第16話 分裂少女
ヴァイオレット・クレンズは冒険者ギルドの建物内で最も大きな扉の前で足を止めた。
この先には、ギルド長であるイザベルと師匠であるエディがいる。
事務所で調べ物をしていてところにイザベルのフクロウがやってきて手紙を置いていったのだ。
いわく、「例の件で話があるからギルドに来てね」と。それから、「エディちゃんには先に来てもらってるから、急いだほうがいいかもね」とも。
ヴァイオレットは全ての作業を放りだして急いでここまでやってきた。別にイザベルにエディを取られることを恐れているわけではない。そう自分に言い聞かせながら。
エディを救い出さなくては。
彼は一人でイザベルの辱めに耐えているに違いないのだ。
深呼吸して、扉を開く。
男の背中があった。
見慣れた黒髪と、冒険者にしては細いが実は筋肉質な体。エディだ。
ヴァイオレットは息を吐き出す。イザベルの姿は見えない。間に合ったということだ。
「エディ、良かった。心配しましたよ。何もされませんでしたか?」
「ビビ」
エディが振り向いて、微笑んだ。優しい声だ。ヴァイオレットはビビと呼ばれるのが好きだった。彼が付けてくれた愛称だから。
「待ってたよ」
「お待たせしました」
エディの隣に立つ。ここは四年前からヴァイオレットの立ち位置なのだ。誰にも譲る気はない。たとえ恩のあるイザベルといえども。
ヴァイオレットの心の内側で嫉妬心がメラメラと燃え上がっている。これは悪癖であると自覚していたが、辞めることはできなかった。魔法と嫉妬の女神レイラリラに仕える限り収まることは無いのだろう。あるいはエディと共にいる限りずっと。
いつもより半歩だけ、エディの近くに寄る。今日は新しい香水を試してみたのだ。エディが気付いてくれないのは分かっている。彼は女の香水に興味はないし、そもそも存在さえ知らないかもしれない。それでも期待してしまう。
エディがすんすんと鼻を鳴らした。
「ビビ、なんかいい匂いがするね」
「……そうですか。ありがとうございます」
呼吸が止まった。気づいてくれた。喜びが胸の内からせり上がってくる。
これは大きな前進だ。不器用なヴァイオレットは長い年月をかけて少しずつ距離を近づけてきた。今日はもう一センチだけ、体を寄せる。
前髪も完璧に整えているし、身だしなみも三度も確認した。
「イザベルはどこ行ってるの?」
「さあ、分かりません。エディが到着したときからいなかったのですか?」
「うん」
突然エディの手がヴァイオレットの頭に伸びてきて、濃紺の髪を梳くように撫でた。急な行動にどきりとしたが表情には出さない。
エディはときたまこうしてくれるのだ。エディが褒めてくれたから伸ばした髪の毛だから、こうしてくれるのはすごく嬉しい。
「なんだか今日はいつもより可愛いね」
「みゃッ……」
……噛んでしまった。急にそんなことを言われるのは初めてだった。いったいどうしたと言うのだろうか。視界がぽわーとして意識がまとまらない。
エディと目を合わせることができない。
ヴァイオレットのそれと比べると太く硬いが、戦士にしては綺麗で細い指先が顔の輪郭をなぞるように頰を撫でてきた。恥ずかしくなって顔を伏せる。
「前から思ってたんだけど、ビビって僕のこと――好きなの?」
好きです。
「好きです」
思うのと同時に、口が動いてしまった。
「そう。僕もだよ」
「…………」
数秒経って、激しく後悔の念が浮かんできた。そして怒りも。
エディがこんなこと言うはずないのだ。これはエディではない。
イザベルと会うのは久し振りで、彼女がどういう手段を使うのか忘れてしまっていた。
「イザベル…… 騙しましたね……」
エディの顔が陽炎のように揺らめく。
幻が晴れた。
艶やかな黒髪が伸びて腰まで至り、究極的に白い肌が現れた。イザベルだ。
「ヴィーちゃん、久し振り。『みゃー』って鳴いて可愛いね」
「……お久し振りです。……エディはどこにいるんですか?」
「ここにはいない。別の部屋で私の幻と戯れてるところ」
「……そうですか。早く会わせてください」
「そんな焦らないで。二人きりで話す機会なんて全然ないんだから、お喋りしましょう」
ヴァイオレットは深いため息を吐き出したくなった。ランク7というのは狂人ばかりで、さらに圧倒的に強いから逆らうのは無駄なのだ。
さっさと満足させなければ、エディと会うことはできない。
「何でしょうか?」
「そりゃあ恋バナでしょう。最近エディちゃんとはどんな感じなの? 進展はあった?」
「……特に何も」
エディへの恋慕の情はイザベルに出会ってすぐに見抜かれた。以来何度か相談に乗ってもらっている。いや、相談させられているという表現が正しいだろうか……
「ほんとに? 可愛い弟子が新しくできて、エディちゃんがそっちに構いっぱなしで、嫉妬してるんじゃないの? 何でもお見通しなんだから」
イザベルは指を振った。
ヴァイオレットは体、特に足に違和感を感じて下を見る。
完璧に着こなしたはずの服が、フリフリのメイド服に変わっていた。それも普通のメイド服ではなく、スカートの丈は短くて胸元の露出も大きいものだ。
まったく脈絡のないその魔法行使に怒りが湧き上がってくる。
「イザベルッ! これ以上は許しませんよ!」
イザベルは再度指を振った。
▼△▼
僕は大急ぎで冒険者ギルドへやってきた。ヴァイオレットを救い出さなければ。
受付のベサニーさんに取り次いでもらい、イザベルの執務室についた。
大きな扉だ。まったくイザベルには相応しくない仰々しい扉。扉なんて外しておけばいいのに。彼女に密室を与えるとろくなことにならない。
深呼吸して、扉を開く。
僕は目を見開いた。
信じがたい光景が広がっていた。
ヴァイオレットがたくさんいる。メイド服を着ていたり、猫の耳と尻尾が生えていたり、水着になっていたり。
そして僕もたくさんいる。好色そうな笑みを浮かべて、ヴァイオレットたちを突付いたり匂いを嗅いだりしている。
これはいったいどうなっている……?
たくさんいるヴァイオレットの内の一人が叫んだ。
「もうッ! また増えた! エディを何人に増やせば終わるんですか! 最初の約束と違いますよ!」
「これはしょうがないのよ」
姿は見えないのに、イザベルの声が聞こえる。
「私にもどうにもなんないの。ヴィーちゃんならわかってくれるでしょ? 職業病って言うのかしら…… 衝動を抑えられないの」
こんなカオスは初めてだ。部屋中を見渡しながら口を開く。
「ビビ、僕が本物だよ」
バニーガールの格好をした一人が叫ぶ。
「聞き飽きました! もういいですッ! どうせまた偽物なんでしょ!」
スケスケの忍者服を着た一人が抱きついてくる。
「やっと来てくれた……助けてください! 私が本物なんです!」
水着を着た一人は部屋の隅で泣いている。
「エディ…… わたしもうお嫁にいけません……」
いつも通りのヴァイオレットが無表情で僕を見つめてくる。
「私が本物です。騙されてはいけません」
メイド服のヴァイオレットが指でハートを作った。
「すきっ、すきっ! ラブラブビーム!」
ラブラブビームは絶対違うな…… ヴァイオレットはそんなこと言わない。
僕は一人ひとりをじっくり観察したが、違いは分からない。だめだ……
「でもたくさんいてくれるのも嬉しいし、このままでもいいか」
「エディ!? ダメですよっ!」
大は小を兼ねるというし。僕はイザベルと会うときはある程度の異常は許容するべきだと思っている。
「イザベル、三人揃ったんだ。本題に入ろう」
「エディ!? 三人じゃ済んでないです!」
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