小説「友達になった男」

藤想

友達になった男

「生まれた時から独り言をブツブツ言う癖があって、私って病気でしょうか」

「独り言をただ言うだけでは病気とは言えませんね」お医者さんは少し怒っているようにそう言いながらPCに文字を打ち込んでいた。しかし怒っているというのは私の気のせいかもしれなかった。

「でも、ずっと言ってしまうんです」

「なるほど。それは、話し相手が居ないからではないですか?」

 話し相手はいない。

「はい、居ません」

「では話し相手を作ってください。誰でもいいですから」

「先生は話し相手では無いんですか?」

「私が言いたいのは…そう、友達とかね」

「はい…」


 病院を出てから私は落ち込んだ。友達というと真っ先に、そして唯一思い出すのは、小学生の頃。とある昼休みに自分の机の周りを見回すと、友達がいないのは自分だけであることに気付いた。ハッキリとその瞬間に「自分には何かが欠けている」と思った。お喋りする子たち、何かを一緒に描いて見せ合っている子たち。その真ん中に何もしていない自分が居た。私だけ此処にいて此処にいないような気持だった。

 そして、そう思った時にはもう手遅れだった。何かが決定的に欠けている自分に、友達を作る権利など無いと思ってしまい、時は過ぎ過ぎ今は28歳。一人でずっと、家で漫画を描いている。彼氏も出来たことが無いし、親にも結婚しろと言われたことは無い。


 友達ではなく、つまり私に恋愛感情を抱いて近づいてくる人は何人かいた。大学生の頃だ。適当な口実を作って私に近寄ってきたが、すぐに「付き合いたい」という類のことを言ってきた。私はどうやら平均よりも『可愛い』らしかった。お洒落にも気を使ったことが無いのにおかしい、男は変だ、と思って全て断った。それもこれも、私には何かが欠けていて、その穴が男を引き寄せているようだった。


 漫画を描く行為も孤独を癒したりはしてくれない。顔も見たことが無い私のフォロワーは感想をくれるし褒めてくれるけど、その人たちは本当は私の漫画などどうでもいいと思っているのかもしれなかった。


 3月の、ある日のことだ。私は昼ご飯を買いに駅前のスーパーまで歩いて行った。肌寒くて、少し風があり、空は灰色だった。犬を散歩している人が犬のうんちをスコップで袋に入れていた。


 暫く歩くと、私と同じ方向に一人の会社員らしき男が歩いていた。彼はやや疲れた、ボサついた髪をしており、背は曲がり、身体は痩せ細り、黒いコートを着て、黒い鞄を持っていた。

 私は彼を追い越そうと歩くスピードを上げたが、近づいてみると彼の歩く速度が異様に遅く、まるで彼の周囲だけ時間が遅く流れているような、そんな変な雰囲気に気付いた。重力のような、透明な力が彼を圧し潰していた。


 歩くのが遅いだけなら、そんなに気にならない。しかし彼の髪の動きさえも鈍くゆらりゆらりと、眠くて意識がぼんやりしている時に振り子を見た時のようにゆらり、ゆらりと動いているのを見て、異様だと思った。

 私は彼を歩いて追い抜いき、左へ曲がり、彼の進む先に歩いて行って、駅前のベンチに自然に腰掛けた。彼はやはり、ゆらりゆらりと、ゆっくりと遅い時間の中で足を動かし、前へ進んでいた。

 私は彼の顔を遠くから見た。彼の顔は蒼白で、生気が無く、まさに魂の抜けたような顔、をしていた。粘土とか蝋人形とも喩えられる。そこから読み取れる感情は……何故か恍惚とした感情だった。彼は微笑んでいた。


 この男は、今何を考えているんだろう。社会で生きることに疲れているのに、何故笑っているんだろう。そして何処へ向かっているんだろう。私には、この男が向かっているのは現実世界の何処かではないように感じられた。なにか見えない力に歩かされている人形が、その力で今にも壊されてしまいそうな……。


 私は彼を暫く目で追い、彼が小さくなるとまたベンチを移動して、彼が建物の中に入っていくまで遠くから目で追い続けた。その建物はオフィスビルのようで、彼の職場なのかもしれなかった。

 そのようなことがあったことを思い出したのは、一週間後のニュースを見た時。まさにあのビルで、先日投身自殺があった。私はあの男の粘土のような質感の笑顔を思い出していた。


 私は彼がこれから何に生まれ変わるのかを考えていた。彼は人間として生まれ変わるだろうか?それは考えられない。あんな状態になって自殺した人がもう一度人生をやりたいなんて思わないはずだ。じゃあ動物や虫だろうか?それもあり得ない。生きることに疲れてしまった人は生きることを選ばないはずだ。しかし世界の摂理として生まれ変わることは避けられないとしたら、彼は物質に生まれ変わるかもしれない。

 そう思いながら私は冷蔵庫から冷えたタルトを取り出している時、ふと、この冷蔵庫こそ彼の生まれ変わった姿として適切だと思った。彼が歩いているのを見ていた時の肌寒さが思い出され、それが彼の失った魂の所在と共鳴し、彼は今、私の中で冷気を放つこの冷蔵庫と重なった。


  ピンポーン。チャイムが鳴った。

「はい」インターホンで来客の姿を確認する。「すみませーん、配送業者の者ですけどもー」業者。呼んでいない。「呼んでませんけどもー」「いえ呼ばれましたよー」?????

 インターホン越しに話を継続することが難しそうだったので、とりあえず玄関で話をすることにした。玄関でドアを開け、作業着の男に話を聞く。


「呼んでないんですよ」

「そんな筈無いですよ、冷蔵庫ありますよね?ご依頼で回収しに伺いました」

「え、回収ですか?何処に??」

「修理センターですよね」

「壊れてないです!」

「型番、これですよね?確認してもらっていいですか」

 メーカー、アクア。AQR-J13J(S)。2020年製造……自宅の冷蔵庫と照らし合わせると確かにウチの冷蔵庫だった。間違いだとしたら型番が合っているのはおかしい。明らかに間違っているのは業者なのに、私の頭がおかしくなったような錯覚があった。型番を確認している最中に業者が部屋に入ってきた。

「ちょっと、なんで入ってくるんですか!?」「回収ですってば」融通の利かない業者だった。

「じゃあこれ見てくださいよ。壊れてません。冷気出てるでしょう?」私は冷蔵庫を開けて指し示す。

「……」

 業者の男は黙って冷蔵庫から流れ出る白い冷気を眺めていると、突然冷蔵庫の裏に手を回して電源ケーブルを引っこ抜き(!)、中身も入ったまま冷蔵庫を軽々と持ち上げてしまった。その間、1分未満。

 私が絶句していると、そのままズカズカと冷蔵庫を持って玄関から出て行ってしまう。その途中で靴ベラや玄関の自転車など、ぶつかるものは全てなぎ倒していった。

 新手の冷蔵庫泥棒だろうか。冷蔵庫泥棒なんて聞いたことが無い。警察に電話するべきだろうか?私は携帯を手に取ったが、再び携帯を置いた。警察が冷蔵庫泥棒を信じるかどうか、考えるのが面倒くさくなったのだ。とりあえず、苺のタルトを食べることにした。今焦っても何も変わらない。今はただ不審者が部屋に侵入してきたのに暴力を振るわれなかったことを幸運に思うだけだ。


 翌日。インターホンが鳴った。昨日の冷蔵庫泥棒がカメラに映っていた。

「すみません、間違いだったみたいです」

「だから言ったじゃないですか!」

 玄関で業者の男は私に謝罪した。申し訳なさそうに謝罪の印として大福の入った箱を手に持っている。

「冷蔵庫、早く返してください!」

「今お持ちしますので、あとこれお詫びの……」


 我が家に冷蔵庫が返ってきた。中身も昨日のまま、何の変哲もない我が家のアクアの冷蔵庫に見えた。しかし何か違和感がある。

 私は、冷蔵庫が戻ってきてから、体育座りをして暫く冷蔵庫を眺めていた。よく見ていると、戻ってくる前と明らかに雰囲気が違う。細かい傷など、こんなにあっただろうか?確かに中古の冷蔵庫だったが……。

 あの歩くのが遅い男のことをふと思い出した。粘土のような笑顔。そして自殺したニュース。これは私の冷蔵庫ではないと、私は結論付けた。


 その証拠として、昨日冷蔵庫から取り出したはずの苺のタルトが、手を付けられていない状態のまま、冷蔵庫に入っていた。組織的な犯罪による、巧妙なすり替えが行われている。瓜二つの他人同士が入れ替わるのに似た感覚が、この冷蔵庫にも感じられた。


 もしかして、これは彼なんじゃないか?

 私はその時、理性よりも心が嗅ぎ当てた真実に従って答えを下していた。


 この冷蔵庫は、あの男が生まれ変わった姿だ。


 つまり、あの男は自殺した直後に男は冷蔵庫に生まれ変わった。そして私の家の冷蔵庫と入れ替えるために、業者は私の冷蔵庫の中身と型番を完全に把握したつもりで準備していた。その入れ替えが今日行われたのだ。


 私は傷だらけの冷蔵庫を優しく撫でた。冷気を格納している内側とは違い、冷蔵庫の外側に通った放熱パイプの温かみが、手に伝わってきた。それはどんなに冷たい外の風に触れても消えない、人の血に通う温かさ。


 私はほくそ笑んだ。まあいい、好都合だ。私も、丁度友達が欲しかったのだ。


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小説「友達になった男」 藤想 @fujisou

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