第33話 王都へ


『そなたは、国へ帰れる手立てが見つかったら、迷いなくここから去るつもりか?』


 いつになく真剣な表情で月人つきひとが問いかけてくる。

 硬質な紫色の瞳に射すくめられて、夏乃なつのは身を固くした。


「それは…………もちろん、帰れるなら、帰りたいです。

 うちの両親はあたしが幼い頃に亡くなったので、家族は祖父ひとりしかいません。祖父が心配してると思うと、早く戻って元気な姿を見せたいんです」


 夏乃は月人から目を逸らし、家族のことだけ考えた。

 恋心を自覚してしまったから自分の心は誤魔化せないけれど、月人を騙すことなら出来る。


「私や……ここにいるそなたの友達が頼んでも、ここに留まってはくれないのか?」


 哀しそうに眉を寄せる月人の顔を見てしまうと、すぐに心が揺らいでしまう。


「考えたことはあります。帰る方法が見つからなかったらって思うと不安で……ここでずっと働かせて貰おうかなって思った事はあります。でも、やっぱり家族のことを考えると、簡単には言えません」


「そうか……そなたの気持ちはよく分かった。だが、私は、そなたを手放したくはない!」


 フワッと伸ばされた手に肩をつまれ、夏乃は叫ぶ間もなく月人に抱きしめられていた。


「どうか、私の側にいてくれ!」


 押し殺した月人のつぶやきに、嫌というほど心が揺さぶられる。


(どうして……あたしはこの人と同じ世界に生まれなかったんだろう)


 好きになった人から傍にいて欲しいといわれるなんて、本当なら嬉しいはずなのに、夏乃は泣きたくて仕方がなかった。


「月人さま……」


 月人の背中に伸ばしかけた手を、夏乃は硬く握りしめた。

 本当は彼の背中に手を回してぎゅっと抱きしめたかったけれど、どうしても出来なかった。


「ごめんなさい」


 夏乃は月人の胸をそっと押して、彼の顔を見上げた。


「そのかわり、帰る方法が見つかるまでは、ずっと月人さまの傍にいますから」

「そなたは……意地悪だな」


 月人は悲しげな表情で苦笑すると、静かに立ち上がって階下へ降りて行った。



 〇     〇



 ジジッ、と炎を揺らして燭台の灯りが消えた。

 日が落ちて、明り取りの窓もとうに光を失っていたから、書庫の中は闇に閉ざされてしまった。


「油切れか」


 あれから一人で虫食い探しをし、ちょうど最後の紙束を箱に入れたところだった。

 本当は必要のない仕事だとわかっていたけれど、通常業務に戻る気にもなれず、結局最後まで虫食い探しをしてしまった。


 比較的暖かい三階にいたせいか、外へ出ると空気がいつもより冷たく感じた。

 ブルッと肩を震わせながら回廊を歩いて行くと、ハクに出くわした。


「夏乃、どこ行ってたんだ?」

「どこって、書庫だよ」

「なんだ! まだ書庫に居たのか?」


 珀はあちこち夏乃を探し回ったらしく、何やらブツブツと言っていた。


「実は、雪夜の脱走で先延ばしになってた王都行きが決まったんだ」

「あ、すっかり忘れてた!」

「だよな。俺はわざわざ行く必要ないと思うんだが、月人さまは明後日出発するとお決めになった。おまえも準備にかかってくれ」

「わかった。あっ、ねぇ、条件は変わってないよね?」


 背中を見せた珀に思わず問いかけると、珀は笑ってうなずいた。


「日当は銀十粒。都見物つきだ」

「いいね!」


 夏乃はくいっと親指を立てた。




 急に決まった王都行き。準備は慌ただしかったものの、夏乃の仕事は月人の衣装を葛籠つづらに詰めるだけだった。

 その作業中、冬馬トーマに取り上げられていたリュックが無事返却された。

 リュックが手元に戻ったことで、元の世界に戻らなければという気持ちが大きくなった。



 よく晴れた空の下、月人の御座船が凪いだ海に滑り出す。

 リュックを抱えた夏乃は船首から海を眺め、改めて自分の恋心に蓋をする決意を固めた。

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