１９ 反転
相手を知るためには、相手の様子をよく観察する必要がある。
そんな話を桂月は聞いた事がある。それを馴染みのバーのマスターに話したところ、
「意識的にやろうとするならばそうですね。ですが一緒に暮らしている相手ならば、そういうのは自然と出来るようになりますよ」
彼はそう言った。その言葉で桂月が頭に思い浮かべたのは黎明だ。
……確かに、そうかもしれない。
黎明に少しの違いや変化があれば、桂月はすぐ気づく事が出来る。たぶん黎明もそうだ。
その事が桂月は何だか嬉しくて――お酒も入っていた事もあって――笑っていると「良い笑顔ですねぇ」とマスターに褒められた。
黎明の事ならば自分もそうやって笑えるのだと、桂月が気付いた時だった。
◇ ◇ ◇
「――で？ そこまで桂月さんが落ち着いている理由は何ですか？」
そう言った御堂を見て、ずいぶんと悪い顔が出来るのだなと、桂月は冷静に思った。
爽やかな好青年と言う雰囲気から一転して、どこぞのチンピラのような顔つきになっている。ここまでガラリと表情を変えられるのならば、俳優を生業にも出来そうだ。
「おやおや。私はいつも落ち着いていますよ？」
「またまた～。ショッピングモールでは、かわいらしくガタガタ震えていたじゃないですか。俺はああいう方が好みですよ、いじめたくなっちゃますもん」
「ちょっと。桂月サンをそういう目で見ないでくれますか」
「ん～。あれは好みだけど、桂月さんは俺のタイプじゃないんで、ごめんなさい」
「どうして私が振られたような形になっているんですかね？ 私の方がごめんなさいなんですが？」
不快に思ってそう言えば、御堂は「あはは」と楽しそうに笑う。
そして人差し指を、すい、と桂月に向けた。
「
御堂は一度言葉を区切り、
「単なる強がり？」
じい、とこちらを見つめて来る彼の目は鋭い。相手の反応を一つも逃さないと言わんばかりだ。疑うのが守護隊の仕事とも言えるが、何年もそこに所属しているだけの事はある。
御堂の言葉はどちらも正しい。企んでいるのは事実だし、気を張っているのも本当だ。
氷月家は自分の実家である雪宮家と同様に、桂月にとっては嫌な思い出ばかりがある場所だ。そんな場所へ行けば、気を抜いたとたんに過去の色々が勝手に頭の中に浮かんでしまう。
目の前の千明に対してだってそうだ。桂月は直接に彼から何かをされたという記憶はない。けれども桂月の中では千明は嫌な記憶の象徴でもあるのだ。
嫌悪する父が心酔している氷月家の当主で、桂月の
今だって逃げ出したくて逃げ出したくてたまらない。氷月と雪宮から桂月の心に刻まれたトラウマがそうさせるのだ。
――だけれど桂月は自分でこうする事を決めたのだ。
いつまでも逃げ出したくないと、なけなしの勇気と黎明への想いだけで桂月はここにいる。
強がりだろうが何だろうが、やり遂げる事が出来たならば自分達の勝ちだ。
にっこりと桂月は殊更笑みを深める。
「おやおや。千明さんを押しのけて、あなた、やけに饒舌ですねぇ。何か焦ってらっしゃる？」
「……へぇ、そう返すんですねぇ」
ふふ、と桂月は笑い声だけでそれに答えると、再び千明の方へ顔を向ける。
こちらは相変わらず、最初と何も変わらない無表情だ。初めて出会った時から桂月は、千明がこれ以外の表情を浮かべているのを桂月は見た事がない。
「まぁ、お断りされるのは仕方ありません。だって協力のお願いですからね」
「諦めが早くて何よりだ」
「諦めてはいませんよ。言ったでしょう？
そう言って、桂月は鞄から紙をもう一枚取り出した。そこには大和守護隊の紋章が箔押しされ『捜査許可証』と記されている。
これは限定的かつ一時的ではあるが、大和守護隊と同等の捜査権限を与える、という意味を持つ許可証だ。
桂月達のようにアヤカシ絡みの事件で大和守護隊と関わりのある者達が、どうしても必要な時に申請すると、審査の末に与えられるものである。
もちろんなかなか強い効力を持つものなので、滅多に発行されるものではない。
御堂はそれを見て血相を変えた。
「馬鹿な。なぜ、そんなものが……！ 出るはずがない！」
「出るはずがないとはおかしな事を言いますね、御堂君。大和守護隊にとってアヤカシが起こす事件の解決は重要事項でしょう？ しかもこんなに大量なんですから。条件には合致しますよ」
「申請して最低でも一カ月は掛かるものですよ！？ 俺が知らないなんてありえない！」
どうやら彼はそれ関係も握りつぶせるような立場だったらしい。
なるほど、なるほど。そう思いながら桂月は笑みを崩さない。
ちなみに彼の言っている言葉は事実だ。この許可証は簡単に発行出来るものではないので、普通であれば一カ月は掛かる。
それが桂月の場合は一週間だった。御堂はその事は知らないだろうから、ショッピングモールの件の時点で申請したと思ったのだろうか。しかし、それでもかなり早い。
だがこれは桂月の力ではなく、桂月が頼った桔梗区の者達の力だ。
娯楽区でもある桔梗区は、夜の店なども多く立ち並んでおり、要人や役人もお忍びでやって来る。
その繋がりを使って桂月は頼んでもらったのだ。もちろん氷月についている守護隊の人間以外を百合から得た情報で選別して、だが。
（百合さんはお若いが、なかなか情報収集に長けてらっしゃる）
万が一、彼女が大和守護隊を辞める事があったら、うちの事務所に勧誘してみても良いかもしれない。黎明との相性も悪くなさそうだ。
なんて事を思いながら、桂月は捜査許可証を自分の顔の高さまで上げる。
「偽造を疑っても結構ですが、大和守護隊の箔押しを真似するのが無理なのは、あなたが一番ご存じでしょう？」
挑発するように言う桂月に、御堂は悔し気に顔を顰めた。斜に構えた振る舞いをしているが、こういう攻め方には弱いようだ。
そんな御堂とは反対に、千明は目を軽く細めただけで眼鏡を軽く押し上げる。
「……それで？ その許可証を持ってこの屋敷を調べるという事か？ だがあいにくと、お前が期待するようなものは、ここにはないと思うがね」
「と言いますと？」
「お前が本当に調べたいのは真宵邸の地下にある研究施設の方だろう？」
「あいにくと真宵邸は依頼の調査地点に被らないんですよ。あんな事があったのに不自然なまでにね。綺麗に隠してものです」
これも本当の事だ。桔梗区の協力者に頼んで大量の依頼を集めてもらったのだが、調査範囲を地図に書き出した際に、真宵邸だけは絶対に入らなかった。その代わりに氷月邸が浮かび上がる。
どう考えても意図的なものだろう。捜査の目をここへ向ける目的があったはずだ。
その結果、氷月邸が捜査対象になっとしても、大和守護隊と組んでいるから適当に誤魔化す事が出来る。この屋敷が調べられたとしても、千明の言う通り、本当に何もやましいものは出てこない、までがセットだろう。
御堂が動揺したのは捜査許可証が出た事に対してだ。彼にとっては何かしら困るものがあるのかもしれないが、落ち着き払った千明の様子を見れば桂月の推測は合っているはずだ。
この屋敷から真宵邸の研究施設に繋がる何かは出てこない。
けれど、そして桂月の狙いはそこではない。
「ですが、私は言いましたね。アヤカシ絡みの事件の調査に来たと。誰が真宵邸の件だと言いました？」
「……？」
「何を言って……」
千明が軽く首を傾げる。御堂も不可解そうに眉を潜めた。
そんな二人に桂月は、
「私達はね、
とても良い笑顔でそう言ってのけた。
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