瞳(十九歳)①
そのおじさんは、ニヤけた嬉しそうな顔で、それを私に見せてきた。
それとは、箱の中。投票箱の中だ。
今日は衆議院議員選挙の投票日。不正がないことを証明する目的で、っていうか実際のところは儀式っぽいけれど、一番初めに投票する人は投票箱の中が空であることを確認させられるのだ。それについては耳にしたことがあって、私は以前から知っていた。
目の前のおじさんは五十代……もしかしたら六十歳に達しているかもしれない。しわなどはそれほどでもないが、髪の薄さが予想の年齢を引き上げる。元からじゃなく、髪の後退によって広くなってしまったのであろう額は汗ばんでいて、ぬめっとした感じだ。「珍しいねえ。若いコはほとんど投票にこないのに、まして一番乗りだなんて。偉いねえ。政治に関心があるの? それとも、こんなに早く足を運んだのは、投票箱の中が見たかったからかな? どうであれ、きみには感心するし、興味津々だよ」なんて声が今にも聞こえてきそうなくらい、おじさんは喜びと好奇心が混ざったような笑顔で、私に投票箱の中を見せている。なんだかちょっと変質者みたいになってしまっていて、正直キモい。
でも、本当は変な人じゃないどころか、真面目でいい人なんだろうなという印象も受ける。「違います」って言いたくなった。違うんです。そんな立派な有権者でもなければ、箱の中が見たくて一番に来たんでもありません。政治や選挙に対する高い意識や気持ちがあるわけではなく、単にこの後遊ぶので遠い場所へ行くから早くやってきただけなんです。
そりゃあ、それでもわざわざその前に投票にいくくらいだから、政治に関心がまったくないわけでもない。
だけど、全然詳しくないし、政治の知識や理解のレベルは興味がない人とほとんど変わらないだろう。両親ともに選挙のたびに必ず投票にいく人で、私も選挙権を得たら行くように常々言われて刷り込まれたから、こうして来たんだと言って差しつかえない。期日前投票は、できる場所がどこも自宅から少々距離があって、面倒なのでやらなかったに過ぎない。なので、一番乗りという以前に、生まれて初めての政治家を選ぶ選挙での投票だけれど、特に嬉しい気持ちもなければ、身の引き締まる思いが込み上げてきたりもしない。
そんなことを考えている間に、渡されたすべての用紙をそれぞれの箱に入れ終えた。初めてでどんな感じかわからなかったとはいえ、思えば当たり前ではあるが、投票はあっという間に終了した。
あっけなさ過ぎて、これで帰っちゃっていいのかと一瞬不安になり、周りをうかがったら、みんな次々と外へ出ていった。外で何か、例えば屋台があって食事をしながら談笑したりするわけもないし、帰宅して問題ないよな? うん。
あ、さようなら、投票箱の中を見せてくれたおじさん。今後も選挙に行けば、その都度あなたに会うのでしょうか? ただ、私が一番に来ることは多分もうないですよ。
投票所のA小学校の体育館を出ると、むっとした暑い空気に包まれた。もう十月だというのに、昨日は気温が三十度を超えたし、予報では今日も同じくらいになると言っていたが、もっといくだろうと思うほどすでに暑い。一回ようやく秋になってきたかと感じた後での、この有様だ。いいかげん勘弁してほしい。友達など周囲は冷え性で寒がりなコが多いけれど、私は暑いほうが苦手だから本当に嫌になる。
ん? 校門を過ぎてすぐのところに、小綺麗な服装で腕章をつけた、二十代であろう若い女の人が立っている。おそらく出口調査というやつだろう。
「あの……」
え?
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