21 転機


 ギィ、と何かが軋む音がする。

 その音に意識を取り戻した桂月は、ぼやける目で周囲を見回した。

 桂月がいるのはどこかの和室のようだが、一部に木製の格子が嵌められている。


(……ああ、座敷牢か)


 場所自体は恐らく氷月邸のままだろう。そう理解しながら体を起こすと、その動きに合わせて、ちゃり、と金属の音が聞こえた。

 音は自分の首のあたりでしていた。何だ、と思って目を向ければ、そこに椿のような色の首輪が嵌っている。しかもご丁寧に鎖までついていて、桂月を囲うように周りに落ちていた。


「…………」


 うわ、と桂月は引き気味になりながら、不快に思って首輪を力まかせに引っ張ってみたが、がっちりとしていて外れない。

 ならばと手で触って確かめてみれば、表面に何か文字らしい柄が彫ってある。するすると何度か繰り返し触っている内に、それが「術を封じる道具」だと気付いた。

 周囲に刃物こそないが、万が一のための神降ろし対策だろう。ついでに首の裏の方に鍵穴のようなものがあり、簡単に外れないようになっていた。

 桂月は、チッ、と舌打ちして手を下ろす。


「飼い犬にでもしたつもりですか」


 吐き捨てるようにそう呟く。

 ……ただ、ここまでされても身体に震えがないあたり、自分も少しは変われているのだろうか。


(ま、昨日今日でそうそう変われるわけではありませんし、それに……)


 そんな事を考えていると、


「……ああ、目が覚めたか。気分はどうだ?」


 座敷牢の外の襖が開いて氷月千明が部屋の中へ入って来た。

 彼の姿を確認したとたん桂月は嫌そうに顔を顰めてため息を吐く。


「良いはずがないでしょう。……黎明はどこです」


 ついでに悪態を吐きながら、桂月は千明に尋ねる。

 あの時は黎明が倒れた事で気が動転してしまったが、半妖である彼の身体は頑丈だ。だから殺されていない限りは無事だと桂月は信じている。

 そして少なくとも目の前の男が、そう簡単に黎明を殺すはずがないという事も確信もあった。

 黎明はアヤカシの血を引いている健康な成人男性だ。アカヤシの血を使って研究をしている者達にとっては、黎明を生かしたままの方が色々と都合は良いだろう。

 もっとも碌な扱いはされないだろうと予想が出来る点で、状況は良くもないが。


「そう心配せずとも生きているよ。藍が手荒な真似をしてすまなかったね」

「まったくですね。あなたが飼っているなら、ちゃんと躾けておいてくださいよ。自覚が足りませんね」

「そうだな。その点お前は、きちんと黎明を躾けているようだ」

「それはどうも。ですがうちの黎明は優秀なので、私が何もしなくても礼儀正しいですよ」


 黎明自身が持つ良さを、まるで桂月が仕込んだからみたいに言われて、少々面白くなくてそう返す。

 すると千明は口の端を僅かに上げた。笑った、と桂月は少し驚く。


「あの狐がずいぶんと気に入っているのだね。……ああ、まぁ、駆け落ちをするくらいだから当然か。お前の父が嘆いていたぞ? 夏生に二度も自分のものを奪われたと」

「自業自得ですよ。奪われたなんて被害者面をしている内は、永遠に理解出来ないでしょうけどね」

「そうか。……それにしても、お前は少し変わったな。外は居心地が良かったか、桂月?」


 千明はそう言いながら座敷牢に近付いて来る。そして格子まで来ると、それを手で握りながら桂月を見下ろした。

 千明の影が自分の上に落ちる。桂月はそれを睨みながら、


「雪宮と氷月以外ならば、どこだって居心地は良いでしょうね。もちろん黎明がいてくれたなら、ではありますが」


 と返した。すると千明は「……そうか」と、やや冷えた声で呟いてしゃがみ、格子の中に手を入れて来る。それから床に落ちた鎖を掴んで、ぐい、と引いた。

 桂月は反射的に体を後ろに逸らすが千明の力が強く、格子の方へと倒れ込む。

 顔が当たり、がしゃん、と格子を揺らす。痛みと衝撃に桂月は顔を歪めた。そんな桂月を千明は冷たい目で見つめている。


「だが、お前はもう氷月にいてもらうしかない。かわいそうだが、外へ出してあげるわけには行かなくなってね」

「……っ、へぇ、外にバレたら困る事を、していると認めるんですね」

「さて。バレなければ問題ないさ」

「それはそれは自信があるようで。……ですが私達が戻ってこないと知れば、依頼人達は騒ぎますよ。騙された、詐欺だと。ああ、守護隊へ連絡が行くかもしれませんねぇ。かなりの量だ。あれを無視するのは難しいでしょう」

「それは藍に頑張ってもらうしかないな。あの子が暴れなければ、こうして乱暴な形でお前を氷月に入れる・・・つもりはなかったからね。だが、こうなってしまっては仕方がない」

「何を……というか、ちょっと。離してもらえますか。痛いんですが?」

「それは失礼した」


 口では謝るも千明は手を緩めない。この男は、と桂月が思っていると、彼は桂月の顔に自分の顔を近づけて、


「黎明に丁寧な対応を望むのならば、大人しく私の伴侶でいなさい。それにお前が私の元にいるのならば、アヤカシの研究は必要がなくなるから止めよう。あれはお前が自由でいたいと望んだからやっていただけだ。なぁ、桂月。……悪い話じゃないだろう?」


 聞いた事のないような、やけに甘ったるい声で囁いて来た。

 吐息が顔に掛る嫌悪感で、桂月は格子から顔を離そうとする。しかし千明が鎖を掴んでいるためびくともしない。

 気持ちが悪い、吐き気がする。ぐっとそれを堪えながら桂月は千明の顔を睨む。


「……あなたが先ほど鬼のような姿になったのは、その研究の成果でしょう。もう大体は出来上がっているから研究する必要がなくなった、ではありませんか?」

「あれは副産物のようなものだ。しかも効果時間も短いし、完成品には程遠いさ」


 千明は肩をすくめてそう言った。

 あの研究が二年前から始まっていたとして。

 二年でそこまで作り上げる事が出来たのならば、完成するのはそれほど遠い未来ではないはずだ。

 しかしそれまではずっとアヤカシが被害が出続けるだろう。


「…………」

「…………」


 何も言わずにじっと、千明はこちらを見て来る。

 桂月は強く目を瞑った後、


「…………約束を」


 声を絞り出して、そう言う。


「約束を、してください。……絶対に、黎明には手を出さないと」

「ああ、約束しよう。外へは出せないが、快適な生活はさせてあげるよ。お前が望むのならば、また世話係につけてあげよう」

「…………分かり、ました」


 桂月は身体の力を抜いて、その場に座り込む。それを見て千明も鎖を掴む手を離した。身体の動きを縛っていた力が消える。


「では、ちゃんと言葉にして誓えるね」


 そんな桂月に千明はそう言った。この男は本当に氷月の当主らしく、相手を屈服させる方法をよく知っている。

 促された桂月は項垂れたまま小さく頷くと、座ったまま少し下がって、両手を前に着く。そして千明に向かって頭を下げた。


「…………雪宮桂月は、氷月千明の伴侶と……」


 ああ、と桂月は心の中で呟く。


「……――なるわけがないでしょうが、くそったれ!」


 そう怒鳴った時、千明の背後の襖が音を立てて盛大に吹き飛んだ。

 千明は驚いてそちらを振り返る。

 そこには大振りのナタを肩に担いだ夏生黎明の姿があった。


「――ああ、すっきりした」


 それを見ながら桂月は、これをずっと言ってやりたかったのだと笑った。




 ◇ ◇ ◇




「桂月サン、無事ですー―――か」


 そう言いながら中を覗き込んだ黎明は、桂月の姿を見たとたんに険しい顔をした。そして千明を睨みながら部屋の中へずかずかと入る。


「前言撤回だ。躾がなっていないのはそちらもだな」

「おやおや。誘拐犯相手にお行儀の良さなんて必要ないでしょう?」

「よく言う」


 千明は軽くため息を吐くと立ち上がり、黎明と対峙する。

 こうして立つと似たくらいの身長なのだなと桂月は思った。


「桂月サンを返してもらいますよ」

「返すも何も、桂月はもとから私のものだが?」

「自意識過剰ですね」


 そう言いながら、ぶわり、と黎明の毛が逆立つ。

 ……だいぶ苛立っているようだ。

 襖を吹き飛ばした事で、すでに器物損壊罪が問われるかもしれないが、今の黎明だと氷月邸を破壊しかねない。

 桂月個人としては、嫌な思い出しかないこんな屋敷など更地になってもらった方がありがたいのだが、黎明が大和守護隊に捕まる事は避けたい。

 どう怒りを抑えさせるか……そう考えていると、


「ひええええ、黎明さーん! 待ってくださいってばぁー!」


 百合の元気な声が聞こえ、大和守護隊の制服を着た彼女が部屋に飛び込んで来た。

 その後にツキや、桔梗区の協力者達もどっと雪崩れ込んで来る。その後ろを守護隊の人間が数人ついて来た。

 彼女達の姿を見て桂月は安心感から、ふは、と笑う。


「俺はとても怒っているので止めないでくださいよ」

「止めますよ! ダメですよ! 何で襖蹴り飛ばしたんですか! もうもう、桂月さんに言われたじゃないですかぁー……って、あ! 桂月さん、大丈夫ですか!?」

「桂月! 桂月! わらわもいるぞ! 怪我などしておらんか!?」

「はい、大丈夫です。良いタイミングですよ、百合さん、ツキ、それから皆さん。ありがとうございます」


 笑って、ひらひらと手を振って見せると、百合達は揃ってホッとした顔になる。

 桂月はそのまま千明を見上げた。

 千明は桂月を見下ろすと、ふう、と息を吐く。


「……なるほど、これはやられたな。どこから仕込み・・・だ?」

「最初からですよ。黎明の携帯電話が鳴ったでしょう? あの時からずっと、皆さんに私達の会話を聞いていもらったのでね。それこそ守護隊の方にも」


 千明と話をしている時に鳴った黎明の携帯電話。

 あれは確かに大家からの電話だが、家賃の催促ではない。桔梗区の協力者の一人の彼女に、あの時間に鳴らしてもらうように頼んであったのだ。

 そして話が終わったフリをしてそのまま通話を切らず、黎明は携帯をポケットに戻していた、というわけだ。


「証言だけではありますが、あなたの口から真宵邸の研究施設の話が出ましたからね。それに無関係なはずの御堂君まで激昂しはじめましたし。さすがに今度こそ守護隊がきちんと調べるでしょう。会話は、ちゃんと録音もしてありますから」

「ふむ。……迂闊だったか」


 慌てる素振りも見せずに千明は肩をすくめて見せる。


「だが調べたとて公表はしないだろうがね。大和守護隊から不祥事が出て困るのはこの国だ」

「そうかもしれませんね。ですが、あなた方のやっている事を止める手段にはなる。――まぁ、ですが、それは公に出来なくても、こちらの監禁罪に限っては成立すると思いますよ? こればっかりは私も予定外でしたからね」


 そう言うと桂月は立ち上がり、千明と目線を合わせる。


「内容によっては示談を受け入れますよ、氷月千明さん」

「……ふ、はは。変わったと思ったが、本当に、昔のお前とは大違いだな、雪宮桂月」

「そうですね。黎明が私に外の世界を見せてくれましたから」


 くつくつと笑う千明に、桂月は胸を張ってそう返す。

 今こそ座敷牢の中にいるけれど、桂月はとても晴れやかで自由な気分だった。

 

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