永遠の片割れ月

白雪花房

月下の出会い

 男は薄っぺらいノートパソコンと向き合い、高速でタイピングをたたみ込んでいた。白い画面にカクカクとした文字が映し出されては、即デリートされる。

 何度書き直しても理想の情景を描けない。頭の中にある場面はドラマチックで鮮やかなのにいざ表に出力すると、陳腐なものに成り果てる。

 モヤモヤが頭の中を埋め尽くし、髪の毛をかきむしった。またうんざりとため息をつく。

「あーもうやめだやめ。どうせ俺なんか作家にはなれないんだよ」

 愚痴愚痴とつぶやきながら画面を閉じ、席を立つ。

 気晴らしに外に出ることにした。戸を開けると外は真っ暗。暗澹とした夜を街灯の光だけが照らしていた。存外、視界は保てている。男は余裕をもって歩き出した。

 深夜徘徊は不審者にもほどがあるが、構わずに進む。


 公園はほのかに光に包まれていた。ぽっかりと白くなったベンチに小さな影がある。よく見ると女性だ。膝丈のワンピースを着ていて、さらさらとした黒髪ロングも相まって、清楚な雰囲気がする。いいところのお嬢様という風で、明らかに深夜に出歩く人物には見えなかった。

「女性がこんなところに一人でいたら、危ないぞ」

 善意で声をかける。何食わぬ顔で足を踏み出す姿は、端から見ると彼こそ怪しい人物。光に誘われた蛾のような動きだった。


「私、月を見ているのよ」

 天を見上げたまま平然と彼女はつぶやく。外見に似合う涼やかな声だった。

 確かに夜の空には月が浮かんでいる。それがどうした? 男としてはなんの感慨もない。黒く濁った瞳にはなに一つ、特別なものには見えなかった。

「月って特別よね。夜に冴え冴えと光るところを見るだけで、心が落ち着くの」

 彼女が穏やかな口調で言葉にし、こちらを向く。アーモンド形の目にやわらかな眼差し。花の微笑みと相対した瞬間、彼の意識は正面に吸い寄せられた。

 ちょうどよいタイミングで銀色の光が差し込む。透明なオーラをまとった彼女はまさしく、月の化身。

 男はカッと目を見開き、硬直する。ドキンと胸が弾み、鼓動が加速する。今の一瞬で彼の視線は彼女に釘付けとなった。

「ああ、今宵は月がきれいだ」

 運命と出会った感慨を、言葉にする。

 たちまち、女性の目がキラキラと輝いた。彼女はベンチから勢いよく立ち上がるなり、身を乗り出す。

「本当? よかった。ようやく月の美しさを理解できる人が現れたのね」

 両手を組み、顔色を明るくする。感動のリアクションとは裏腹に、男は目の前の女性しか見ていない。また、彼の腑抜けた態度にも相手は気づいていなかった。

「私、結月ゆづきといいます。あなたは?」

「俺は、砂原のぞむだ」

 互いに自己紹介を交わし、見つめ合う。公園の中央に立つ二人の影を、幻想的な月の光がひそかに照らしていた。


 何度か同じ場所で出会いを重ねた後、二人は付き合うことになる。

 最初のデートにカフェに寄った。暖色の照明に照らされた空間は、穏やかな雰囲気で包まれている。本来ならおしゃれな食事を楽しみ安らぎを得るところ、のぞむは空気を読まずにノートパソコンを取り出した。

 彼が真面目にタイピングをしているところを、結月はこっそりと覗き込む。

「あなた小説を書けるのね。すごいわ」

「ただのネット小説だ。PVも伸びてないし」

「そんなことはないよ。創作ができるだけで尊敬しちゃう」

 真正面から褒められてむずがゆい。体を固くしつつも、心には温かな感情が広がっていた。のぞむは口元をにやつかせながら、パソコンの画面と向き合う。カフェではしばらくの間タイピングの軽やかな音が鳴り響いていた。


 数日後、短編の本文を書き上げたのぞむは真っ先に、結月へデータを送る。感想はメールで届いた。

 彼女は感激の長文コメントの後に、いくつかの指摘を繰り出す。

『もっと感情描写を濃くしたほうが共感ができるんじゃない?』

 真面目な内容を受け、アドバイスの通りに改稿すると、本当に原稿が見違えた。

 魔改造した短編はもはや別物。大胆にリメイクするだけで原石を磨くように洗練され、のぞむは目を剥いた。

「そうか、これが読者の意見を取り入れるということなのか」

 しみじみと言葉にし、口の端を上げる。


 結月と二人三脚で小説を書くようになってからしばらく経ち、二人はまた公園に足を踏み入れた。

「ずっと小説家になるために頑張ってきた。でも、なかなかうまくならないし、誰にも読まれない。報われる日は来ないと思ってたんだ」

 ベンチに座り込み、ぼんやりと薄曇りの空を見上げる。

「そんなことはない。あなたならやれるよ。少なくとも、私は見てる」

 隣で結月が前向きな顔で言い切った。

 ああ、こちらも彼女を信じている。のぞむは確かにうなずいた。

「ねえ、どうせなら、私のためになにかを書いて」

「君に?」

「うん。今度は自分のためじゃなく、誰かのために」

 結月は首を傾けながら、笑顔を見せる。長い黒髪がリズミカルで揺れた。

 彼女のアドバイスは盲点だったと、男は思い返す。いままで彼は自分の好きなように書くだけで、独りよがりだったのかもしれない。

 のぞむは突き動かされるように顔を上げた。

 ちょうど、空を覆っていた雲が晴れるところ。全面が青く澄み渡り、太陽が明日を照らす。男はまぶしそうに目を細めた。


 暖簾に腕押しの創作活動から一転、読者兼パートナーを得て、気持ちに張り合いが出てくる。生活にまで彩りが生まれた。

 充実した日々を送りながら時はながれ、夏を迎える。二人は神社の境内を訪れ、屋台を巡った。

「ねえ、射的。かっこよく撃ってよ」

 浴衣姿の結月がりんご飴を片手に別の屋台を指す。うーん。のぞむは首をひねりながらも、赤い布で囲まれた場所へと近づく。

 射撃なんて始めてだ。うまくできるか心配だが、なるようになれ。ひとまず五輪の選手のマネをする形で、やってみる。

 おもちゃの銃を構えて引き金を引いた。コルク栓を勢いよく放たれたかと思うと、乾いた音が響く。ピンクのぬいぐるみがパタンと倒れ、後ろで歓声が上がった。

「ありがとう。私のために張り切ってくれたのね。ぬいぐるみ、大切にするから」

 ウキウキとぬいぐるみを抱えた結月が、花の笑みを向ける。思いがけず成功したらしい。のぞむは眉を垂らし、ふっと息を吐く。誇らしい気持ちだった。


 以降も浴衣姿の女性を連れて、提灯で彩られた空間を巡る。結月は屋台を見る度に目移りしたので、男は律儀に奢った。

 クレープやかき氷を片手に頬を緩める彼女はかわいらしい。

 調子に乗って散在したが、彼にとっては痛くもなかった。


 屋台巡りを満喫している内に祭りの熱気は最高潮に達し、花火が打ち上がる。大輪の花が夜の空に咲いた。

 ふわふわとした綿飴を片手に空を見上げる結月。鮮やかな光を浴びた彼女は、会場に集まった誰よりも華やかで、美しい。思わず見入り、口を開ける。

「好きだ」

「ええ、私もよ」

 心からの叫びに対して、結月も快く応えた。

 彼女はおもむろにこちらを向いて、ニコリと口元をほころばせる。

 色とりどりの花火の下、二人だけの時間は永遠に続くように感じた。鼓動が高鳴り、幸福感がじんわりと広がる。

 きっと、自分の人生は彼女と共にあるのだ。柄にもなくロマンチックなことを思いながら、夜は耽っていく。やがて静寂があたりを包んだ。


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