第9話 抱きしめる腕
週末明けの月曜日の昼休憩。
私はルーブルさんに「どうしても!」と頼まれ、久し振りにいつもの木の下へとやって来ていた。
私のお気に入りだったその場所には、ドノヴァンとお友達との二度目の会話を聞いて以来、一度も行っていなかった。
行くとどうしてもあの時の会話の内容が思い出されてしまうため、行けなくなってしまったのだ。
ある意味私が、間接的にドノヴァンから別れを告げられた場所。
もう彼の傍にはいられないと、否応なしに実感させられた場所。
けれど今日だけは。今日だけはどうしてもそこに行って欲しいと、ルーブルさんが姿を現すまで待っていて欲しいと拝み倒され、私は根負けしたのだ。
それでもかなり嫌がったのだけれど、ルーブルさんに、そうしてくれないと自分の今後に関わると、下手したら家から除籍されるかもしれないと土下座までされかねない勢いで頼まれれば、断ることなどできなくて。
気を抜くと震えそうになる足を叱咤しながら、私はそっと木の下に腰を下ろした。
一週間ぶりとなるその場所は、当然ながら以前と何も変わらず、何となく安心する。
身体に感じる心地良い風も、聞こえる木の葉の騒めきも、あの日から何も変わってはいない。
それでもやっぱりドノヴァンのことを思い出してしまい、ルーブルさんが少しでも早く来てくれますように──と祈るように手を組めば、背後からまたも聞きたくない声が聞こえてきてしまった。
またなの!? もう聞きたくない! もうやめて!
耳を塞ぎ、顔を俯けて全身を震わせる。
可能な限り全身を縮めて小さくなるも、残酷な声を遮ることはできなくて。
大好きだったドノヴァンの声──でも今は聞きたくないと痛切に思う──が、耳を塞いだ手を通り抜けて、脳にまで届いてしまう。
どんなにその声から逃れたいと、聞きたくないと思っても、私の耳はドノヴァンの言葉を一言一句聞き漏らすまいと、勝手に感覚を研ぎ澄ませてしまうのだ。
聞きたくない……。でも聞きたい。
だって、彼の声が大好きだから。
相反する気持ちを抱え、私は唇を噛み締める。
どうか、どうか、これ以上私を傷付けないで。もうこれ以上、私を惨めにさせないで。
そう思った、刹那──。
「……告白しようと思う」
ハッキリと、そう聞こえた。
それを言ったのは、ドノヴァンの声に間違いなくて。
「へ? 告白するも何も、お前はもうとっくにアリーシャに告白なんてされてるだろ。……あ! あれか。男らしく自分から告白し直そうってわけか」
偉いなぁ。よっ! 男の中の男!
などと、ドノヴァンを褒め称えているもう一つの声は、彼とよくこの場所に来る友達のものだ。
いつも通り、私が裏側の木の縁にいるとは知らずに、ドノヴァンの恋話で盛り上がるつもりなのだろう。
それとは反比例して、私の気持ちが下向いていくことを知らずに。
嫌だ……。ドノヴァンがアリーシャさんに告白する話なんて聞きたくない。
……ルーブルさん、まだなの? 早く来て、ルーブルさん……。
祈るような気持ちでもって、私はただひたすらにルーブルさんを待ち続ける。
これ以上、二人が何かを言う前に。これ以上、私の心が傷付く前に。
早く、早く、早く──。
そこで不意に、私の両手に誰かの手が重ねられたと思ったら、次の瞬間には、優しい手つきでもって耳を覆っていた手を外されていた。
「え……?」
驚く私の耳に、振り向くより早く、ハッキリとした声が入り込んでくる。
「ラケシス、俺が告白するのはお前だ。俺はラケシスが好きだよ。ずっと長い間気付かなかった。でもこの前、漸く気付いたんだ。俺はラケシスが好きだって」
それは、その声は──。
「ドノ……ヴァン?」
俄かには信じられなくて、聞き返す声が震えた。
幼い頃から大好きで、ずっとずっと想い続けてきた大切な幼馴染である、ドノヴァンの声。
「う、そ……」
茫然とする私を、ドノヴァンは自分の方へと向けさせると、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「ごめん、ラケシス。たくさん辛い思いをさせて。俺が鈍かったせいで、こんなに時間が掛かってしまった」
「………………」
今、自分の身に起こっている出来事が信じられず、私はただドノヴァンの腕の中で、瞬きをすることしかできない。
これは、現実? それとも、私に都合の良い夢を見ているの?
無言のまま言葉を発しない私に、ドノヴァンは懸命に言葉を紡いでくれる。
「ラケシス、もう遅いかもしれないけど……俺はお前を離したくない。お前を誰にも取られたくない。お前に、俺だけをずっとずっと見ていて欲しい。……駄目か?」
「ドノヴァン……」
それは本当なの?
あなたは本当に私のことを……?
未だ信じられない思いを抱きつつも、私はそっと彼の背中に手を伸ばす。
今私を抱きしめてくれている温もりが、現実のものであると確かめたくて。
同時に、ドノヴァンの問いに答えを返そうと口を開くと──。
「え、ちょ、ドノヴァン!? お前一体何やってるんだよ!?」
私が声を発するより早く、こちら側へとやって来たらしいドノヴァンのお友達の、驚いたような声が響いた。
そういえば、お友達もいたんだったわ……。
すっかり存在を忘れていたことを若干申し訳なく思いながらドノヴァンの背中越しにお友達の様子を窺えば、彼は私達を見て、顔からこぼれ落ちそうな程、目を大きく見開いていた。
でもそれも、当然のことだろう。
なんせ彼は、ドノヴァンとアリーシャさんこそが、公認の恋人同士であると思っていたのだ。なのに、目の前でドノヴァンが他の女──つまり私──を抱きしめていたら、どうしたのかと思うだろう。
お友達の目には、今ドノヴァンがしている行為は、浮気としか映らないだろうから。
「……っ、離れろよ! お前の恋人はアリーシャだろ? こんな場面を他のやつに見られたら……!」
案の定、彼は血相を変え、周囲を見回しながらドノヴァンに苦言を呈した。けれど、ドノヴァンは動かない。
お友達の言葉に返答すらせず、ドノヴァンはひたすら私を抱きしめ続けている。
「ドノヴァン……」
大丈夫なの?
私の方が心配になって彼の名を呼ぶと、何故だか身体に回された腕の力が強くなったような気がした。
え、なんで? もしかして逆効果だった?
目を白黒させる私をよそに、動かないドノヴァンに焦れたのか、お友達は私を抱きしめるドノヴァンの腕をいきなり掴むと、無理矢理引き剥がそうとし始めた。
「だから離せって……! 離れろって言ってるだろうが!」
「いっ……!」
無理に引っ張られた腕に痛みを感じたのか、ドノヴァンが苦痛の声を漏らす。
けれど彼は、半ば意地になって私のことを抱きしめているようで、全く腕を離そうとはしない。
一体どうしたというのかしら?
「ねぇドノヴァン、手を離して?」
もうこれは、私から言うしかない。
そう思って言ったのだけれど、それでもドノヴァンは腕を緩めなかった。
どういった事情でドノヴァンが私を抱きしめ続けているのかは分からないけれど、彼が痛い思いを我慢してまですることではない。そこまでして私を抱きしめ続ける理由なんて、彼にはない筈。
だけど──。
「嫌だ……」
彼の口から出た言葉は、その一言だけだった。
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