私の上司は、エンマ大王。
山本田口
第1話 地獄に就職しました。
私は、早乙女なぎさ、22歳。もちろん、女子です。哀れな私の今の現状は
『大学は、卒業したけれど』と言われて有名な、就職浪人を目前に控えた、
大学四年生です。
クラスの友だちは、とっくに会社に内定をもらったり、大学院に進学したり、
それぞれが将来について、決まっている人たちばかりです。
それなのに、私と言えば、どこも決まらず、内定一つ取れていません。
このままでは、ホントに、卒業と同時にプータローです。
フリーターになるなんて、絶対にイヤです。どこでもいいから就職したい。
内定が欲しい。じゃないと、田舎から東京に出てきた意味がない。
家族の反対を押し切って、上京してから四年が経って、いよいよ卒業を目の前にしたのはいいけど何処にも就職できないなんて、家族には、口が裂けても言えない。
この日も会社面接に行ってきた帰りでした。もちろん、面接官の印象は最悪。
四年生になって、いまだに面接をしているなんて、話になりません。
面接をしても、一次選考にすらいけず、全滅状態の日々でした。
そして、ついに、来週に卒業式がやってきます。情けないことに、進路が決まってないのは私だけです。
自分で言うのもなんだけど、成績は決して悪くはありません。
クラブ活動や、ボランティア活動もやりました。顔は、十人並みだけど、彼氏だっていました。
半年前に、振られたけど・・・ それも、理由が、外資系の会社に採用されたから、
アメリカに行くので、別れようという、なんとも身勝手というかなんというか、怒るに怒れないような理由でした。
そして、今日は、そんな面接の帰りに、大学の就職課によって、なにか情報がないかみることにしました。
私は、掲示板に張り出された採用情報を眺めて、一つでも入れる会社がないか目を皿のようにして見ていました。
「おや、早乙女くん」
「あっ、先生」
声をかけてきたのは、就職課の本郷先生でした。白髪頭でベテランの先生です。
「今日は、面接じゃなかったのかな?」
「行ってきましたよ。微妙でしたけどね」
「それは、残念でしたね」
私は、盛大な溜息を洩らしました。すると、先生は、そんな私を可哀想な目で見ると何を思いついたのか、ポンと手を打つと、こんなことを言いました。
「ちょっと、ここで待っていなさい」
そう言うと、室内に戻ると、すぐに戻ってきました。
「キミに、いい勤め先があるけど、ここはどうかね?」
そう言って、一枚の紙片を見せてくれました。
今の私には、藁をも掴む思いだったので、慌てて飛びつきました。
「どこですか?」
「うん、社長秘書なんだがね。キミは、若いし、美人だし、ちょうどいいと思うんだけど、やってみないかね?」
「やります、やります。ぜひ、お願いします」
私は、そう言って、頭を何度も下げました。
「そうかね。やってくれるかね。いゃあ、私も、なり手がいなくて困ってたんだよ。社長から頼まれたんだけど、なかなかやってくれる人がいなくてね。そうかね、やってくれるかね。それじゃ、頼むよ」
「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします」
私は、何度も頭を下げました。こんなに頭をペコペコ下げたことは、なかったと思います。
「それじゃ、話を付けておくからね。来週が卒業式だから、それまでに面接に行ってきてほしいんだよね」
「いつでも構いません。どうせ、暇ですから」
「それじゃ、私の方で話をしてみるから、面接のこと、よろしくね」
「ハイ、ありがとうございます」
私は、そんな先生の背中に、頭を何度も上げ下げしました。
その後、私は、家路に向かいます。その時の足取りは、スキップしそうなくらい軽くて雲の上を歩いているような気分でした。
でも、この時は、秘書という仕事の内容を、まったくわかっていませんでした。
それに、勤め先である会社が、まさか地獄とは・・・
卒業式の二日前に、私は、先生に渡された地図を頼りに、会社面接に向かいました。
「えーと、この辺なんだけど、どこなんだろう?」
住所を頼りに行ってみれば、そこは、廃墟のような雑居ビルでした。
今にも壊れそうなビルを見上げても、看板一つ出ていません。
入ろうにも、ドアが傾いて、錆びついていて、中に入ろうとしても入れません。
私は、そんなビルというかドアの前を行ったり来たりしていると、壊れかけたドアが開いて、場違いなきれいな女性が出てきました。
「あら、あなた、遅かったわね」
「えっ?」
「面接に来た子でしょ。こっちよ」
「ハ、ハイ」
言われるままに、美人の女性の後について中に入りました。
それにしても、中に入ると薄暗いし、周りは埃だらけで、歩くのも大変です。
「こっちよ」
細くて暗い廊下を歩くと、突き当りのところで止まり、ドアを開けてくれました。
そこには、もう一つドアがあって、思わずビックリして足が止まりました。
「このドアの向こうが、地獄だからね」
「ハイ?」
今、なんて言ったのかしら? 確か、地獄って言いませんでしたか? イヤイヤ、そんなわけないでしょ。
そりゃ、会社というところは、仕事をするところだから、厳しいところだし地獄かもしれない。
でも、入社前の面接に来た女子大生に、地獄なんて言うわけがない。
きれいな女性は、当たり前のように、ドアを開けて中に入りました。
私も急いで後に続きます。すると、そこには、下に通じる階段がありました。
細くて白い階段が、ずっと下の方に続いていて、一番下が見えません。どんだけ長い階段なんだろう・・・
「脚元、注意してね。落ちたら、死ぬから」
イヤイヤ、死ぬって、いくらなんでも大袈裟でしょ。そりゃ、打ちどころが悪かったら、死ぬかもしれないけど
足を怪我をするくらいで、死ぬっていうのは・・・
そう思って、私は、足元に目をやりながら、気を付けて一歩ずつ階段を下りました。その時、ふと、前を見ると、私の前を歩く彼女の足元が目に入りました。
「えっ!」
思わず声が出て足が止まりました。
「あ、あの・・・」
「どうしたの?」
「脚が・・・」
「脚? 」
「あなた、階段を下りてないですよね」
「当り前でしょ。あたしは、幽霊だもん。脚はないのよ。幽霊って、脚がないの、知らないの?」
当たり前のように言う言葉に、全身が凍り付きました。
まさか、ホントに・・・ そんな訳はない。さっき、この人は、地獄って言ったのを思い出しました。
それじゃ、ホントに、ここは、地獄なの? 私が向かおうとしているのは、地獄なの?
「なにしてるの、大王様がお待ちだから、行くわよ」
「イヤ、でも、その・・・」
「なに、まさか、怖くなったからやめるっていうの?」
「その、えーと・・・」
「だから、人間て、信用できないのよね。大王様が連れて来いっていうから来たのにさ」
私は、美女の幽霊を前にして、足が竦んで歩けなくなりました。
「どうするの? 行くの行かないの?」
「い、行きます・・・」
そう言うしかありません。今の私には、これしかないのです。例え地獄だろうが、行くしかない。
これが最後のチャンスかもしれない。これを逃がしたら、ホントに就職浪人でプータローです。
こうなったら、地獄だろうが、天国だろうが、行ってやろう。そう決めました。
「あの、行きます」
「それじゃ、行くわよ」
私は、さらに階段を下りていきました。前を行く、幽霊の美女は、階段を降りるというより空中を浮いているだけでした。見ると怖くなるので、見ないように注意します。
そして、階段を一歩ずつ降りていくと、やっと、一番下に着きました。
下りの階段だったからましだったけど、登りだったら、とっくにギブアップです。
それでも、何段降りたのかわからないけど、膝がガクガクしていました。
「ご苦労様。よく、ついて来られたわね。アンタ、人間にしてはよくやったじゃない」
幽霊に褒められても、うれしくない。それに、階段を下りただけで、褒められても微妙です。私は、息を整えていると、幽霊の美女がドアをノックしました。
「大王様、連れてまいりました」
「入って」
中から、声が聞こえると、幽霊の彼女がドアを開けました。
「大王様が直々の面接なんだから、失礼なことを言ったら、呪い殺すからね」
入り際に、彼女がものすごく物騒なことを言いました。一瞬、私の顔が引きつって、顔面蒼白になります。
「それじゃ、後は、アンタ次第だから、がんばってね」
「あの、あなたは・・・」
「あたしは、案内するだけだから」
「そうだったんですね。ありがとうございました」
「とにかく、がんばってね。無事に就職できたら、また、地獄で会えるといいわね」
彼女は、最後に、すごく恐ろしいことを言って、消えてしまいました。
一人取り残された私は、勇気を持って、ノックをしました。
「どうぞ」
部屋の中から声が聞こえたので、ドギドキしながらそっとドアを開けました。
「失礼します」
そう言って、中に入りました。そんな私の目に飛び込んできたのは、ものすごく豪華な社長室でした。
壁には、高そうな絵がいくつもあり、高価な壺や彫刻が置いてあります。
部屋の中央には、高級そうなテーブルに革張りのソファが置いてありました。
部屋には、真っ赤なじゅうたんが敷き詰めてあり、その奥に、絵に描いたような高級な机の向こうに、高そうな椅子にふんぞり返っている男性がいました。
「あ、あ、あの、面接に来た、早乙女なぎさです。初めまして、よろしくお願いします」
震える声で体をくの字に折り曲げて挨拶しました。
「なぎさちゃんね。初めまして。わしがエンマ大王です。よろしくね」
顔を上げると、そこには、マンガやテレビで見たのとほとんど同じ、恐ろしい顔をした人が座ってました。
「面接でしょ。そんなに緊張しないで。こっちに来て、座ってください」
そう言って、大王様は、立ち上がると私をソファに座るように言いました。
私は、震える足を励ましながら、ゆっくりソファに腰を降ろしました。
「失礼します」
「ハイ、どうぞ」
そんな大王様は、身長が160センチほどの私とさほど変わらない背丈です。
少し小太りな体で、鎧のようなものを着ていました。顔は、真っ赤で、目がギョロッと大きく、口は大きく裂けて牙が見えていました。頭には『大王』と書かれた冠を被り、角が二本立っている髪は、金色でパーマがかかっているようでした。差し出した手は大きく、その五本の指の先には、鋭い爪がきらりと光っていました。
そんな威厳がある姿とは違って声は若く、友だちに話すような口ぶりでした。
「えっとね、早乙女なぎさちゃんね。キミは、わしの秘書だから。どうかね、やれるかね?」
「ハ、ハイ、よろしくお願いします」
「あっそぅ、んじゃ、採用ね」
「ありがとうございます」
「そんでね、ウチの会社なんだけど、話はきいてる?」
「いえ、余り聞いていません」
「んじゃ、話すから、よく聞いてね」
そう言って、大王様は、テーブルに両手を置くと、軽く握って話を始めました。
「ウチの正式名称は、地獄株式会社だからね」
「ハイ?」
「ここは、地獄なんだけど、会社登記してあるのよ。だから、株式会社ね。人間の会社と変わんないよ」
言ってる意味がわからない。地獄とは聞いたけど、まさか、株式会社とは思わなかった。
「だから、ウチにいる鬼とか妖どもは、全員正社員なのよ。もちろん、キミもね。だから、ちゃんと給料も払うよ」
「きゅ、給料ですか・・・」
「そうだよ。だって、お給料がなければ、生活できないでしょ」
確かにそう言われれば、その通りだ。給料がもらえなければ、生活できない。
「ちなみに、初任給は、20万獄ね」
「20万獄ですか? 20万円ではなくて・・・」
「そうだよ。地獄の単位は、獄だから」
まったく、意味がわからない。20万獄って、日本円に直すといくらなんだろう?
「それと、有休は、年間20日。ちゃんと取ってね。それと、地獄保険にも入ってもらうから」
「地獄保険ですか・・・」
「そうそう、社員は、みんな入ってるからね。もしもの時に保険に入ってないと、大変でしょ」
もしもの時って、どんな時だろう? とても怖くて聞けない。
「キミの住むところは、社員寮を用意してあるから、そこから通勤してもらうからね」
「社員寮なんてあるんですか?」
「そりゃ、あるさ。キミは、独身でしょ。結婚してるなら、ウチを貸したり、建てたりできるけど一人だから、寮に住む方が楽でしょ。食事もちゃんと出るし、掃除や洗濯もしてもらえしね」
「そうなんですか?」
「もちろんだよ。ウチは、社員に優しい会社を目指してるからね」
エンマ大王にそう言われても、説得力がない。まして、ここは、地獄だし・・・
「それと、わしのことは、社長と呼ぶようにね」
「社長ですか?」
「そうだよ。だって、わしは、この会社の社長だからさ」
「大王様ではなくて?」
「そうそう。だって、キミは、ウチの社員だし、人間でしょ。鬼とかバケモノならともかく、生きてる人間に大王様なんて、言われる筋合いないからさ」
確かに、会社の社長だから、社長と呼ぶのは、当然だけど、見た目が違和感あり過ぎる。だけど、会社の組織として、給料はもちろん、保証や福利厚生もしっかりしているのは、ありがたい。
「そんなわけで、何か質問とかある?」
「あの、秘書なんて、初めてなので、よくわからないんですけど、何をやればいいんですか?」
「簡単だよ。毎朝、広報から今日の予定が上がってくるから、それをわしに教えてくれればいいだけ。
後は、わしの言うことを聞いてくれれば問題ないから。それと、毎日、見回りをして鬼とか番人たちの苦情とかあれば、
聞いておいてほしいんだよね。それくらいかな」
「わかりました。がんばります」
「それからね、一応、勤務時間は、特にないのよ。ここは、地獄だから、24時間フル稼働で、年中無休だからね」
「えっ! それじゃ、お休みとか、勤務時間が、何時から何時までとか言うのは・・・」
「それは、適当。なんか用事があったら、休んでいいよ。勤務時間は、人間みたいに、九時から五時までとかそういうのがないのよ。予定や会議がないとき以外は、わしは、ずっとここにいるし、キミも好きな時間に来てくれればいいから」
「そう言われても・・・ 何時に出勤したらいいのかわからないと、一日の始まりというかなんというか・・・」
「それもそうだね。それじゃ、九時から五時でいいかな。でも、時間とか曜日とか今日が何日とか、そういう括りがないから、自分で時間を管理してね。そうしないと、体調を壊すから。そうそう、基準になるように、この時計を上げるから、時間軸は、これを見ながら動いてくれる」
そう言うと、社長は、机の引き出しから腕時計を私にくれました。
「ありがとうございます」
しかし、受け取ったのはいいけど、私が知っている時計ではありません。
1から12までの数字もなければ、針もない。デジタル時計のように数字も表示されません。
「あの、これは、どうやって見るんですか?」
「この時計の見方はね、人間の世界で言う、干支で表してるのよ。十二支って知ってる?」
「ハイ、それは、わかります」
「だからね、今は、辰時寅分てことね」
そう言われても、全然わからない。辰時って、何時なのよ?
「詳しいことは、広報の人に聞いて。わしは、これから神とランチに行くから」
えっと・・・ 広報とか、神とランチとか、まったく話についていけない。
「それじゃ、明日の子の刻に来てね。今日は、もう、帰っていいよ。卒業式が終わったら、よろしくね。お~い、幽子」
社長が天井に向かって言いました。すると、どこからともなく、スゥ~ッと、生温かい風が吹いてきました。
すると、私の隣に、さっきの美人の幽霊がいました。
「えっ!」
私はビックリして飛び上がりました。
「そんなに驚くことないでしょ。さっき、会ったじゃない」
そう言って、美人の幽霊は、私にウィンクしました。
「幽子、なぎさちゃんを外まで送ってあげて」
「ハイ、かしこまりました」
そう言うと、私は、美人の幽霊さんと社長室を後にしました。
そして、そのまま、さっきの階段を昇りました。かなり疲れたけど、緊張のせいか、それほど苦にはなりませんでした。
「それじゃ、またね。よかったね、採用されて」
「ハイ、ありがとうございます。明日から、よろしくお願いします」
「明日は、一人だからね。迷子にならないでよ」
「ハイ」
こうして、私は、帰宅することになりました。
不思議だなと思いながら帰りました。
そして卒業式を無事に終えた翌日です。子の刻に来るようにと言われたけど、何時に行けばいいのかわからないのでとりあえず、八時に着くように家を出ました。
迷子にならないように、廃墟のようなビルについて、壊れそうなドアを開けて中に入ります。
先日のことを思い出しながら、部屋に入ると、そこには不思議なドアがありました。
今日は、一人なのです。かなり緊張しながらドアを開けると、長い階段をひたすら降りました。
下に着くと、昨日と同じ、無機質な長い廊下がありました。
周りを気にしながら廊下を歩いて、突き当りまで来ます。ここが、社長室です。
間違っていたら、どうしようと思いながら、ドアをノックしました。
「ハイ、どうぞ」
「失礼します」
声が聞こえたので、私は、ドアを開けて中に入りました。
そこには、確かに大王様・・・じゃなくて、社長が座っていました。
「社長、おはようございます。今日から、よろしくお願いします」
私は、朝の挨拶をして、丁寧に頭を下げました。
「おはよう、なぎさちゃん。一人で来れたね。でも、時間が早すぎるよ。子の刻でいいって言ったじゃない。今、寅時だよ。遅刻するよりいいけどね」
「すみませんでした」
「いいよ、いいよ。時計の見方を勉強しておいてね。それじゃ、まずは、会社見学からね」
そういうと、社長が言いました。
「風小僧、どこにいる? エンマが呼んでおる。出て来い」
社長が天井に向かって言いました。すると、ドアは閉まっているし、窓もない部屋に、突然風が吹きました。
ソファに座っている私は、思わずスカートの裾を押さえます。明日から、パンツスタイルにしようと思いました。
「お呼びですか、大王様」
「用事があるから、呼んだのだ。相変らず、お前は、皮肉屋だのぉ」
「恐れ入ります」
そこに現れたのは、小学生くらいの男の子です。でも、容姿が私が知ってる小学生とは、まるで別人なのです。
髪が白く、手足も細い。それ以上に、肌が透き通るくらい白いのです。白いシャツに白い半ズボンを履いて身体全体に風が渦を巻いて長い髪が絶えずなびいていました。
「風小僧、この子が、今日から、わしの秘書になった、早乙女なぎさちゃんだ。よろしく頼む」
紹介された私は、その場に立って自己紹介します。
「初めまして、早乙女なぎさと申します。よろしくお願いします」
「ぼくは、風小僧。大王様の忠実なシモベだよ」
「シモベ?」
「下僕でもいいよ」
そんな言い方は、いくらなんでも、言い過ぎだと思う。
「風小僧、なぎさちゃんに事務所を案内してくれ。それと、見回る場所を教えてやれ。会社のこともよくわからないから、きちんと説明してやるように。終わったら、寮に送るんだぞ」
「かしこまりました」
「それじゃ、わしは、予定があるから、後は、風小僧に聞いてくれ。明日から、頼みますよ」
「ハイ、よろしくお願いします」
私は、そう言って、部屋を出て行く社長を見送りながら、挨拶しました。
「まったく、大王様って、いつも余計なことは、ぼくに押し付けるんだから、まいったなぁ」
そう言うと、風小僧は、ドスンとソファに勢い良く座りました。
「アンタ、名前は、何だっけ?」
「早乙女なぎさです」
「んじゃ、なぎさちゃんでいいよね」
なんだこの変わりようは・・・
社長がいるときといないときの態度が別人のように違う。
この子は、社長のシモベじゃなかったのか?
「んじゃさ、適当に行きますか。とりあえず、事務所の五感王様に会わせてやるから、付いてきて」
そう言うと、立ち上がって、社長室を出て行きました。
「なにしてんの、付いてきてよ。迷子になるよ」
「ハ、ハイ」
その場に立ち尽くしている私に、風小僧くんが言いました。
私は、慌てて社長室を出ました。
「この廊下は、長いからね。突き当りが社長室で、左が秘書室のなぎさちゃんの部屋になるから」
そう言いながら、細くて長い廊下を歩きました。殺風景で白い壁、白いドアが左右にいくつもありドアには何も書かれていないので、この部屋は何をやっている部屋なのか、まるでわかりません。
「なぎさちゃんが使うのは、だいたいこの先の総合事務室か営業の部屋くらいだよ。後は、関係ないと思うからなるべく、開けない方がいいと思うよ」
「どうしてですか?」
「夜、トイレに行けなくなるとか、怖い夢を見て寝られなくなるから」
忘れていました。ここは、地獄なんです。開けてはいけないドアとか、見てはいけない部屋があっても不思議ではない。
私は、気を引き締めて、風小僧くんの後をついて行きました。
考えてみれば、こんな小さな男の子でも、立派な妖というか、妖怪というか、バケモノなのです。気を許してはいけません。
「ぼくは、風を操る能力があるだけで、なぎさちゃんに危害を加えるほどの力はないから安心して」
不意に言われて、私は、ビックリしました。
もしかして、私の心を読めるのかもしれない?
それにしても、長い廊下です。振り向くと、突き当りの社長室の部屋が小さく見えます。いったい、どこまで歩くんだろう? これまで、いくつものドアを通り過ぎました。こんなにたくさんドアがあるということは、その数だけ部屋もあるということになります。このドアの向こうは、どんな部屋なのだろうか・・・
しばらく歩くと、風小僧くんの足が止まりました。見ると、そこには、下に続く階段がありました。
「この下を行くと、ホントの地獄だから、この後、案内するね」
そう言って、階段のすぐ隣のドアを開けました。
「ここが、総合事務所でその隣が営業部だから、覚えやすいでしょ」
確かに、階段の隣の部屋だから、私でも覚えられます。
「それじゃ、行くよ」
私は、息を飲んで、風小僧くんと中に入りました。
中に入って驚きました。そこは、私が知っている、大企業の事務所のような部屋でした。ものすごく広くて、たくさんの人・・・ イヤ、妖とかバケモノとか鬼とか、人間以外の姿をした生き物たちが大勢いたのです。その誰もが、机にしがみ付き、電話をかけたりパソコンに向き合っていたり、いろんな声が聞こえて圧倒されました。
「入ってすぐが、総務ね」
そう言いながら、通路を歩くので、私は、遅れないように後について歩きました。
通路を歩いているときも、周りからいろんな声が聞こえてきました。
でも、何を話しているのか、まるでわかりません。
なぜなら、日本語でもなく、英語でもないので、話している内容がちっともわからないのです。さらに進みます。
「総務の隣が人事部ね」
地獄にも、総務とか人事とかあるんだ・・・ これじゃ、ホントに会社じゃないか。私は、目を白黒させながら周りを見渡しながら歩きました。
「あら、あなた、ホントに就職したのね」
急に声をかけられて振り返ると、そこにいたのは、私をここまで案内してくれた、美人の幽霊さんでした。
「その節は、どうもありがとうございました」
「よかったじゃない。採用されたんでしょ」
「ハイ」
「アレ、知り合いなの?」
風小僧くんが言いました。
「ちょっとね。ところで、アンタ、何してんの?」
「大王様に言われて、新人を会社案内してるの」
「フゥ~ン、アンタ、大王様の下僕だもんね」
「ほっといてくれ」
そう言うと、風小僧くんは、そっぽを向きます。
「とにかく、よかったわね。あたし、広報課にいるのよ。これからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
日本語が通じる人がいて、ホッとしました。
それも、知ってる人がいるのは心強い。
「何かわからないことがあったら、何でも聞いてね」
「ありがとうございます」
「それじゃ、あたし、仕事中だから、また、後でね」
そう言うと、幽霊さんは、スゥーッと消えて行きました。
「あいつは、アレでも、広報課の課長だから、仲良くしておいた方がいいよ」
「そうなんですか」
まさか、幽霊が課長とは、思いませんでした。さらに、先を進みます。
「ここが、地獄を統括している部署ね。アソコにいるのが、統括部長で、この会社の副社長の五感王様」
そう言われて前を見ると、そこだけがものすごく巨大な人が座っていました。
その人の前に出ると、風小僧くんが言いました。
「五感王様、新しく秘書になった、人間を連れてきました」
「は、初めまして、秘書の早乙女なぎさと申します。よろしくお願いいたします」
私は、そう言って、丁寧にお辞儀をします。
「苦しゅうない、面を上げて、顔を見せ」
まるでお殿様のような口ぶりに驚きながら顔を上げました。そこにいたのは、五感王と呼ばれる大男でした。社長のように冠を被り、顔は青く、目が吊り上がって、裂けた口から牙が見えました。
強そうな鎧を着て、大きな椅子にふんぞり返っています。
立ったら3メートルくらいはありそうです。座っているだけでも、体の大きさが他の人たちとは、まるで違います。
私を見下ろし、睨みつけるその目に、吸い込まれそうでした。
「なぎさと申すか」
「ハ、ハイ・・・」
「大王様が採用したのが、生身の人間というのは、ホントだったんだな」
なんだか、呆れたような口ぶりでした。もしかしたら、私のことが嫌いなのかと思います。
「ここは、地獄だから、それだけは忘れないように。生きて地獄にいる人間は、お前だけだからな。せいぜい死なないように、気を付けて仕事をするように。わからないことがあれば、なんでも聞くがいい」
「ハイ、よろしくお願いします」
死なないようにって、どういう意味だろう。
「それじゃ、五感王様、社内案内があるので、これで失礼します」
「しっかりやれ」
そう言うと、風小僧くんは、踵を返して元来た通路を歩いて行きます。
私は、何度も頭を下げながら、風小僧くんの後を急いで追いました。
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