十三通目-3

怜が暗い場所を嫌いなのは、母親が帰って来るのを恐れた為です。一度は待ち侘びたその行為も、時と共に逆様になってしまったのです。



──貴方が帰ってくるのは、大抵とても夜遅くでした。


怜は必然的に毎日一人で過ごし、自由があったのもあり、夜遅くまで起きている日がありました。


ところが、起きているのが貴方にバレてしまうと、烈火のごとく怒られたのだそうで、起きているのがバレないよう、起きていても電気はつけませんでした。


 当然子供は夜が怖いものです。


更には母親が帰って来ると、暴力を受ける可能性があります。

どちらにしても夜は怖いもので「暗い場所は怖いもの」と捉えるようになりました。


映画の中でもホラーが苦手なのは、恐怖の対象である貴方が原因で「玄関へと徐々に迫ってくる足音の恐怖が、ホラーで用いられる手法と良く似ている」という理由だったのです。


僕がはじめに見た怜のギョッとするような表情は、貴方が帰って来る怖さを我慢している時に、意識もせずしていたその表情が常態化してしまったものです。


 一方で映画が暗闇でも大丈夫なのは、家にいる時の暇潰しが映画だったからです。


貴方が趣味で集めた映像が家に大量にあり、それをこっそりと持ち出して鑑賞するのが、怜の楽しみでした。

映画を観ている時間は、なんの感情も持ち出すでもなく楽しんでいられました。大きくなってからは趣味として扱うまでになったのです。


映画に没入するのは楽しみでもあり、現実逃避でもありました。裏を返せば、それだけ怜の生活は大変であり、逃げ出したいものだったのです。


 更に影響について言いましょう。


 怜にとって母は負の象徴で、自らの人生では反面教師で遠ざけたい人でした。ですが、そうは出来ない自分という葛藤で生み出された諸々がありました。


怜の言動はそういったものに影響されていたと言えます。


手紙で書いて差し上げたテーマパークも、貴方という負の象徴を遠ざける為に使われていたとして良いでしょう。


 テーマパークに対して否定的で、連れて行ってはくれなかった貴方を否定する為、自分の中で価値を高め、実際に行って楽しむことで、貴方の言っていた言葉は完全に否定される。


恐らく、そういう意識が怜にはあったのでしょう。


 母の価値観が間違っていたとすることは、怜自身の肯定で、母親の考えから遠ざかっている証明でした。


怜がテーマパークに僕と行くと決めてから計画について拘りを見せたのは、母親の価値観から遠ざかりたいからの一点。多くの物を取り入れ楽しむ為にテーマパークを散々歩き回ったのは、それだけの価値があるとしたかったからで「そうまでしている現実が価値を証明するのである」という妄想だったと思います。


貴方を嫌うようになった怜にとって、母親が支配するところの価値、考え方から離れている実感を得るのは精神衛生上必要で、相当な価値があったのです。


他人にとってはつまらないものも、怜の中では輝きを放つ宝であり、癒しだったのです。


加えて、他人を介し母親からの脱却を目指していた面がありました。


 その象徴がプールであり自転車の件です。


怜は泳げないと書きました。

当然です。それは貴方が泳ぎを教えなかったのですから。


怜は自転車に乗れませんでした。

当然です。貴方が怜に乗り方を教えなかったのですから。


 夜にしか帰ってこない貴方は、昼間は起きていません。他人がいないと練習すら難しい泳ぎや自転車は、必然的に見ているだけのものになっていました。


学校でプールの授業があっても理由を付け休みました。本当は参加したい気持ちがあったというのに、泳げない、体に傷がある、保護者の許可がいる、では簡単じゃありません。


別段怜はプールに入りたくなかったわけではありません。寧ろ入りたかったし行きたかった。


でも学校のプールを断っている人間が他のプールへと行くわけにも行かない。放課後や夏休みに学校外のプールに行こうと誰かに誘われても断るしかありません。


もし思い切って行くとしても、長く家にいないだけで怒る人がいる。そんな人から許可を取るのは難しいし、無視して行っても、それでまた体に傷をつけられるかもしれない。体に傷が生まれれば『誰かに見られてもいけない』という意識から、より普段気を付けなければならない。


そんな環境では断るしかなかったのです。


 この経験が令美に対しての「泳ぎ習得への思い入れ」に繋がるのです。


待つのを苦手な怜がプールで我慢して待っていられたのは「令美が泳ぎを覚えてくれれば」という一念であり、だからこそ耐えにくいものを耐えていられたのです。そこまでしたのに苛立ちを抑えられなかったのは、それこそ貴方の影響なのです。


長く構ってもらえず待っているだけの状況を想像し、貴方自身の感覚と照らし合わせれば、怜がそうなってしまうのもお解り頂けるでしょう。


 耐え難いものを耐えていられたのは他にも、海への想いが強かったからです。


聞けば怜は海へは、一度たりとも貴方と行った記憶がないようです。記憶がないというよりは実際ないのでしょう。

怜が海へと行くようになったのは一人で暮らす様になってからです。僕と出会うまでは人生でほんの数回。


 海への憧れは相当にありました。


これは、怜の好きな映画で海についてのものがあったという影響も大きいです。


何故解るかといえば、その映画を一緒に観た経験があり、熱く語られたからです。


映画を観ている時に映画はそっちのけで、海への想いを語られました。一緒に観るとなっても、何度も観ている映画はちゃんと観る気はなく、恐らく話す為だけに僕は呼ばれたのだと当時思いました。


 この時の怜の熱さから、海へは並々ならぬものがあると悟りました。


僕が怜と一緒に観たその映画で覚えているシーンは、車椅子に乗った母親が息子に押されながら海岸を行くという場面で、アットホームな内容の映画のラストシーンは近いところだったと思います。


 怜は良好な親子関係を温かな家族と海を繋ぎ合わせ、海に行く家族は理想の家族と思っていた部分があります。


 それが海へと想いに繋がっていました。


書いて差し上げた例の海へと行った後にも事あるごとに「また行こう」と言っていたのからして、憧れの家族に近づけたという印象があったのかもしれません。


 その映像は貴方がまだ持っているかもしれませんから、思い当たる作品を見直すのをおすすめ致します。(その作品は怜が好きだったとはいえ、話しかけられ続けていたのと僕の好みでなかった為に、タイトルを思い出せないのは申し訳ありません。それでも貴方の集めていた作品の中にあったものですから、お解りになるでしょう)


 片や、自転車についても言いましょう。


酒を飲んで気まぐれに買ってきた子供用の自転車は長く放置され、キャラクターが描いてあって当時流行りだったそれも、時と共に古い物になりました。誰も見向きもしない、時代遅れで汚いだけの存在として、自転車置場に置かれる末路をたどりました。


こんな思い出があれば、何某かの強い想いを抱くのは当然です。


 斯様な決して良くない思い出となった泳ぎであり自転車は、貴方を否定する為に「自分とは逆に、令美には良いもの」としなくてはいけませんでした。


ある時、令美を連れ「海に行く」と決めたのも「自転車を買い与える」と決めたのもそんな理由でした。


怜には前述のような思いがあったせいで『令美には絶対、泳げても欲しいし、自転車に乗れるようになってほしい』という強い願望がありました。


泳ぎも無理、自転車にも乗れない怜からは当然、僕へのコーチングの依頼が来、これを僕は受けることになったのです。


僕が手紙に書いて送った、あの海に行った一連の思い出も、怜からの強い要望の末だったのです。


僕がどれだけ怜の想いに応え、熱心に教えたかは読んでお解り頂けたでしょう。


 怜の想いの強さは、自転車についての或日起こった出来事を書くのが良いでしょう。


──あの日「コーチングを受けるにしても、まずは自転車がなくては始まらない」というので「自転車を買いに行こう」と流れました。


早速買いに行く所を決め、喜ぶだろうと「自転車買ってあげる」と買いに行く前に令美へと言ってみます。


令美は「いらない」と返します。


早速困ってしまいました。

買いに行こうとしている直前だった我々は出鼻を挫かれ、戸惑いながら「なんでなの」と問うてみても、大した理由は言いません。察するに機嫌があまり良くなかったのと、自転車への興味がまだなかったからだと思います。


『だとしたら、無理に自転車に乗せなくても』というのが僕の意見だったものの、怜には母への嫌悪から来る強い思いがあり、強引に乗せようという意思を見せました。「自分が乗せると言ったからには乗ってもらわなければ困る」と言って、令美の意向を退けます。


強い思いは声に表れ、怜は「買いに行くよ」と大きめな声量で言いました。怜は令美の腕を掴んで、外へと連れ出す構えを見せます。

令美はやり方がやり方だっただけに、ちょっとした抵抗を見せ、忽ち問答が発生しました。


怜の強引さは必要のない意地を生み、次第に互いの力もエスカレートし、令美は引っ張られた腕を「痛い」と言いました。


言葉を聞いた怜は、一旦引っ張るのを止めたというのに、また腕を引っ張ります。

再度令美は「痛い」と言います。


怜はこれを令美の演技と見ました。実際そういう意図もあったでしょう。


 怜が令美の言動を演技と見たのは、普段の生活から来る感覚の麻痺が原因でした。令美は叩かれすぎて、大きな反応を見せない時が偶にあったのです。

ですから、この時のように令美が大きな声を出すのを演技と見たのです。


この点に怒りを覚えた怜は、いつもの悪癖を矢張出してしまいました。


 こうなってしまうと怜を落ち着かせなくてはならないし、令美も慰めなくてはいけない。

自転車を買いに行くどころではなくなってしまいました。


 結局、令美の自転車は買われることはありませんでした。


令美の印象が前述の悪い印象に繋がってしまい、いつ「買いに行こう」と言っても「うん」とは言わなくなってしまいました。令美が「うん」と言わない以上は何も進まず、生涯自転車には乗れない、いや触れる日すらなくなってしまいました。


 怜の母親に対する嫌悪、拘泥っぷりは、こうして更なる問題を自らでつくり上げていました。


「母親への嫌悪」という例をもう一つ挙げましょう。


その象徴は令美の名を見れば解ります。

その一部を取っても「貴方という存在をどれ程遠ざけたかったか」が見えます。


 令美の名は怜の漢字の一部を取って付けられたものです。

これは世間でも良くある手法で、他人が見ても別段、変に思うことはないでしょう。


 対して、貴方は気になる筈なのです。


怜の名も貴方の一部を取って名付けられました。このルールからすると、我々もそれに倣ってそうしたと考える向きもあるでしょうが、寧ろ逆だったと言えます。


この慣習があるからこそ、それを利用し決別を図ったのです。


続いてきたものを途切れさせる事に依って、実質上も意識上も別な場所にいる、と証明したかったのだと思います。


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