第6話 絡められた指

 次の日の朝。


 いつも通りに家を出た私は、玄関先に立っていた人物を見て、驚愕に目を見張った。


 だって、そこに居たのは──。


「ドノ……ヴァン?」


 どうして──? という言葉は、声にならなかった。


 驚き立ち尽くす私に、ドノヴァンは笑みを浮かべて近づいて来る。


「なんだよ、そんな顔して。一週間前までは毎日一緒に通ってただろ? だから元に戻そうと思ってさ」

「そう……なんだ。でも、突然どうして?」


 昨日アリーシャさんと何かあったの?


 そう聞きたくても、言葉にするのは躊躇われて。


 じっと彼を見つめていると、逡巡するかのように視線を彷徨わせた後、ドノヴァンは頭の後ろを掻きながらポツリと言った。


「別に……理由なんてどうだっていいだろ」


 そう。別々に行くのも、元に戻るのも、私の意思なんてどうでもいいのね。


 ドノヴァンの態度に、私はふと、そんな風に思ってしまう。


 けれど、どうやらそれは私の表情に出てしまっていたらしい。


「もしかして、嫌……なのか?」


 下から顔を覗き込むようにしてドノヴァンに問われ、焦った私は両手をぶんぶんと横に振った。


「そんなことあるわけないじゃない。ただちょっと驚いただけで……またドノヴァンと一緒に行けるなんて嬉しいわ!」


 余計な事は考えないように気を付けながら、大袈裟なほど明るい声を出す。


 わざとらしさ全開だけれど、幸いにも彼は気付かなかったらしい。


 安心したように微笑むと、徐に私へと手を差し出した。


「え? なに?」


 どうして手を差し出されたのかが分からず、その手を見つめ、私はこてんと首を傾げる。


「……ほら、早く」


 若干苛立ったように言われるが、私には全く意味が分からない。


 これまで一度だって、ドノヴァンからそのように手を差し出されたことなんてないから。


「え……っと?」


 自分の手を差し出すか、はたまた持っている鞄を差し出せば良いのか。


 恐らくそのどちらかだろうとは思うけれど、間違えたら叱責されるであろうことが容易に想像できてしまうため、踏ん切りがつかない。


 そんな私を見て、ドノヴァンは何を思ったのか。


 数瞬迷っているかのような瞳を向けてきたと思ったら、不意に私の手をとると、馬車へ向かって颯爽と歩き出したのだ。


「え? え? え?」


 訳が分からず、私は彼に手を引かれるまま馬車へと連れて行かれ、そのまま車内へと引き込まれる。


 その後、馬車が走り出してからも私の手は離されることなく、寧ろ指を絡めるように握られてしまい。


 これって恋人同士がする繋ぎ方なのでは? と、嬉しいやら恥ずかしいやらでオロオロしてしまった私。


 ドノヴァンの様子を窺うように横目で見れば、バッチリ視線が合ってしまった。


「……なんだよ?」


 若干照れているように見えるのは、私の気のせいだろうか。


 うん、そうよね、きっとそうに違いない。ドノヴァンが私相手に照れるなんてあり得ないもの。


 きっとこれは、恋人と手を繋ぐ前の練習なんだ。彼はきっと、便利な幼馴染である私を、彼女との練習台に使うことにしたのだわ。ぶっつけ本番で失敗したら、目も当てられないものね。


 その為に、また私と一緒に通学することにしたのだろうと、理解するのと同時に、内心で大きく頷く。


 馬車内という二人きりの空間であれば、他の人に見られることはない。だから例えドノヴァンが何か失敗をしても、自分と彼の間のことだけで済むし、加えて浮気などを疑われる心配もない。


 そんな事にも気を遣えるなんて、さすがドノヴァンだと尊敬の念が湧く。


 けれど、事実は私の想像と少しばかり違っていたらしい。


 私達が学園に着くと、入り口で待ち構えていたアリーシャさんに、大きな声で呼び止められた。


「ちょっと、あなた!」


 またか……。


 既視感のある声掛けに、私はやれやれとため息を吐く。


「なんでしょうか?」


 ドノヴァンのことを待っているとは思ったけれど、今回用事があるのは私らしい。


 どうせ何かしらの文句を言われるんだろうなと嫌々ながら返事をすると、アリーシャさんは鬼のような形相で私に近付き、隣にいるドノヴァンに聞こえないよう、早口でこう言った。


「ドノヴァンはわたくしのものなのよ。ただの幼馴染の分際で、邪魔をしないでちょうだいな」

「………………」


 言うだけ言うと、彼女はドノヴァンの腕にしがみ付き、甘ったるい声を出す。


 なんという変わり身の早さ。


「ドノヴァン……今日は馬車が別々だったから、わたくしとぉっても寂しかったわ。慰めてくださるわよね?」


 何、その声。私に文句を言ってきた時と全然違うじゃない。


 こんな人に大好きなドノヴァンが誑かされたのだと思うと、嫌な気持ちが込み上げてくる。


 対するドノヴァンはというと──。


「ああ……うん。すまなかったな。慰めるとは言っても、何をすれば良いのか分からないが……」


 なんてことを言っている。


 しかも、しがみ付かれた腕を振り払うこともなく、困ったように眉尻を下げるだけだ。


 嘘でしょ!? こんな人の演技に騙されているの!?


 メラメラと怒りが湧いてきて、私はぐっと拳を握りしめる。


 そんな私の様子に気付かない二人は、会話しながら教室へと向かい、歩き出した。


「今日はドノヴァンとご一緒できないのが寂しくて、お弁当を作りすぎてしまいましたわ。ですから責任を持って、全部残さず食べて下さいましね」

「ええ!? い、いや、それは……」


 腕を組む二人を見ていたくなくて、私は馬車内でドノヴァンと繋いでいた手を反対側の掌でそっと包んだ。そうして、その温もりに縋るように目を伏せる。

 

 私はただの幼馴染。便利で使い勝手の良い……。


 自分で自分に言い聞かせるかのように、頭の中で繰り返す。


 だから、誤解してはいけない。私に嫉妬する権利はないのだから、と。


 二人に嫉妬してしまう気持ちと、ただの幼馴染でしかありえない自分を悲しむ気持ち。その二つが相俟って、私の心の中では激しい嵐が吹き荒れていた。


 だから、廊下の角を曲がる際、ドノヴァンが気遣わし気に私を振り向いたことなど、まったく気付かなかったのだ。


「ラケシス……」


 その後何かを言いた気に、私の名前を呼んだことにも──。


 


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