第14話 さよなら

「いいや。何も変わらないよ、俺達は」


 ひゅっと私の喉が鳴る。


 本当は分かっていた。今更ドノヴァンが私を好きだと言ってくれたところで、私達の関係が変わる筈などないことは。


 分かっていて……それでも僅かな希望に縋り付きたかった。縋り付いていたかった。


 だけどもう……無理だ。流石にこれは酷すぎる。私はもう……頑張れない。


 ずっとドノヴァンと両思いになることを夢見てきた。彼を愛し、愛される関係になることを望んできた。


 今は私からの一方通行でも、両想いになることができれば、彼からも愛情を返してもらえるようになると信じていた。


 でも……。


「そんなの、無理だったんだね……」


 ドノヴァンが私を好きになっても、ならなくても、私達の関係は変わらない。ずっとこのまま。


 だったら、私とドノヴァンが両想いになることに意味はあるの? 私は一生彼に縛り付けられたままで良いの?


 そう思ったら、ゾクリと身体に寒気が走った。


「……ラケシス? お前は俺を受け入れてくれるよな? お前はずっと俺のこと好きだったんだろう?」


 聞こえて来たドノヴァンの声に、顔を上げる。


 気付けば、彼はゆっくりと私の方へ向かって近付いて来ていた。


 え? 待って。ドノヴァンは、私が自分のことを好きだっていうことに気付いていたの? それを知っていながら、今まで何も言わずに過ごしていたの?


 嘘。どうして? もしかして私から告白されるのを待っていたとか? ううん、それならアリーシャさんに告白された時点で、保留になどせず最初から断っていた筈。だったら何故?


『恋人と幼馴染は別に持てる』──その時不意に頭に浮かんだ、ドノヴァンが以前言っていた言葉。


 その本当の意味を、私は漸く理解できたような気がした。


 恋人と幼馴染、どちらも確保しておくために、曖昧にして両天秤。かたや恋人、かたや幼馴染。その関係性を盾にすれば、浮気と言われることもない。そういうこと。


 そして私は愚かにも、今の今までそのことに気付いていなかった。


 恋に憧れすぎて……何も見えていなかったんだ。


「ごめんなさい……」


 知らず、私の口から謝罪が漏れた。


「ラケシス?」

「ごめんなさい、ドノヴァン。私は……あなたとは付き合えない」

「はあっ!?」


 刹那、強い力で両肩を掴まれた。痛い……。


「なんでだよ。お前はずっと俺が好きだったんだろ? なのになんで付き合えない? 俺が好きだと言ってやって、お前と付き合ってやるとまで言ってやってるのに、どうしてそんなこと言うんだよ!」


 理解できない、と言いた気に、ガクガクと強い力で揺さぶられる。


 ああ、やっぱり。これが本当のドノヴァンなんだ。


 私に告白してきた時は下手に出ていたのに、今では完全に上から目線になっている。言い方も随分と偉そうだけど、これは私がこれまでドノヴァンをそうやって甘やかしてきたからなのよね。


 ドノヴァンに好かれたいと思うあまり、色々なことに我慢をして、彼の言いなりになり続けた結果がこれなんだ。


「ごめんなさい。でも無理なの……ごめんなさい」


 今の私には、もう謝ることしかできない。


 ずっと彼が好きだった。その気持ちは、今でも消えてはいない。


 だけど私は気付いてしまったから。彼と一緒になっても幸せにはなれないということに。


「なんで、なんで! 取り消せよ! 今更付き合えないって、そんなこと……お前は俺のモノじゃないか!」


 違う、違う。勘違いさせてごめんなさい。思い通りの存在になれなくてごめんなさい。


 私が悪いのは分かっているけど……私はあなたを受け入れられない。受け入れるわけにはいかない。そうしたところで、あなたが変わらないのは分かっているから。


「……っ、もしかしてアイツのせいか? 前に街で見た……劇場前でお前と手を繋いでいた男。アイツのせいなのか? そうなんだろ!?」


 劇場前……手を繋いでた……ルーブルさんのこと!?


「違うわ! ルーブルさんは何も関係ない」

「あの男、ルーブルっていうのか。よし、分かった。今からすぐそいつの所に行って──」

「いい加減にしろよ」


 不意に低い声が、私の耳を打った。


「ラケシスに拒まれたのは、お前自身が原因だ。そんなことも分からないのか?」


 ドノヴァンを睨みつけながら近寄ってきたクレストさんは、私の肩からドノヴァンの手を乱暴に引き剥がす。


 そうしたうえで、ドノヴァンの胸ぐらを掴み上げると、小さな子供にでも言い聞かせるかのように、ゆっくりとこう告げた。


「お前の恋人はアリーシャだ。アイツ自身、お前に告白を保留にされたことを忘れ、既にそう思い込んでいる。加えてアイツは侯爵令嬢だ。お前の家の爵位は知らないが……どうせ格下だろ? アリーシャからは逃れられないさ」


 ドン! と突き放すようにドノヴァンの身体を離し、クレストさんは徐に私へと手を差し出してくる。


 何故、彼が私にそんなことをして来るのか分からずに首を傾げると、困ったように微笑まれた。


「もうすぐ此処にアリーシャが来る。だから君は、もう此処にいない方が良い」

「えっ!?」


 驚いたように声をあげるドノヴァンと、やや遠くの方からアリーシャさんの声が聞こえて来たのは同時だった。


「ドノヴァン! ドノヴァンどこなのぉ?」

「や、ヤバい。ク、クレスト……」


 一体なにがヤバいのか。


 クレストさんにしがみ付こうとするドノヴァンを足蹴にし、彼は私の手を掴む。


「良いじゃねぇか。アリーシャだって幼馴染と同じぐらい尽くしてくれてるんだろ? これで文句なんて言ったらバチが当たるぜ?」

「あ、ドノヴァン! そこにいたのね!」


 嬉しそうなアリーシャさんの声と共に、「行こう」とクレストさんに言われ、その場から離れる。


 暫くしてふと後ろを振り返ると、ドノヴァンに抱き付くアリーシャさんの姿が見えた。対するドノヴァンも、私のことを好きだなんだと言っていたわりに、嫌がっている様子はなくて。


「ふ、ふふ……」


 気付けば笑いながら、私は涙を溢していた。


 自分で出した結論とはいえ、二人の姿を見る度に、私はこうして涙を流すのかもしれない。


 その傷が癒えるのは、いつになるのか。もしかしたら、一生癒えることはないかもしれない。


 それでも──。


 それでも私は、この選択を後悔することはないと思う。いつからか、ドノヴァンと一緒にいても幸せにはなれないと、どこかで悟っている自分がいたから。


「さよなら、私の幼馴染……」


 呟いて涙を拭うと、私はドノヴァンへの想いを振り切るかのように、前を向いた。


 そんな私に、クレストさんが心配気な視線を向けていた──。

 





 

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