第31話 埋められた呪物


 地下牢で倒れた紅羽くれはは、再び瞼を開くことはなかった。

 波美なみを診てくれた医師だか呪術師だかわからない白髭の老人が、彼女は〝契約の呪詛〟を受けていたのだと教えてくれた。


 紅羽は、人の命を奪うという許されない罪を犯した。けれど、彼女もある意味では被害者なのだ。


(王太后が、ぜんぶ悪いんじゃない!)


 泣き明かした後、夏乃はそう結論づけた。



○○



「夏乃。無理に立ち会わなくても良いんだぞ」


 眉尻を下げたハクが、心配そうに夏乃を見下ろしている。


「無理してない。てゆーか、立ち会いたいの。紅羽が命がけ教えてくれたことだし、月人さまにかかってる呪詛が解ければ、あたしの仕事もひとつ減る訳だし……」


 夏乃の目は、月人の御殿の床下に注がれていた。

 珀の部下たちが、木のシャベルのようなもので床下を掘っている。


「ねぇ珀? 呪物を取り出すだけで解呪できるの?」

「俺はよくわからんが、爺さまは焚き上げるって言ってたぞ」

「ああ、燃やすのね」


 火による浄化は異界人である夏乃にも馴染深い風習だ。神社でよくある【お焚き上げ】も火で燃やして天に還す儀式だ。

 納得してうなずいていると、床下から「ありました!」という声が聞こえてきた。

 夏乃と珀が駆け寄ると、床下から出て来た兵士が土で汚れた木の箱をずいっと差し出した。


「あっ……」


 声を上げそうになって、夏乃は咄嗟に口を押えた。

 青ざめた顔で珀を見上げると、彼も青ざめた顔で夏乃を見下ろしていた。


 箱に入っていたのは、土にまみれた黒い犬の首だった。

 大きさこそ違うが、黒犬に変化していた時の月人にそっくりだ。

 土に埋まっていたにもかかわらず、腐っても干からびてもいない。まるでついさっきまで生きていたように目を見開いている。


 だから、これが呪物だと言われても恐ろしくはなかった。夏乃はこの犬の顔に愛着すら覚えていたのだから。


「可哀そうに……」

「触ってはダメだ。呪詛はまだ消えていないんだぞ!」


 思わず伸ばしかけた手を、珀に止められた。

 珀は厳しい顔で首を振り、それから兵士に向き直った。


「急ぎ、爺さまの元へ運べ」

「は!」


 箱を抱えた兵士と共に、床下で捜索していた二人の兵士が急ぎ足で去ってゆく。


「夏乃。おまえはもう戻ってろ」

「大丈夫。最後まで見届けたいの。でも、月人さまは来なくて良かったね。あんなにそっくりだと、きっと動揺しちゃうよね?」


 夏乃がそう言うと、珀も苦笑しながらうなずいた。



 〇     〇



 霊木の薪を使った焚き上げを見届けて、夏乃と珀は月人の御殿へ向かった。

 月人が呪物の捜索を見に来なかったのは、彼が今、黒犬の姿になっているからだ。

 紅羽が残した言葉を聞いた後から、夏乃は月人に血を提供していない。彼自身の意志で、そうする事に決めたのだ。


「ねぇ珀? 月人さま、元に戻ってるかな?」

「ああ、大丈夫さ」


 解呪が成功していれば、月人は人の姿に戻っているはずだ。

 早く戻って確かめたいような、怖いような、複雑な気持ちがする。


(もしも、万が一、月人さまが黒犬の姿だったら……どうしよう?)


 夏乃は歩きながら両手を揉み搾った。

 あの偉そうな白髭爺さんを疑うわけではないけれど、万が一、ということはある。

 呪物を焚き上げたのに解呪できてなかったら、今度こそ月人は世を儚んでしまうのではないか。

 何よりも、夏乃はそれが心配だった。


 月人の御殿につき、階段を上がって控えの間に入っても、夏乃は珀の後ろに隠れていた。


「呪物の処理が終わりました」

「入れ」


 扉を開けた珀は夏乃を先に通そうとするが、彼女は珀の背中をぐいっと押して、自分はその後に続いた。


「ご苦労だったな」


 月人の声はいつも通りだ。ホッと安心して、夏乃は珀の大きな背中から顔だけ出して前を見る。

 いつもは長椅子に座っている月人が、立ち上がって出迎えている。彼は顔を出した夏乃に気づき、笑顔を向けてくれた。


「月人さま、元に戻れたんですね!」


 珀の後ろから横に飛び出る。

 真正面から見る月人は、まるで自ら発光しているかのごとく光輝いて見える。

 今までも十分過ぎるほど美しいと思っていたはずなのに、月人の白い顔も、紫色の瞳も、流れる銀糸のごとき髪も、畏敬の念を覚えるほど神々しい。


まったき姿を取り戻した月人さまのお姿に、声も出ぬか?」


 冬馬トーマの得意げな声は、夏乃の耳を素通りしていった。

 ポカンと口を開けたまま月人に見とれている夏乃に、痺れを切らした月人が駆け寄ってくる。


「夏乃。そなたのお陰だ!」


 ぎゅっと抱きしめられて、ようやく我に返る。

 感極まるあまり、夏乃も月人の背中をぎゅっと抱きしめた。


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