第39話 二夜目


 宴の席であれだけ甘々な姿を見せたのに、月人つきひとの宮には今夜も王宮の侍女たちが待ち構えていた。

 湯浴みを終えた夏乃なつのが夜着の上から打掛けのような上着を羽織って戻って来ると、さざめくようなクスクス笑いが聞こえてきた。


「なんて貧相な……」

「あれで夜伽役とは」

「銀の君は意外と……」


 嫌な感じの笑い声と共に、悪意ある言葉が切れ切れに聞こえてくる。

 聞こえないふりをして彼女たちの前を通り過ぎながら、夏乃はふと、睡蓮すいれんたちに会ったばかりの頃のことを思い出した。

 今思い出すと懐かしいだけだが、初めは彼女たちにも似たような嫌がらせをされた。


(みんな、どうしているかなぁ)


 夏乃と侍女頭が王都へ来てしまったから、お屋敷に残った侍女は睡蓮と鈴音すずねの二人だけ。きっと寂しい思いをしているだろう。

 部屋に入ると、冬馬がかいがいしく月人の髪を布で拭いていた。


「本当に綺麗な御髪おぐしですね」


 冬馬から櫛を渡されて、夏乃は月人の長い髪を梳いてゆく。

 月人は少しだけ振り向くと、夏乃の洗いざらしの髪をつまんで引っ張った。


「夏乃の髪の方がきれいだ。わたしも黒髪が良かった。瞳の色も黒が良かった」

「えー、月人さまの方がきれいですよ。もしかして、月人さまは自分の髪や目の色が嫌いなんですか?」

「そうかも知れない。幼い頃から、わたしは他人の目が怖かった。奇異の目で見られることが嫌だった」


 夏乃に心を伝えてくれた時も、似たような事を言っていた。

 幼い月人がひとり傷つき、怯えながら暮らしてきた姿を何となく想像してしまう。せめて母親が生きていてくれたら、彼の支えになってくれただろうに。


(可哀想に……)


 あどけない幼き月人の顔を想像して、胸が抉られるような痛みに俯いていると、ゆらりと月人が立ち上がった。


「冷えて来たな。そろそろ休もう」


 夏乃の手を取って寝台へ向かって歩き出す。


「あのっ、あたしは長椅子で結構ですから!」

「長椅子では寒かろう? それによく休めぬ」

「だっ、大丈夫です!」


 夏乃が胸の前で拳を握ると、月人は呆れたように息をついた。


「昨夜も見ていられずにそなたを寝台に運んだ。そなたがどうしても長椅子で眠ると言うなら、今夜も私はそうするだろう。ならば、今から寝台で眠っても同じことではないか?」

「それは、そう、かも知れませんけど……」


 躊躇する夏乃の手を、月人がグイッと引いた。


「じゃ、じゃあ、あたしはこっちの端の方に寝ますから、月人さまは向こうの端で寝てくださいね」

「私も端に寝なければならないのか?」

「はい。お願いします」


 こうなったら早く眠ってしまう方が良い。

 夏乃は覚悟を決めて寝台に滑り込んだ。

 落ちそうなほどギリギリ端に寄って、月人に背を向ける。

 胸の鼓動が耳元で鳴っているかのように大きく聞こえた。


 月人がフッと灯明を吹き消す。

 テーブルの上の灯りは残されているが、わずかに闇を薄くする程度だ。

 寝台がギシッと鳴り、布団が少しだけ引っ張られた。


(やばい、やばい、やばい、やばい……)


 ドキドキしながらぎゅっと目をつぶる。

 とてもじゃないけど、眠れそうになかった。




 薄闇が落ちる寝所。

 横になった月人は、背を向けて眠る夏乃の影に目を向けた。

 枕の上に流れる黒髪がわずかな光に艶めいているのを見て、手を伸ばしたくなった。


(また、怒るのであろうな)


 先日も、許しなく触れてはいけないのだと怒られた。

 そんな話は今まで誰も教えてくれなかったが、確かに、自分の身に置き換えてみれば納得する。


 夏乃は自由だ。

 異界人だからこちらの常識は通じない。

 むろん、彼女は彼女で、こちらの世界の有り様に馴染もうと努力はしているのだろうが、侍女になった初めの頃はよく侍女頭に怒られていた。

 それでもやはり夏乃は自由なのだ。

 この世界の者で、あんなに伸び伸びと生きている者はそういない。


(だから、惹かれたのだろうか?)


 初めは異界人に興味が湧いて、屋敷で働かせることにした。

 まるでそれが運命だったかのように、彼女の血が獣の呪詛を解いてくれた。例えそれが、わずかな時間だけであっても嬉しかった。


 今まで何をしても解けなかった呪詛が解けた。それだけで、彼女が何にも代えられないほど大切な人になった。

 呪詛を解く鍵だからこそ彼女を欲しているのだと、そう思っていたのに、解呪された今になっても月人の気持ちは変わらなかった。


(夏乃は自由だ。だから……きっと、手立てが見つかれば、風のように去ってしまうだろう)


 そう思うだけで、胸が張り裂けそうになる。

 思わず手を伸ばし、髪に触れる。指先で梳いても彼女は起きない。

 だから、少しだけ身を起こして、彼女の顔を覗き込んだ。

 固く閉じられた瞼は揺らぎもせず、月人が頬に手を滑らせても目を覚まさなかった。


「どこにも行かないでくれ……」


 懇願の言葉を口にして、月人は眠る夏乃に口づけを落した。


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