。自分で自由に体を動かせるのは何時ぶりだろうか。

 身体を洗いながら涙が流れていく。


 必死に洗ってから外に出ると、かごの中に着替えが置いてあった。

 私が風呂を出た事が分かったのか旦那様から声を掛けられる。

「それを着ろよ」

「あ、はい」

 洗濯してある服。それだけで嬉しい。


 旦那様のいるリビングに行くと、手招きされて椅子に座らされた。

 暖かい紅茶を出される。奴隷に対する扱いではないが、逆らうのも違うと思う。

「それじゃあ、詳しい話をするから」

「はい」

 この後どんな要求をされても、決して恨んだりしない。

 たとえ死ねと言われても。


「まず。俺はエルム。魔法使いだ」

「はい。エルム様、ですね」

「……子供に仕えるのは嫌かもしれないけど、諦めてくれ」

「いえ。全く嫌ではありません」

 ちょっと驚いた顔をされるエルム様に微笑んでしまう。

「そうか。で、お前の名前は?」

「あ、私はベルクといいます」

「ベルク、か」

「はい」

 エルム様はご自分の紅茶を飲んでから少し考える顔をされた。


「ええと、ベルクには家全般の事を頼みたい。洗濯、掃除、それから料理」

 それは奴隷商人の所で聞かされた通りの話で。

「はい」

「あとは買い物とか、庭の掃除とか」

「はい」


 見てみれば結構大きな家なのに、エルム様の他には誰もいないようだ。

 私が家の中を眺めているのを気付かれたのか、エルム様は肩を竦めた。

「前は母と姉がいたんだが、住み込みの仕事が見つかったから、ここには居ないんだ。まあ、俺一人で住んでいるんだが、最近外で食べるのが面倒になってきて」

 頭を掻きながらエルム様が苦笑する。


「で、料理を作る時間はないし。誰か雇うかって思ったら信用できないと家に入れたくないし。貴重品もあるし魔導具もあるし」

「なるほど」

「だから、奴隷にした。信用できるから」

「はい。決して裏切りはしません」

「う」

 エルム様が言葉に詰まるのを見て嬉しいと思ってしまう。


 今まで買われた先の旦那様にこんな感情を抱いた事もない。信用できると言われた事もない。奴隷は奴隷紋がある限り自分の主人は裏切れない。裏切れば死があるのみ。だから信用できるとは、随分冷静な旦那様だ。

「あの、家事の専門は女性が多いと思うのですが」

「女は駄目だ。面倒だから」

「…はあ…」

 なるほど。

 様々な事を想像しながら返事をした。

「玉の輿とか狙われても困るし、色事も勘弁して欲しい」

 溜め息と共に言われて、苦労してるんだなと察する。


「恋人とかは作られないのですか?」

「…次にそんな質問をしたら、怒るからな?…いらないから作らない。全てを話すのが面倒で、話した後も色々意見してきそうで嫌だ。俺は俺の自由にやっていたいんだ」

 なるほど。

 納得して頷いた私の顔を見て、エルム様が小さく笑われた。

 なんて綺麗な笑い顔なのだろう。私はそれに見とれてしまう。


「じゃ、飯を作ってくれるか?」

「あ、はい」

 リビングに、そのままつながっている自動竈の前に立つ。横には扉が付いた大きな箱があり、竈の反対側には水場とオーブンも設置されている。

「母と姉が居た時には二人でいろいろ作っていたんだが。俺は大したものは作らないから、汚れてはいないと思うが」

「あ、はい。綺麗です。あの、これは何でしょうか」

 見回した中で一番の謎の大きな扉付きの箱を指さすと、エルム様はニヤリと笑った。


「開けてみろ」

「はい。……冷たい!?」

「食品を長く保存できる『冷蔵庫』と言うやつだ」

「はあ、こんなモノが都会には在るんですね」

 カクンと首を傾げてから、エルム様が私を見た。

「そんな訳あるか。こんな異常品。…これは勇者が考えて作ったんだよ」

「勇者、さま?」

「あれは異世界から来て、向こうの知識を駄々漏れさせて、いろんなものを作らせている。今じゃ王都は何処の国よりも栄えてしまって、危なっかしい状態だよ」

 エルム様は怒っていらっしゃるようだったのだが。

「でもこれは使われてるんですね」

「……便利だからな」

 拗ねたような言い方に、微笑んでしまった私の頬をエルム様がぎゅと掴んだ。

「いいから、その中の材料で作れ」

「はい。私が作るものがお口に合うか分かりませんが」

 そう言った私の顔をしばらく眺めていたエルム様は、テーブルに向かいながら手を振られた。

「暫くはそれでいい。そのうち町にも連れて行くから、徐々にこの土地の味を覚えればいいだろ」

「はい。分かりました」


 私の新しい生活は、こうして幸福過ぎる程の始まり方をした。



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