第30話 紅羽(くれは)


 朝になっても、お屋敷の周りにはいつもより多くの兵が行き来して、物々しい雰囲気が続いていた。

 ハクも忙しいらしく、今朝は姿を見ていない。


 朝の仕事を済ませて夏乃なつのが食堂へ行くと、ちょうど睡蓮すいれん鈴音すずねが戻って来た。

 三人はテーブルを囲んで朝粥を食べたが、誰も口を開かなった。波美なみを失ったことが、それぞれの胸を重くしていた。


「亡くなった人は、どこに葬られるの?」


 沈黙が辛くなって、夏乃は口を開いた。


「お屋敷の裏山よ。汐里しおりも、波美もそこに……」


 睡蓮が泣きそうな顔で答えてくれた。


「三人になっちゃったね」

「そうね……」


 睡蓮と鈴音はうつむきながらも、ぽつりぽつりと会話している。

 夏乃は黙ったまま、そんな二人をぼんやりと見つめていた。


「そう言えば、紅羽くれはって夏乃の知り合いだったんですって?」


 ふいに、睡蓮が顔を上げた。


「あ……うん。そう」

「汐里を殺したのも、その人なのかしら?」

「わからない。あたしの知ってる紅羽は、とても優しい子だったから……」


 夏乃は居たたまれない気持ちで首を振る。


「そうよね。ごめんなさい」

「さっ、仕事しよっ」


 鈴音が立ち上がり、それにつられるように夏乃も立ち上がった。

 衣食住に関わる使用人の仕事は、何が起ころうと変わらない。お屋敷が無事である限り続くのだ。

 夏乃たちは減ってしまった侍女の分も手分けして仕事した。




「夏乃! ちょっと来てくれないか?」


 珀に声をかけられたのは、もうすぐ日が落ちようという頃だった。


「いいけど、どこに?」

「地下牢だ。例の紅羽という女がおまえを呼んでいる。今まで何も喋らなかったくせに、急に、おまえと話しがしたいと言い出したんだ」

「…………紅羽が、あたしに?」


 夏乃は何だか嫌な予感がした。なぜ紅羽が自分を呼ぶのか、理解できない。

 彼女はいったい何を話そうとしているのだろうか。


 珀に連れられて、夏乃は広大な庭の裏側を歩いた。

 普段は入れない小門をくぐると、そこには四方を建物で囲まれた広場があり、たくさんの武人が集まっていた。

 物々しいのは、たぶん紅羽がいるからだ。

 一番奥の建物に入り、地下へ続く石段を降りてゆく。

 地下牢の扉の前で珀が振り返った。


「紅羽は一番手前の牢の中にいるが、あまり格子に近づくな。離れて話せ」

「わかった」


 扉の中には見張りの兵が二人立っていた。

 細い通路の右側に格子で仕切られた牢が並んでいる。

 夏乃は通路に立って、一番手前の牢の中を覗き込んだ。


「紅羽?」


 声をかけると、壁際に座り込んでいた黒い人影が立ち上がった。


「夏乃……」


 ふらふらと格子に近づいて来る紅羽の顔には、あちこち血が固まったような痕がある。珀たちと戦った時に受けた傷なのか、それとも乱暴な取り調べを受けたせいだろうか。


「どうして……」


 うまく言葉が出てこなかったが、気持ちは伝わったのだろう。紅羽が情けない笑みを浮かべた。


「うちは兄妹が多くてさ。お金が必要だったのよ。偶然会った王太后の部下だと言う男に言いくるめられて、この仕事を請け負った」

「……王太后」


 やはり、月人の命を狙っているのは王太后なのだ。

 眉を寄せる夏乃に、紅羽が一歩近づいた。


「あんたが来てから、貝割り作業の仕事が楽しくなった。みんな貧しくて奴隷になったのに、まっとうに働いてる子ばっかりで……あたし、後悔したの。こんな仕事受けなきゃ良かったって」


 紅羽の両手が格子をぎゅっと握りしめる。


「王太后は〈銀の君〉を呪ってる。御殿の床下に、呪物が埋めてあるの。触ら、ないように、掘り出して……」


 早口で喋る紅羽の顔が、みるみる黒ずんでくる。

 口の端から、赤い血が一筋流れた瞬間、紅羽の身体は糸の切れた傀儡くぐつのように崩れ落ちた。


「紅羽っ? ねぇっ、どうしたの?」


 夏乃は格子をつかんで、地面に倒れた紅羽を見下ろした。

 ピクリとも動かぬ彼女の口元から、土を均しただけの床にみるみる血が浸み込んでゆく。


「珀っ!」


 助けを求めるように珀に振り返ると、彼は素早く格子戸にかかったかんぬきを外した。

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