第9話 逆吊少女

「美味しかった! いやあヴァイオレットさん。なかなか料理がお上手ですねえ」


「……ありがとうございます」


「ぜひあなたも我が神に仕えましょう。そして毎日おいしいご飯を作ってください! ていうか、おかわりください!」


「……ありません」


「神官様、私のをどうぞ!」


 食卓を囲むのは四人。僕、ヴァイオレット、クリス、オフィーリアだ。


 オフィーリアはジヴァーナムが憑依していた際の記憶はないらしく、目覚めると服が違うことに気づいて襲われた穢されたとうるさく騒いでいた。なだめるのにずいぶん時間がかかってしまった。


 ともかく僕は諸々を説明し、今は四人で朝食を取っているわけだ。


 朝風呂に入って黒装束に着替えたご機嫌なオフィーリアは一切の遠慮を見せずに食事にがっつき、さらにはクリスの皿からつまみ始めた。


「クリスよ、今日からは忙しくなります。復讐と破滅の神ジヴァーナムの信徒としての在り方というものを教えなければいけません」


「はい!」


 元気のいい返事をするクリス。素直な信徒が出来てとかく機嫌のいいオフィーリアは鼻歌混じりだ。「はい! じゃないよ」と突っ込みたいところだが、今は黙って食事を口に運ぶ。


「まずはあなたに復讐者というクラスのことを教える必要がありますね。といってもランク1ではできることはそう多くないですが」


「お願いします!」


「あなたには才能を感じますよ…… 私が立派に育ててあげましょう」


 オフィーリアはなんとも邪悪に笑った。彼女の前の皿はとうに空になり、クリスの皿にもつまめるものは無い。暇になったオフィーリアは足をぶらぶらさせている。


「君、まだ足りないんだったら僕の分もあげようか?」


「え!? いいんですか?」


 途端に前のめりになるオフィーリア。かなりの量を朝から胃袋に入れたはずだが、まだ足りないのだろうか。


「うん。弟子の仕える神殿の神官にはおもてなしをしないとね」


「いやあ、お兄さん、昨夜は少々揉めましたが、話がわかるじゃないですか! 秩序神の教えなんか忘れて、あなたも我が神に仕えましょう!」


「それはちょっと……ほらどうぞ」


 ソーセージ、フルーツ、チーズなどといったものを箸で掴んでオフィーリアの皿に移す。彼女は夢中になって頬が膨れるまで詰め込んだ。フガフガと喋る。


「おいしい! しあわせでふ!」


「よかったよ」


 食事を終えて手を合わせたクリスは聞きたくてたまらないという落ち着かない様子で口を開いた。


「ところで…… 神官様のランクはおいくつなのでしょうか?」


「ふふふ…… 知りたいですか?」


 オフィーリアは笑みを深くしてもったいぶり、純粋なクリスの反応を楽しんでいる。


「聞かせてください!」


「私はなんと――ランク7です!」


「ええええ! ななっ! す、すごい…… 私より年下に見えるのに……」


「いいえ、クリス。見かけに騙されてはいけませんよ。私はこう見えてお兄さんより年上です」


「ええええ! 若作りすぎます……」


 目を丸くして口をぽかんと開くクリス。満点のリアクションだ。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」


 僕とヴァイオレットはまったく同じタイミングで箸をおいた。彼女は僕に目配せを残して食卓を去る。


「それでは」


「うん。よろしく」


 ヴァイオレットには調査を頼んである。復讐と破滅の神ジヴァーナムについての調査だ。どんな歴史がありどんな性質を持つのか調べてもらう必要がある。


 残されたのは三人。


「今日はクリスは――どうしようか」


 僕はオフィーリアと目を合わせる。


「私が借り受けましょう! 神官として新入りを鍛え上げてみせます!」


 まあ当然だろう。僕はだいたいのクラスには精通していて指導することができるが、復讐者アヴェンジャーは今回が初めてだ。オフィーリアに教えてもらわなければいけない。


「うん。じゃあそれに僕もついていっていいかな? 復讐者ってクラスと復讐神の教義に興味があってね」


「素晴らしい! 同行を許します!」


「ありがとうございます。さて、じゃあ片付けよう。お客さんは座ってていいよ」


「ふふふ、苦しゅうない!」


 片付けを始めた僕とクリスを尻目に、オフィーリアはソファに寝っ転がって伸びをして目を瞑った。まさか二度寝か?


 手早く片付けを済ませた僕はクリスに一声かける。


「僕、あの神官と少し話すことがあるから、準備だけ済ませておいて」


「分かりました!」


 さてさて。


 ソファの上でごろごろしているオフィーリアに近づく。


「お兄さん、なんですか話って? もしかしてお兄さんも我が神殿に加わる気になりました? ええ、大歓迎ですとも」




▼△▼




「あのう、なんで私は逆さで吊られているのでしょうか?」


 僕はオフィーリアを倉庫に連れ込んで足を縄でくくり、天井から逆さに吊るしている。


 頭が下、足が上だ。


 黒い艶やかな髪の毛は重力に従って垂れ下がり、白いおでこが晒されていた。


「それはもちろん――話し合うためさ」


 黒装束のロングスカートも髪の毛同様に床に向かって捲れようとするが、オフィーリアは両手で必死にそれを抑えている。しかし普段は決して陽を浴びない、むっちりと肉感のあるふとももが露わになっていた。


「逆さ吊りじゃなくても話し合えます!」


「いや、無理だね」


 オフィーリアの顔は真っ赤に染まっている。それは羞恥か、あるいは血液の逆流か。きっと後者だ。


 僕は椅子に腰掛けた。こうして座ると顔の位置関係は僕が少し上から見下ろすようになる。


「テーマはもちろん、クリスの教育方針についてだ。君はクリスがどういう存在なのか知っているのかな?」


「どういう存在って…… 復讐者の才能がある可愛い女の子でしょう。それ以上は知りません! 知らないので降ろして! 朝ご飯が出てきちゃいますよ!」


 そうか。知らないのか。嘘をついているようには見えない。ジヴァーナムから全てを聞いているわけではないということだ。


「こんなことして許しませんよ! へんたいっ! やはりへんたいだったのですね! 優しい顔して餌付けしておきながら、私のふとももを舐め回すようにじろじろと…… 汝には復讐神の裁きが下るであろう!」


 まだまだ元気そうだ。朗々と話す声は芝居がかって覇気がある。


「さて、君にはまだ自己紹介をしていなかったね。僕の名前はエディ・シドニー。よろしく」


 オフィーリアの顔が真っ青になって、そのあと真っ白になって、真っ赤に戻った。


 どうやら僕の名前を聞いたことがあるらしい。有名っていうのは面倒も多いが、こういうときは便利に働く。


「エディ・シドニーってランク7冒険者の……? 同姓同名の別人ですよね?」


「エディ・シドニーはこの世にたくさんいるけど、ランク7のエディ・シドニーは僕一人だ」


「ぴいいっ!」


 オフィーリアは妙ちくりんな悲鳴をあげた。


「君はさっきランク7で僕より年上とか言ってたけど、本当のことを教えてくれない?」


「はぃぃ、ランクは4で、成人したばかりですぅ」


 一気にしなしなになったオフィーリア。めちゃくちゃサバを読んでいたわけだが、その年でランク4というのもじゅうぶん天才だ。きっと依代体質も影響しているのだろう。成人したばかりというと、クリスより年下じゃないか。


「嘘ついてごめんなさい……」


「泣かなくていい。これは話し合いだよ。僕の弟子であり、君の信徒であるクリスについての」


 オフィーリアはこくこく首を動かした。


「僕はクリスに表通りを堂々と歩ける冒険者になって欲しいと思っている。しかし君はクリスが邪悪の道に堕ちることを望んでいるようだ。ここが意見の相違――幸い時間はある、ゆっくり話し合おう」


「ゆっくりしてたら死んじゃいます……」


 僕は膝の上で手を組んだ。僕は彼女の弱点を知っている。


「死ぬのと教会に行くの、どっちがいい?」


「無条件降伏しますっ! 全面的に従いますっ! 教会はやめてっ!」


 ぽろりと目の端からこぼれ落ち、額を伝おうとする涙の雫をナイフの背ですくい取る。


「これは歴史的和解だね。――要求は五つ。一つ。クリスを危険な目に合わせないこと。二つ。嫌がることをさせないこと。三つ。褒めて伸ばすこと。四つ。僕の見ていないところでクリスと話さないこと。五つ。僕がストップと言ったら何でもすぐやめること。できるかな?」


「めちゃくちゃできますぅ!」


「素晴らしい」


 僕は懐から赤い毛玉――アカリスのロースくんを取り出した。シマリスよりも一回り小さく、幼児の手の上でも乗れそうなミニマムサイズだ。


 お腹を撫でるとキュルキュルと鳴き声を上げて目を細める。


「この子は僕が飼っているロースくん。可愛いだろう?」


「そうですね……?」


「アカリスって種族なんだけど、キュートな見た目に反して肉食性でね。これを君に預けようと思う」


「え?」


 僕は立ち上がって、オフィーリアの服をめくりあげた。白いお腹と小さなへそが空気に晒されてピクリと痙攣する。


 オフィーリアの頬の紅潮が一気に増し、片手でスカートを抑えたままもう一方の手で僕の胸をドンドンと叩いた。


「ちょっとちょっとちょっと! お兄さん! 本気ですか? わたし慣れてなくて…… いや経験豊富なんですけど…… ちょっと逆さ吊りは聞いてないっていうか怖いっていうか…… いや怖くはないんですけど…… せめてノーマルでお願いしたいっていうか……」


 この子は何を言っているのだろうか。


 戯言は無視して僕は彼女の服と肌の間にロースくんを滑り込ませた。ロースくんは赤い尻尾をフリフリ元気に動かし暗闇の中で潜入任務を開始した。


「まってなんか入ってきました! 動いてる! くすぐったいっ! とってこれとって! なんですかこれ!」


 服の下でモゾモゾと動く小さな塊を、オフィーリアは必死に片手で捕まえようとするがロースくんはすばしっこい。


「だから、ロースくんだよ。僕の指示で君の肌は食い破られることになる」


「変態すぎるっ…… わたしついていけませんっ」


「……さて、話し合いも終わったし、降ろしてあげよう」


 オフィーリアの足を掴んで縄を切る。一気に不安定さを増した体は揺れて、彼女は咄嗟にスカートを押さえる手を離して僕の足にしがみついた。


 純白のパンツがちょうど目の前に来て、なんとも気まずい。


 恥じらうように膝頭が擦り合わせられる。


「パンツみられたぁ…… 男の人にみられちゃった……」


「実は君のパンツをみるのはこれで三回目だ。――さあゆっくり降ろすから、地面に手をついて」


「さささんかいめ! いつの間に、ってかカウントしないでください!」


 僕に吊り下げられたままオフィーリアは吠えるが、はやく地面に手をついてくれないか。いつまで経っても手を離せないんだけど。


「お兄さんわたし体が痺れててこのままじゃ頭ぶつけちゃいます! 優しくひっくり返してください!」


「しょうがないなあ」


 ランク7の身体能力があれば、少女一人を上下逆さにするなんて容易い。


 左手で両足首を掴んだまま右手をオフィーリアの腰に回し、腕で支えながらゆっくり回転させる。お姫様抱っこの体勢を経由しながら、オフィーリアは上下正常な状態に戻ってきた。


「はい、立ってね」


 地面に足をつけたのを確認して、僕は手を離す。


「あ、あうぅ……」


 まだ体の痺れが取れないのか、オフィーリアは体をふらつかせて僕の方へ倒れかかってくる。僕は彼女の体を抱き留めることを強制された。


「たてません……逆さ吊りがつらくて……」


「ええ……軟弱だなあ」


 結局、僕はちょうど後ろにあった椅子に腰を落とした。オフィーリアは僕の膝の上でぐったりしているが、落ちないように手の力だけでひしとしがみついてくる。


 床で寝転んでたらいいのに。そう思うのは薄情が過ぎるだろうか。本当にそうすると煩く騒ぎそうなので、背中に手を回して支えてあげる。


「あの、お兄さん、おっぱいが当たってますけど、興奮しないでくださいね?」


「……もう一回逆さ吊りしてあげようか?」


「いやですごめんなさいっ!」


 オフィーリアの背中から、ぴょこりとロースくんが顔を出した。僕と目を合わせて再び闇の中に引っ込む。


「あの、わたしが悪いことをしなくても、このリスはお腹が減ったらわたしをかじるのでしょうか?」


「機嫌次第だね。まあ餌は毎日あげたほうがいいよ」


「いやすぎる…… とってください……」


「だめだよ。これは保険だからね」


 僕の膝の上で荒い呼吸をするオフィーリア。頬は赤く染まり、黒装束のあちこちはめくれ上がって白い肌を覗かせている。


「ううぅ…… お兄さんひどいです……」


 くぐもった声が倉庫に響く。


 そのとき。


 扉がガラガラと開いた。


 ヴァイオレットだ。目があった。


「エディ…… あなた……」


「待て、誤解だよ。これは不可抗力というやつだ」


 僕の胸元で上目遣いをしているオフィーリアの瞳が、キラリと光を宿した。唇の片端を引き上げて邪悪に笑う。


「ヴァイオレットさん! わたしヤられちゃいました! 縄で縛られて宙吊りにされて、服も剝かれて、体にへんなの仕込まれて、パンツも見られて、いまおっぱいの柔らかさを堪能されています! この人、どへんたいですッ!」


「おい!」


「エディ……」


 こいつやりやがった! 偏向報道だ!


 僕は指を鳴らした。指令を受けたロースくんは迅速に行動を開始する。


「ちょっとくすぐったい…… いたっ! いたい! ロースくんやめてっ! 噛まないで!」


 オフィーリアは僕の膝の上で暴れ始めた。


「お兄さん、やめさせて! あっ、ロースくん尻尾が!」

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