昇(七十二歳)③

 ふー、よかった。グチや不満を延々聞かされずに済んだ。

 しかし、あの人を目にするたびに、何かにつけすぐに厳しく説教する小学生時代の担任教師を思いだす。顔はそっくりではないが、かっぷくがいいのと色が少し付いている大きなレンズのメガネが共通していて雰囲気が似ているし、何より両者ともに話が長い。松野さんは礼儀をわきまえた人で、ひどいことをされてはいないけれども、今なら問題になるんじゃないかと思うほどのその先生の指導によるつらい記憶のせいで、見ると沈んだ気分になってしまう。

 それにしても、今話になった裁判員制度も本当にどうかと思うよな。導入前から感じたが、何か強い理念のようなものがあってというより、諸外国で陪審員など市民が司法に参加するのが一般的になってきていたから、似たシステムをなんとなく取り入れた印象がするのがまずある。

 そして、対象となるのが凶悪事件だけというのが、いまいち腑に落ちない。司法に市民感覚を入れるのが制度を採用した主な理由のはずだけれども、凶悪事件でそんなに市民と裁判官で判断に差が出るとは考えにくい。

 冤罪かどうかのチェックや、死刑か無期かというところで多少違ってくる部分はあるかもしれないし、それらが重要であることは間違いない。だが、今しがた松野さんが言っていたように、裁判員が参加するのは一審のみで、せっかく裁判員が加わって出した判決が控訴されて意味がない状態になってしまっているという話もあるし、市民に多大な負担をかけてまでやるほどのメリットがあるようには思えない。

 それに、選ばれたら基本的に嫌でもやらなければいけないようになっているのも、場合によっては被告はやる気のない裁判員に人生を大きく左右しかねない判決を下されてしまうということだし、そうなったらきちんと裁いてほしい被害者や遺族などに対しても失礼だろう。市民感覚を取り入れるのであれば、民事のほうを裁判員裁判にしたほうがまだいいんじゃないか?

 あるいは、こういうのはどうだ。精神的に負担が大きい裁判員というかたちよりも、無作為に抽出するまでは同様に行うが、選ばれた人たちに裁判を傍聴してもらって、裁判官が下した判決を妥当と思うかなど、アンケートに答える形式で審査をしてもらう。現在裁判員は参加しない控訴審と上告審も同じく。

 その審査によって判決を覆せるようにはしないものの、書いた人の名は伏せつつ、すべてを公開するようにすれば、市民のチェックとして重みはあるし、今日やっている選挙の際の最高裁判事の審査の良い資料にもなるだろう。裁判員だと、守秘義務やしゃべるのが苦手だったりで、終了後に意見や感想を語りたがらない人もいるに違いないなかで、率直な声を知ることができて、司法がもっと身近になる効果も望めるんじゃないか?

 いつだったか、そんなに経っていないと思うが、駅のそばに弁護士事務所ができたはずだ。小耳に挟んだ程度だけれど、人柄がかなり良く、評判のいい弁護士らしい。駅までは自宅から少し距離があって、頻繁に足を運ぶことはないが、近くを通る機会でもあれば、このアイデアを話しにいってみようか。

 待てよ。だったら、国会も無作為に選ばれた人たちに傍聴してもらって、議員の質疑応答や採決の結果に納得できたかなど、同じくアンケートに答えてもらい、それを公にするという制度の実施も可能だろう。そして、それも選挙のとき投票する候補者や政党選びの参考にできるかもしれない。いや、できるであろう。

 ただ、こっちに関しては、どこに提案すればいいんだ?

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