第37話 夜伽


 宴がお開きになると、月人つきひとはいち早く席を立った。

 ほとんどの者はまだ周りの客たちと話をしている中で、月人だけがさっさと退出しようとしている。


「――月人、兄に挨拶もなく下がるつもりか? 明日の冬至祭には出るのだろうな?」


 月人を引きとめたのは、上座にいた髭面の男だった。周りにいる取り巻きを押しのけるようにして近づいてきた王は、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。

 異母兄弟。月人の母が異国人であることを差し引いても、まったく似たところがない兄弟だった。


「はい。冬至の儀式には必ず出席いたします」


 月人は深々と頭を下げる。


「まあ、そう急ぐな。おまえのために美しい娘を見繕っておいたぞ。ここに居る間は、この娘たちの中から気に入った者に夜伽を命じればいい」


 いつの間に現れたのか、王の背後には、先ほど冬馬が追い返した侍女たちが美しい衣に着替えて控えていた。


「お心遣いには感謝いたしますが、夜伽役は必要ありません」

「遠慮など無用だぞ!」

「今回は気に入った娘を連れてきています」

「なんと! おまえが娘を連れてきたと言うのか?」

「はい、この娘です」


 月人はそう言って、いきなり夏乃なつのの方へ振り返った。


「えっ?」

 たくさんの視線に上から下まで見つめられ、夏乃は青ざめた。


「そんな色気のない娘、どこが良いのだ?」

「彼女といると心が休まります。そういうことですので、これで失礼します」


 月人に腕を引っ張られて、夏乃は月人の宮に戻った。



 〇     〇



「あの……あたしを連れてきたのは、このためだったんですか?」


 薄布を取ってくつろぐ月人に、夏乃は詰め寄った。

 夏乃は侍女頭の命令で湯殿へ行き、いつもより上質な夜着を着せられている。


「兄上は悪趣味な方なのだ。ああして私を気遣う振りをしながら、私の姿を見た娘たちが怯えて騒ぎを起こすのを楽しんでいるのだ」

「……は?」


 夏乃が思わず顔をしかめると、冬馬トーマが会話に入って来た。


「王は、父である先王陛下が王太后さまを蔑ろにし、月人さまの母セレーネさまを溺愛したことを恨んでいるのだ。幼い頃から月人さまを虐めぬき、今でもくだらない嫌がらせをあれこれと仕掛けて来る」


 仕掛けられたあれこれを思い出したのか、冬馬は眉間にしわを寄せている。


「でも……さっきの娘さんたちは選んで欲しそうな顔してましたよ?」


 夏乃が首をかしげると、冬馬と珀が変な顔をした。


「そりゃあ、あれだろ? あの中から一人でも夜伽役を選ぼうものなら、その一人があることないこと言いふらすんじゃないかな?」


「ああ……そういう嫌がらせなんだ」


 珀と夏乃の会話に嫌気がさしたのか、長椅子にもたれたまま月人が手を振った。


「もうよい、みんな下がれ」

「はい。おやすみなさいませ」

「夏乃。後のことは頼んだぞ」

「え、みんな行っちゃうの?」


 心細げな夏乃を残したまま、冬馬と珀が礼をして出て行く。


(頼んだって言われても……)


 夏乃が肩越しに振り返ると、月人がまっすぐこちらを見ていた。

 あの紫色の瞳を見ると、どうしても心穏やかではいられない。心臓が飛び出してしまいそうなほど動悸が激しくなるのだ。


「別に取って喰いはしない。夏乃、こちらへ来て座れ」

「……はい」


 夏乃は仕方なく、月人が座る長椅子の向かい側に腰かけた。


「夜伽役など、そなたは不満だろうな?」

「不満ていうか……王様の意地悪を回避する為なら協力は惜しみませんけど、あくまでフリですよね?」


 伏せていた目をチラッと上げると、紫の瞳とかち合った。


「フリ、とは、どういうことだ?」


「だから……夜伽役のフリです。今夜一晩この部屋で過ごして、外で見張っている方たちがあたしを夜伽役だって納得してくれればいいんですよね? そういうことなら、あたしはこちらの長椅子で休みますので」


 夏乃がそう言うと、月人は眉尻を下げてがっかりしたようにため息をつく。


「そうか……添い寝もしてくれぬのか」

「そっ、添い寝……ですか?」


 夏乃はしばし考えた。

 確かに月人の寝台は広い。端っこの方に寝ればそれなりに距離も取れそうだが────月人はあれで油断ならないところがある。

 クゥンと鳴きそうな悲しそうな顔をしているからって、油断してはならない。


「あたし、めちゃくちゃ寝相が悪いんですよ! 月人さまの睡眠を妨害しそうなので、やっぱり長椅子をお借りしますね」


 夏乃はにっこりと笑った。

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