生かし愛

耀 田半

第1話 真っ白

 夢を見た。いや、それが本当に夢だったのか定かではない。しかしあの日から、人生が変わったのは確かだ。

 真っ白な世界から、誰かが声をかけてきた。そして脅してきた。その言葉を、頭の片隅に置いて生きてきた。何のために声をかけてきたのかは分からない。しかし結果として、良い人生を歩んでこられた気がしている。

 脅しの言葉に導かれ、失ったものもいくつかあったが、充実した日々を過ごせていた。

 その誰かは、恋のクピドだった。と信じたい。何度でも言うが、脅してきた。そんな恋のクピドが存在してたまるものかと、思われるかもしれない。そう思うのは当然。幸せを運ぶ者の行動として、模範的とは決して言えない。

 もし、夢で出会った風変わりな恋のクピドから命令されたら、あなたはどうするか。これは夢なのだと無視をするか、神のお告げなのではないかと信じるか。信じるとするならば、いつまで信じるだろうか。1日、1週間、1年、それとも一生か。


 これは、クピドと夢で出会い、その言葉を信じて人生を送った者の物語である。その者は、好きな人のために生きることを選んだのだ。

 いや、選ばされたのかもしれない。

 クピドが持っていたのは、ハートの弓矢か、あるいは本物の弓矢だったのか。

 それが定かではなかったから、愛情と恐怖が相反しつつ、心で共同していたのだろう。

 そんな少し変わった人生を、じっくり見ていこう。



 中学2年の夏前。期末テストが近づき、学校でも勉強、家でも勉強の億劫な日々を過ごしていた。

「高橋、56ページの4行目から読んでみろ」

「はい。えっと・・・」

 ひろきは覇気のない声で、教科書の文章をだらだらと読んだ。読み終えると、そのページに描かれた男の子の絵を、ぼーっと眺めていた。

 彼は高橋ひろき。ツーブロックの黒髪で、身長170センチメートル、筋肉質な細身体型の男子だ。

 陸上部の短距離選手ということもあり、体育祭のリレーでは、毎回選抜メンバー且つアンカーを務めている。

 特に人気者というわけではない。クラスの全員と打ち解けてはいるものの、派手でもなく地味でもなく、全くの無害。少なくとも、1軍に属するようなタイプではなかった。


「おい、ひろき!昼飯一緒に食おうぜ!てかお前、テスト勉強進んでる?」

 授業終わりのチャイムが鳴ると、弁当箱を持った大吾が、ひろきに声をかけた。

 驚いたひろきは、ぼーっと眺めていた教科書を勢いよく閉じて、大吾の顔を見た。

「あ、ああ。まあまあかな」

「寝不足か?」

「昨日、ちょっと動画観ようと思ったら止まらなくって。気づいたら3時だった」

「お前は本当に動画観るの好きだな」

 大吾は野球部の部長で、ひろきとは小学校からの仲だ。野球部にしては珍しく、短髪ではあるが、坊主ではない。そしてバイタリティ溢れる明るい性格の持ち主で、クラスの人気者だ。

「期末テスト終わったらさ、お前んちにゲームしに行っていいか?」

「いいけど、野球部って夏合宿で忙しいだろ?」

「まあ。テスト終わってから合宿まで時間あるから、その間に遊んどくんだよ」

 大吾は弁当を勢いよく掻き込み、箸をひろきに向けながら言った。ひろきは、大吾の豪快な食い方を見ながら、唐揚げを一口齧った。

 2人はその後も、相変わらずな下らない会話を楽しみ、チャイムと共に昼休憩を終え、午後の授業の準備を始めたのだった。



「大吾、テスト前で部活休みでしょ?帰ろうぜ」

「おっけー」

 ひろきの家は、2人が通う糸山中学校から10分程歩いた場所にある。そして大吾の家も近く、ひろきの家から5分程離れたところにある。

 お互い部活のある日は、帰る時間がバラバラなのだが、テスト期間などで休みの日は、一緒に下校している。

 登校はいつもバラバラだ。大吾は朝練があるし、ひろきは朝礼ギリギリに登校するからだ。


 帰宅したひろきは、晩飯を食べ、風呂に入り、自分の部屋でテスト勉強をした。なんてことはない、普通の中学校生活を送っている。

 いわゆる青春の真っ只中にいるが、青春の6、7割は至って無機質なものだ。大人になって、あの時は楽しかったと思う青春なんていうものは、ほんの一部に過ぎない。ただ、ひろきも大吾も、その全てを引っ括めた青春というものを、人並みに味わっていた。

 机に向かっていた時間は、ざっと1時間程度だろう。集中力を切らしたひろきは、ベッドに寝転び、スマホで動画を観始めた。インフルエンサーの新着動画を、いつものように無意識のうちに開いていた。

「ふわぁ・・・ボトッ」

 15分程動画を観ていたひろきは、欠伸をすると、ベッドからスマホを落とした。ひろきは、そのままピクリとも動かない。

 ひろきは寝落ちした。

 落ちたスマホはひろきとは違い、集中力を切らすことなく、動画を再生し続けた。そしてエネルギーを使い切ると、ひろきと同じく寝落ちしたのだった。



「今日もずっと、ボ〜ッとしてたな。珍しく遅刻までしてきてさ。また夜更かしか?」

「いや、11時くらいには寝たと思うんだよな。でも寝落ちしたみたいで、しかもスマホの充電が切れてアラームが鳴らなかったんだよ」

 眉を顰め、若干の苛立ちを見せながら歩くひろきの肩を、大吾が軽く2回ポンポンと叩いた。テストが近いというのに時間を無駄にしてしまった上に、担任の説教まで食らったのだ。

 大吾はひろきの胸中を察していた。

「そう言えば昨日のメッセージ、あれどういう意味だ?」

「ん、あぁ・・・えっと・・・」

 大吾のたわいもない話が終わると同時に、ひろきは思い出したように口を開いた。唐突なその言葉で、明らかに大吾の様子が変わった。何やらしどろもどろだ。

「このあと時間あるか?家の近くの公園で話そう」

 大吾はそう言うと、少し足早になった。ひろきは不思議そうな表情で頷き、大吾の歩に合わせた。


「は?告られた?あの横田さんに?」

「うん、昨日の夜。校門に来てほしいってメッセージがきてさ」

 ひろきは少し驚いた。大吾という男は、人気者ではあるが、恋愛というものには無頓着な人物だと思っていたからだ。

「んで、なんて返事しようか迷ってる感じ?」

「なんで分かったんだよ!」

「気持ち悪りぃくらいずっとモジモジしてるから」

「気持ち悪いって言うなよ!結局、その時は頭が真っ白になって、どうしたらいいか分からないから、とりあえず考えさせてとだけ言って走って帰った」

「プッ・・・!」

 ひろきは、ちゃらけて嘲笑した。その様子にイラッとした大吾は、ひろきの肩を殴った。

「でも俺、どうしたら良かったんだろう・・・」

 しかし、アドバイスできることなんて何もない。ひろきもまた、恋愛とは無関係な男だったのだ。

 しかし、よりによってその相手が横田なのかとは思った。


 横田瑠花。ひろきと大吾とは別のクラスで、ポニーテールが特徴的な吹奏楽部の女子だ。明るい性格で、男女問わず誰とでも分け隔てなく話すため、当然人気者だ。何より顔が可愛い。

 人気者なのだが、ひろきには気がかりな点があった。

 横田は恋愛体質というか、取っ替え引っ替え様々な奴と付き合っているのだ。横田と話したことはなかったが、噂はよく耳にしていた。まず同じクラスである5組のサッカー部の奴、次は2組のバスケ部の奴、1組のバドミントン部の奴、4組のバレーボール部の奴、そして3組の大吾で、見事全クラス制覇というわけだ。

 人柄とその可愛さで男を手玉に取っている感じが、どうも魔性の女のような気がしてならなかった。


「でも、答えは決まってるんでしょ?」

 大吾は、ひろきの質問に一呼吸おいて答えた。

「うん・・・まあ、いいかなって」

 大吾の言葉は、歯切れは悪かったが、力強かった。本当はその場で答えを出したかった、それほどの迷いのなさをひろきは感じた。

「なら、そう言えばいいじゃん」

「そうなんだけど・・・付き合うって何?」

 大吾は小っ恥ずかしそうに言った。ひろきは眉を顰めて大吾の方を見た。それと同時に気が付いた。

 大吾は、横田のことが好きだから迷いがなかったのではなく、付き合うということに対する好奇心を満たしたいから迷いがなかったのだ。大吾とはそういう奴だ。

 小学校の頃からそうだ。野球を始めたのも、テレビで野球を観て好きになったからではなく、ただバットでボールを打つ感覚を知りたいからだった。

「知らねぇよ。好きな人同士が一緒になることだろ?」

「そうか。横田さんとはよく喋るけど、意識したことなかったなぁ・・・」

「・・・なのに付き合おうとしてんの?」

「おう、付き合ったら好きになるかなって」

 ひろきの思った通り、やはり大吾はそういう奴だった。

 ひろきは、大吾のその考え方に口を出そうとしたが、ぐっと堪えた。自分も恋愛経験があるわけではない、だから自分が吐く言葉に説得力はない、そう思ったのだ。

 それに、その考えが正しいかどうかは、大吾自身が付き合って確かめれば良いことだとも思った。

「明後日からのテストが終わったら、返事する!」

「・・・そっか。そうだな、いいと思う!」

 2人は笑い合いながらブランコを漕いだ。



 大吾と別れ、帰宅したひろきは、食事と風呂を済ませ、ベッドに寝転んだ。そして我に帰った。

「やっば、明後日テストかよ」

 慌てて机に向かい、教科書とノートを広げた。ノートに数式を書きながら、大吾の恋愛話を思い出していた。大吾が恋愛かぁと感慨深いもの感じながら、相手が横田さんであるという心配と、モテる大吾への嫉妬、先を越された劣等感、様々な感情が心を駆け巡っていた。

 気が付くと手は止まり、ぼーっとしていた。

「あぁ、くそ!集中できねぇ!」

 ひろきは頭を掻き毟り、シャーペンを放り投げるように転がした。


「ピロンッ♪」

 ベッドに置いたスマホから通知音が鳴った。ひろきはスマホを取り、ベッドに寝転んだ。大吾からのメッセージだった。

「話聞いてくれてありがとうな!お前も頑張れよ!」

 大吾からのメッセージは、ひろきの心を軽く抉った。大吾にとっては応援のつもりなのだろうが、ひろきにとっては挑発以外のなにものでもなかった。

「うるせぇ、こいつ!」

 ひろきは返事をせず、スマホの電源を落とし、そして机に向かった。大吾への怒りに身を任せ、計算式をサクサクと解き始めた。

 しかし、すぐにお礼をするという気の利いたことをするのもまた、大吾らしいと思え、ほっこりしたのだった。



 チャイムは、テスト終焉の調べとなった。

「ひろき、ヤバいかも。俺、社会赤点だ」

「おれは英語がやばい。リスニングが1問も分からなかった・・・」

 2人は初夏の暑さとテストの出来で、じとっと汗をかきながら帰り道を並んで歩いた。

 糸山中学校では、テスト後の2日間は休校になる。そして、休み明けにテスト返却が行われるのだ。テスト勉強地獄から解放された甘美な2日間となるはずだったが、ひろきにとっては、散々なテスト結果をただ待つという憂鬱な2日間となりそうな気がしていた。

 それとは対照的な2日間となりそうなのは大吾だ。そう、横田に返事をして正式に付き合うのだ。

 同じ赤点を取ったであろう者同士なのに、こんなにも貧富の差があるのか。


「それで、いつ返事すんの?」

「ん、もうしたよ?」

「え?」

「テスト終わってすぐ。お前に帰ろうぜーっていう前に言ってきたんだ」

「マジで?じゃあ本当に付き合ったの?」

「うん」

 ひろきは大吾の対応スピードに驚いた。驚いたのだが、それほど待ち望んでいたのだろうとも思った。テスト明けを、今か今かと待ち侘びていたのだ。まるで、割引シールが貼られる瞬間を狙う買い物客のように。

「とりあえず、帰ったら連絡するって」

「なんか、ちゃんと青春してるな」

「おう、俺ちゃんと青春してるわ」

 大吾は揚々としていた。

「くそ!まあいいや。テスト返却日に進捗報告しろよな?」

「分かってるよ!」

 ひろきは笑顔で、大吾の胸を手の甲でポンポンと叩いた。すると大吾も、同じように返したのだった。



 その日は突然やってきた。ひろきにも、何が何だかよく分からなかった。テスト返却日までの2日間を、ゲームやら何やらでダラダラと過ごし、憂鬱な日を明日に控えたひろきは、いつもより早く眠りについた。

「おい・・・おい!・・・おいってば!」

 その声は徐々にはっきりと聞こえてきた。ひろきは目を開けた、開けたはずだった。

 しかし、目の前に広がっていたのは真っ白な世界。自分以外に何もない、誰もいない無の空間だった。

「あれ、聞こえていないのか?」

 ひろきは無視していた。誰が誰に話しかけているのか分からなかったからだ。

「高橋、56ページの4行目から読んでみろ」

「はい!えっと・・・あれ・・・?」

「何だよ!聞こえてんじゃん!」

 突然、真っ白な世界から国語の重田先生の声が聞こえてきた。ひろきは反射的に返事をしてしまった。すると声は元に戻り、笑っていた。

 声の正体は分からないので「その子」と呼ぶことにする。その子は、小学生くらいの子どものような甲高い声で、とにかく質問を浴びせてきた。

「名前は?」

「ひろき」

「学校は楽しい?」

「うん、まあ楽しいよ。君の名前は?」

「・・・。友だちはたくさんいる?」

「んー、多いか分からないけど、クラスの全員と普通に話すよ。よく一緒にいるのは大吾って奴かな。君は友だち多いの?」

「・・・。小学校の図書委員会の仕事を覚えている?」

「ああ、懐かしいな!図書カードに貸出と返却のハンコ押してた。君も図書委員なの?」

「・・・」

 その子は、ひろきの質問には全く答えなかった。ただ、ひろきの過去のことを詳細に知っていた。言われなければ思い出さないようなことをやたら質問されたひろきは、懐かしさに浸っていた。


「『工藤なつ』は知ってる?」

「え・・・?」

 ひろきは初めて聞き返した。過去のことばかり質問してきたにも関わらず、突如として現在のことに触れたからだ。

 工藤なつは、黒髪ボブで小柄な、同じクラスの女子だ。確か合唱部に所属している。ひろきはその程度の情報しか持っていなかった。というのも、あまり話したことがなく、寡黙というわけではないが、クラスの中でかなり喋るタイプ、いわゆる1軍女子という感じではない。しかし、すんとしているわけでもなく、人当たりはすごく良い、はずだ、誰かと話している姿を見た感じでは。

「あ、ああ。工藤でしょ?知ってるよ。同じクラスだから」

「その人ね、助けてあげないと死んじゃう」

「・・・は!?」


 その子は不可解なことを言い始めた。ひろきは、子ども相手に大きな声をぶつけた。

「死なないように助けてあげてほしい」

「・・・何言ってんの?」

「生きていく中で障壁となっているものを取り除いてあげて。もしその壁にぶつかって絶望したら、その時点で死んじゃうから。できる?」

「いや、ちょっと待って!意味が分からない!何だよ壁って!」

「ひろき、いや、みんながぶつかる壁。たぶん分かる」

 ひろきは真っ白な世界で、頭が真っ白になっていた。それは突拍子もないことを言われたこともそうだが、急にこちらの質問にも答えるようになっていたからだ。

「そんな現実味のないことをおれに信じろって?」

「そうだよね、信じてもらえないよね。なら信じさせよう。工藤なつは明日、熱を出して学校に来ない。そして、ひろきが部活の練習で校外を走っている時、茶髪で髪の長い白シャツ姿の人とすれ違い、ひろきはその人が落とした書類を拾う。その人は工藤なつのお母さん。そして拾ったその書類が答案用紙であることに気が付き、工藤なつの数学の点数が86点であることを知る」

 その子は、未来のことについて矢継ぎ早に話し始めた。

 ひろきはただ黙って聞いていた。口を挟む隙を与えてくれないのは勿論のこと、あまりにも詳細で、内容に突っ込めなかった。

「じゃ、よろしく。また明日会えるから」

「あ、おい!ちょっと待て!」

 ひろきの視界は暗くなっていき、そして空に放り出されたような感覚になった。すごい勢いで落下し、ひろきはビクッとしながら目を開け、ベッドに着地した。


「・・・夢か」

 ひろきは勢いよく上体を起こし、スマホの時計を確認した。

「4時か・・・。何だったんだあの夢は。やけに鮮明に覚えてるな」

 ひろきはカーテンを開けた。薄明るい空だが、鳥たちが元気に鳴いていた。

 ひろきは再びベッドに寝転んだ。しかし、眠りはしなかった。二度寝をしたら、夢のことを忘れてしまいそうな気がしたからだ。

 いや、再び眠りにつけるほど、心も頭も落ち着いていなかったと言う方が正しいだろう。

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