第28話 刺客



 ようやく月人つきひとから解放され、逃げるように御殿を飛び出した夏乃なつのは、回廊の真ん中でポッと顔を赤らめた。


(びっくりしたぁ…………でも、嫌じゃなかった……かも)


 初恋も未経験の恋愛弱者にはハードルが高すぎる触れ合いだったが、月人に触れられることに嫌悪感はなかった。


 夏乃がボーっとしたまま侍女部屋へ戻ると、廊下で睡蓮すいれんがうろうろしていた。


「どうしたの?」

「あ、夏乃!」


 睡蓮は夏乃の姿を見ると、ホッとしたように駆け寄って来た。


波美なみの様子が変なの。お腹の具合が良くなったからって、さっき一人で湯殿へ行ったんだけど、気になって見に行ったら湯殿にいなくて……ねぇ、どうしよう?」

「波美、いなくなったの? と……とにかく、探そう!」

「ええ!」


 睡蓮が先に立って回廊を走り出す。

 何だか嫌な予感がして、夏乃は部屋の前に立てかけておいた槍の柄をつかんだ。


「波美、どこにいるの?」

「波美!」


 二人は侍女部屋から倉庫や食堂、湯殿や厨房など、思いつく限りの場所を探し回った。

 もしやお屋敷の外へ出たのではと思い門の前まで行くと、

「侍女の娘ならさっき外へ行ったぞ。貝割り奴隷に知り合いがいるんだとさ」

と、門番の男が教えてくれた。


「それ、ほんとですか?」


 夏乃と睡蓮は顔を見合わせた。

 貝割り奴隷に知り合いがいるなんて話は聞いたことがない。


「それじゃ、あたしたちも貝割り作業の宿舎まで行ってきます!」


 二人は門番に断って坂を下って行った。

 辺りは真っ暗だが、夏乃にとっては慣れ親しんだ道だ。港に向かう広い道から枝分かれした小道を走って浜辺へ向かう。


(いったい誰が……波美の知り合いなんだろう?)


 夏乃の胸に違和感が渦巻いた。

 貝割り作業の仲間からも、侍女の知り合いがいるなんて話は聞いたことがない。


「夏乃、あれ見てっ!」


 睡蓮の指さした先に二つの人影が見えた。

 こちらへ向かって走ってくる人影と、まるでその人影を追っているように見えるもう一つの人影。


「あれって、波美?」

「そうよ。追われてるわ!」


 夏乃と睡蓮が素早く視線を交わした時だった。

「あうっ」と叫んで波美が倒れ込んだ。

 追跡者は夏乃たちの存在に気づいたのか、身を翻して走り去ってゆく。


「波美!」


 二人が駆け寄ると、波美の背中には短刀のようなものが刺さっていた。


「波美っ! ああ大変っ、どうしましょう!」


 睡蓮が波美を抱え起こそうとする。

 手伝おうと地面に片膝をついた瞬間、夏乃は背後に覚えのある気配を感じた。


 うなじの産毛がチリチリする。

 全身から血の気が引き、悪寒が背筋を伝ってゆく。


 波美に短刀を投げた者は、すでに別の方向へ走り去っている。

 闇の中にもう一人、別の人間がいたのだ。


 意を決して振り返ると、少し離れた砂浜に闇色の衣に身を包んだ男が立っていた。


(────雪夜ゆきや?)


 夏乃は素早く立ち上がった。

 倒れた波美と睡蓮を庇うように身構えると、雪夜を睨んだまま背後にいる睡蓮に声をかけた。


「睡蓮! 誰か呼んで来て!」

「でも、波美が……」

「あたしが守る。急いで!」

「わ、わかった」


 砂を蹴る音がした。

 夏乃が槍の柄を構えると、雪夜が腰の刀を抜いた。


「……よくよく、きみとは縁があるようだね。自分の命よりも、主への忠誠が大事か?」


 雪夜が笑う。

 即座に仕掛けて来るかと思ったが、そうではなかった。


「忠誠? あたしはただ、月人さまを守りたいと思ってるだけだよ」

「へぇ、きみは自分の意志であの人外を守っているのか!」


 互いにじりじりと相手の隙を窺っているだけで、どちらからも仕掛けない。


「そうよ。あんたはどうなの、自分の意志で王太后さまに付いてるの?」

「ふん……今すぐここを去るなら見逃してやる。行け!」


 答えるのが嫌だったのか、雪夜が意外なことを言い出した。

 夏乃は目を凝らして、注意深く雪夜の顔をうかがった。


「見逃す?……どうしてそんなこと言うのか知らないけど、あたしは行かないよ。

それに、あんたはどうせ、また月人さまを狙うんでしょ? なら、ここで逃がす訳にはいかない!」

「馬鹿な。僕に勝てると思っているの?」

「まさか。さすがにそこまで自惚れてないよ。あたしはただ、防げるだけ防ぐ!」


 夏乃は構えた槍の柄を握り直した。

 この男を相手に、勝てるはずがない。そもそも殺すつもりで来る相手に、殺すつもりのない夏乃では勝負にならない。

 それでも、夏乃の後ろには、背中に短刀を受けたまま倒れている波美がいる。


(一歩も引けない!)


 じりじりと睨み合っているうちに、お屋敷の方から声が聞こえて来た。睡蓮が警備の兵を連れて来たのかも知れない。


 夏乃がそう思った瞬間、雪夜が動いた。

 身を翻して逃げようとする雪夜を、夏乃は止めようと槍の柄を突き出した。が、剣で軽く払われてしまう。

 砂浜を音もなく走る身軽な雪夜に対し、夏乃は砂に足を取られて思うように走れない。


「夏乃、後は任せろ!」


 ハクの声が夏乃を追い抜いて行った。

 珀に続いて、たくさんの兵士たちが闇の中に消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る