三日月の昇る夜、死神は

志熊准(烏丸チカ)

第1話 三日月の昇る夜①

 ――君を死なせない。


 彼女に与えられた初めての言葉は、何とも〝死神〟らしくない言葉だった。


 優雅に空間を舞う蝶のような浮遊感の中、僕は彼女と出会い、そしての人生を与えられた。


「この世界を救うために、君に頼みたいことがあるんだ」


 現在進行形で「死んでる」ってのに、セカイ系小説みたいな彼女の野暮ったい台詞に、思わず噴き出しそうになる。


『なんだよ、頼みって』


 問いかける。


 すると、死の淵で彼女は僕に言った。


「女の子たちとをしてもらいたいんだ」


 恋?


「そうだよ。君には、とある女の子たちをもらいたいんだ」


 君の命と引き換えにね。


 死神は真剣な面持ちでそう語った。


 一体、これは均衡の取れた取り引きなのだろうか。


 訝しむも、僕に選択する余地はなかった。


『何でもいい、生かしてくれるなら』


 こちとら、まだやり残したことがあるんだ。


 死神の手を取ると、彼女は砂のようにサラサラと崩れ落ちた。


 その残像には「笑み」が浮かんでいたが、僕にはその理由が分からなかった――

 


「欠けているからこそ、美しいものってあるよね」

「あん?」


 ストローを刺した紙パックに口をつけ、軽く凹ます。


 適度に冷えた牛乳が喉元を癒やしていると、三日月が唐突に言葉を零した。


「例えば月とかってさ、欠けてたほうが綺麗じゃん」


 昼休みの大学校舎には、僕と三日月しかいない。畢竟、彼女の話し相手は僕だけなのだが、なんとも返しづらい言葉だった。


「……ナルシストなのか?」

「違う、違う。美の話だよ」

「ふぅん」


 教育学部の美術専攻生である三日月は、先程から課題の自画像を描いていた。


 額に汗かき、真っ当にキャンバスに向かうのは結構だ。しかし、〝希少種〟が考えることは相変わらずよくわからん。


「今日ね、美術史の講義があったんだよ」

「へぇ。2コマ目?」

「そうそう。でさ、教授が言うわけ。『誰もが美と思う美とは何か』って。面白いでしょ」


 面白いんだろうか。


 何とも息がしづらそうな講義に思えるが。


「美、ねぇ」

「それでずっと考えてたんだけどさ。結局、美っていうのは、人それぞれなのかと思って」

「で、欠けた月の話を?」

「そうそう――と、こんなもんかな」


 どう? 上手いもんでしょ。


 手招きする彼女につられ、キャンバスを覗き込む。


 すると、そこには写実的な彼女の顔でなく、えらく抽象的になった「果物」に似た何かが描かれていた。


「なんだこりゃ」

「えー、わっかんないかなぁ。私だよ、私」


 南国のジャングルみたいな色合いの肌を一見しただけで、誰がこれを三日月だと言い張れるのだろうか。


「美術ってのはわからん」

「わかんないかなぁ。この独創性が」


 ガキのように頬を膨らませる三日月。絵を理解するよりかは、彼女の感情を読み解くほうが、いくらか簡単だ。


「これを提出するのか?」

「もちのろん。課題提出は今日の夕方6時までなんだから」


 描き直す時間もないってわけですか。


 この絵じゃ教授も困るだろうに。ま、何かしらの琴線に触れて、大逆転勝利ってのも有り得るか。


 何にせよ、絵の具の溶かし方もままならない僕が心配する必要はないことだ。


「じゃ、私、次のコマがあるから」

「おう」

「ここにいてもいいけど、の子が来るかもよ」

「しばらくしたら、帰るからいいよ」

「そう。じゃ、また明日ね」

「はいよ」


 美術専攻の学部生が使う「実習室」の扉を勢いよく締め、三日月は次の講義室へと駆けていった。


 二年生にもなるってのに、忙しい奴だ。


 さて、と。


「飯も食ったし、帰りますか」


 授業もなく、居場所もない。さらにいえば、やることはやった。


 都会であれば、街に繰り出し遊ぶことも考えたが、あいにくこのあたりには何も無い。


「暇ってのも酷な話だよな」


 裏手の坂から歩いて徒歩5分。


 のろのろしつつ大学生の密集する下宿先へと帰ると、数人の女とすれ違う。その内の一人と目が合うと、彼女が片手を挙げ僕にあいさつをした。


「あ、ウッシーじゃん。やっほ」

「七瀬。どうしたんだよ。こんなところで」


 ハイツの廊下で会ったのは、同じ学部の七瀬だ。茶髪で小柄の彼女は、僕の二個隣の部屋の扉の前で家主が出るのを待ちわびていた。


「今、レンくん待ちなのー」

「あ、そう」

「てか、うっしーの家って、ここなんだっけ? レンくんの近所じゃーん」

「そうだよ。七瀬はレンと待ち合わせでもしてるのか?」


 鍵を開けつつ会話を続けていると、七瀬は「ううん。出待ちしてるだけ」と答えた。


「……あ、そう」

「もしかしたらいないのかも。さっき、他の子もいたんだけどさー。帰っちゃったしー」


 さっきすれ違ったのも、あいつ待ちだったのか。


「最近から、どっかで野垂れ死にしてるのかもな」

「あはは。笑えなーい。でも、もしかしたらバイトなのかも。じゃあ待ってても仕方ないし、あたしも帰ろっかなー」

「そうした方が良いかもな」


 扉を締め、会話を打ち切る。


 二部屋隣に住むレンというのは、同じ大学の一つ上の先輩だ。


 夜な夜な女を連れ込んでは、何かしているようだが、真相は目下のところ不明だ。


「田舎の学生だよな」


「3S(Study、Sleep、Sex)」ってのは真実を捉えた言葉だ。


 みんな暇を持て余しているらしい。


「おかえり」

「……ただいま」


 1Kの我が家へと帰ると、そこには同居人の姿があった。


「昼間に帰ってくるなんて、学生ってのは優雅だね」

「お前こそ、を伸ばして優雅そうだな」


 皮肉には皮肉を。


 しかし、それは比喩ではなかった。


「羽休めも必要よ? とかく人気者にはね」


 真っ黒な羽を床につけたまま、彼女はソファの背もたれから顔を覗かせている。


 天地が逆になった彼女の顔を一瞥してから、僕は冷蔵庫を開いた。


「おい。空っぽじゃねえか」


 朝まで、ハムやらパン、菓子類を入れていたはずだが、冷蔵庫はいつの間にやらもぬけの殻になっている。


「食べたらなくなる。これ、自然の摂理なり」


 舌をペロリと出すさまがなんとも憎たらしい。


「……補充しとけよ。居候」


 クスリと笑う同居人、小主川恋こぬしがわ れんは、自らの羽を魔法のように仕舞うと、のそりと立ち上がった。


「もちろん、家主様。の名にかけて、我がしもべたちに買いに行かせるよ」


 恋多き死神は微笑を浮かべる。


 それを見た僕は、頭を抱えるほかなかった。


「自分の家へ帰れよ。隣の隣だろ……」


 呆れつつ言葉を掛けるも、返答はない。


「どうしてこうなった……」


 後悔先に立たず。覆水盆に返らずとは言うが、これではあまりに奇妙だろう。


 ええい!


 回顧的にはなるが、思考を前に進めるためだ!


 あの日のことを今一度、振り返ろうじゃないか!


 そう――僕の小市民的生活が崩れ去ったのは、三日前のこと。


 こいつと出会ったのは――だるような暑さに身を痛めた、三日月が昇る夜だった。


 


 


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