それは誰の願いか

砂田 透

『初めまして、宝』

「初めまして、ウィル」


 もう何度目か分からない初めの挨拶。僕と、ロボットであるウィルの一か月はこの挨拶から始まる。

 物心つく前から一緒にいたらしく、僕の思い出の中にはいつだってウィルがいた。


 高度なAIが開発され、人間の様に成長し活動できるロボットが当たり前に存在している時代。僕が生まれたのは、人間の数よりロボットの数が少しだけ多くなってきた時期だった。

 子供のように、ゼロから成長していくリアルさが売りのロボット「WISH」シリーズが爆発的人気を博しており、様々な方面で使用されていた。中には禁止されている使い方をする人もいるみたいだけど……、大抵の場合は家族という形で迎えられている。

 ウィルもその一例で、生まれたばかりの僕の兄弟として用意されていたらしい。


『宝、昨日は辛そうだったけど大丈夫?』


 中学生男子の姿をしたウィルが、僕の顔を心配そうにのぞき込む。


「大丈夫。それより早くご飯を食べちゃおう」


 WISHシリーズが人気なのは優秀なAI部分だけではない。体となる機械部分も画期的な技術が使用されており、人間と同じご飯を食べてエネルギーに変換できるのだ。

 流石に本体は交換をしなければ変化はないが、同じ食卓で同じ物を食べて生活できるということに、発表当時は世界中がざわついたらしい。


『美味しいね。宝は本当に料理上手だね。僕は不器用だから申し訳ないな』

「ありがとう。不器用でも頑張って掃除や片づけをしてくれてるよ! 僕はそっち方面はてんで駄目だから助かる」

『なら嬉しいな。今日は二限目からだっけ?』

「うん、一限目は先生が不調でメンテナンス中だからお休みだってさ」


「行ってきます」

『行ってらっしゃい』


 ウィルに見送られて大学へと向かう。

 大学は多くの人で賑わっているが、その殆どがロボットだ。学生も先生も事務員さんも。お掃除ロボット等の旧型も含めると7割くらいにはなるだろうか。

 人間の数は減る一方で、子供の数は非常に少なくなっている。子供は国の宝として不自由なく生活が出来るシステムが整っており、大学の規模を維持するのもその一環らしい。


『おはよう』

『おはよう! 先生のメンテナンスいつ終わるかな?』

「おはよう。古いボディを丸ごと変えるって聞いたから、今週一杯はかかるんじゃないかな」


 ボディの話をしながら、僕はウィルのことを考える。

 本来なら僕と同じ大学に通っているはずだったが、中学生になる時のボディ交換から彼の時は止まってしまった。

 システム移行の際に重大なエラーが出てしまい、所謂「心」の成長が止まり、エラーの深刻化を防ぐために修理も交換もできなくなった。


「ただいま」

『おかえり。何か良いことはあった?』

「んー、特にないかなぁ」


 帰宅して、いつものやり取り。


『明日は出かける約束だよね』

「うん、7時には出たいかな」

『目覚ましかけとくね』

「ありがとう」


 人格形成は中学生……正確には十二歳で止まり、記憶は削除され、記録だけが残るようになった。

 毎月一日の午前0時にシステムが強制ダウンし、次に目を覚ます時には僕を知らないウィルになっている。


「おはよう、ウィル」

『おはよう、宝』


 予定通りに早起きをして、二人で目的の場所へと向かう。

 電車を乗り継ぎ二時間かけて辿り着いたのは、元は田園だったらしい広大な墓地。


『お花、買って来たよ』

「ありがとう」


 僕は掃除、ウィルは花とお供え物の買い出し。いつもの役割分担だ。


『いつも提案してるけど、逆で良いよ? 掃除、苦手でしょ?』

「これで良いんだよ。お墓くらい、僕が掃除しなくちゃ怒られるよ」


 墓石をそっとなぞりながら、「だよね」と会ったことの無い両親に話しかける。

 僕が生まれてすぐに事故で亡くなった両親。思い出どころか写真の一つもないけれど、代わりにウィルという大切な兄弟を残してくれた。


 ウィルのエラーが発覚した時、業者には新システムへの交換を提案された。ウィルに使用されていたAIは不具合報告の多いバージョンで、サポートも終了されており修理は不可能だった。

 新しいバージョンのAIに変えることでエラーは解消される。しかし、引き継がれるのは記録のみ。


「帰ろうか」

『うん、帰ろう』


 中学生の僕は悩んだ。

 新しいAIに変えてしまえば、僕の大好きなウィルは消えてしまう。

 でも、このままではウィルは大人になることはおろか、修理をすることも出来ない。


 ウィルのためを思うなら、早めに交換をした方が良い。

 そう結論付けようとした時、僕の手を握り締めて、悲しそうに彼は言った。


【一緒にいたい】


 その言葉で、その手の震えで、僕は変えないことを選んだ。


「おはよう」

『おはよう!』

「今日の朝ごはんは豪華だよ」

『わ~! 卵のサンドイッチにコーンスープ! 僕の好きなやつじゃん!』

「今日は、月末だからね」

『あー、そっか。もう月末かぁ』


 現状維持を選んで誤算だったのは、成長が止まるだけでなく、僕との記憶がリセットされること。

 エラーが発覚して初めての一日ついたち

 目が覚めたウィルの「他人を見る目」を見て、涙が止まらなかった。記録はあるし、仕草や癖などはウィルそのものだ。でも、僕への態度は他人行儀。

 一週間ほど立ち直れなかったが、徐々に変化していく彼の様子に希望を見出した。一度リセットされても、また関係を構築していけばいい。


 そんな希望も、次の一日ついたちには打ち砕かれることとなる。


『おやすみ、宝』

「……おやすみ、ウィル」


 月末の午前0時前。

 二人で布団にもぐり、お互いの手を握りながら最後の挨拶をする。

 僕が泣きそうになるのを堪えながら目をつむるまでが、「いつも通り」の流れ。

 キュイーンという小さな音は、いつだって聞こえないふりをした。





『お花、買って来たよ』

「ありがとう」


 僕は今日三十歳になった。

 いつものようにウィルと共に墓参りに来ている。


『いつも提案してたけど、やってくれと言われても、僕はもう掃除は出来ないね』

「良いんだよ。僕も掃除はうまくなったんだ」


 昨年、僕が階段から落ちてしまった時、僕をかばったウィルの右足が折れてしまった。

 先月、僕が車とぶつかりそうになった時、僕をかばったウィルの左腕が取れてしまった。

 昔からそう。エラーが起こるずっと前から、ウィルは僕を守ってくれる。僕もウィルが大切なんだから、止めてくれって言っているのに。何度僕との関係がリセットされても、それだけは変わらなかった。

 僕が大学を卒業してからは、仕事にだって付いてくるようになって、文字通りずっと一緒にいて守ってくれている。


『ロボットが松葉杖を使っているなんて、コントでも見たことないよね』

「人間だって使うことは少ないからね」


 掃除を終えて、花を飾り、僕の好きなお菓子を供える。


「さぁ、帰ろうか」

『うん、帰ろう』


 ゆっくりと駅に向かっている最中、ふとウィルとの一番古い記憶を思い出した。

 いつも傍にいる男の子に、「だぁれ?」と聞いた。その子は口を開いて、声を発する前にきゅっと閉じて、少し困ったように笑いながら、「ウィル」と答えた。

 何故突然? と思ったけど、きっと虫の知らせだったのだろう。


『宝……宝っ!』

「……っ、ウィル?」


 目を覚ますと、全身に激痛が走った。泥まみれのウィルが僕に必死で呼びかけている。不思議だ。まだ二日目なのに、その瞳はとても温かく見える。

 どうやら崖の下に落ちたらしい。山側を歩いていた筈なんだけど。

 僕の腹部には木の枝が突き刺さり、両足は変な方向に曲がっている。動かないところを見ると、腕も駄目だろう。


「ウィルの足も……折れてるか……」

『僕のことはどうでも良いよ!』

「良くない。ウィルは僕の大事なお兄ちゃんなんだから」


 僕の唯一の家族。代わりなんてない、唯一のお兄ちゃん。


『救急に電話してるんだけど、全然出ないんだ……』

「そうだろうね」

『僕、何とか上まで行って人を探してくるっ』


 残った右腕で地面を這っていこうとするウィルを、「行くな!」と止めた。

 終わりが近いのは自分が一番分かっている。


『でも……』

「昔さ、一緒にいたいって、言ってくれたの覚えてる?」

『もちろん』

「嬉しかった。僕は出来損ないだったから……」


 あの日、選択を間違えていたら……。


「ウィル、手を握って」

『うん……』


 僕の手はもう動かない。全身の感覚もなくなってきた。

 今、動くのはウィルの右手だけ。


「強く握って」

『うん……』


 僕が握り返せない分、ウィルに強く握ってもらう。


「僕の最後のわがまま、聞いてくれるかい?」

『もちろん』

「最後まで、君と一緒にいたい」

『僕だって、君と一緒にいたい』


 視界がかすむ。音もどんどん遠ざかっていく。

 いよいよか。


「おやすみ、ウィル」

『……おやすみ、宝』

 

 今日の僕は、きっと笑っていただろう。

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