追放少女にざまあさせてはいけない!

訳者ヒロト

第1話

 昼過ぎ。そろそろ昼寝でもしようかと事務所であくびをしていたのだが、突然の来客で僕の眠気は吹き飛ばされた。


「パーティーを追放されてしまいました! 弟子にしてください!」


 目の前で頭を下げているのは二十歳にも満たないであろう少女だ。


 すっと通った目鼻立ち、目を引く桃色の髪、長い睫毛。ぱっちりとした目の中で髪と同色の淡い桃色の瞳が揺れていた。


 肌は透き通るように滑らかで、胸はそこそこ大きい。冒険者らしく引き締まった体にはしなやかさと柔らかさが同居している。稀にみるレベルの美少女だ。


「まあ座りなよ」


 桃色のショートヘアは丁寧に編まれていて、彼女の細やかな性格と、冒険者でありながら外見にも気を遣う擦れていない女性らしさを感じさせる。


 彼女はすこし遠慮をみせながらおずおずと僕の向かいに腰を下ろした。 


「失礼します」

 

 僕は冒険者を引退して、師匠マスター業というものをやっている。未熟な冒険者を一人前まで育て上げるというやりがいのある職業だ。師匠マスターとしての経験はまだそんなに長くないが、現役時代の名声もあってこうして教えをせがまれることは多い。


 師匠マスターっていうのは稼げない。現役を引退した後の生き方としては不人気だ。半人前の冒険者を客にするより貴族の護衛でもやっていたほうが稼げるし、自分で戦った方がもっと稼げる。


 つまり師匠マスター業をやっているのは物好きだけ。僕もそのうちの一人だ。


「お金は用意してきました。三百万リルです!」


 彼女はかなり膨らんだ袋を懐から取り出して、机の上に置いた。硬貨が触れ合う音が聞こえる。


 三百万リル。中堅以下の冒険者にとっては大金だろう。しかし僕にとってはそうでもない。僕は金のために師匠マスター業をやっているわけではないのだ。


「三百万リル……。ちょうど僕が前の弟子から貰った代金だね。下調べはしているようで、感心するよ」


「ありがとうございます!」


 彼女はぺこぺこと頭を下げた。桃色の編み込みが揺れる。


 風任せに生きている冒険者の中には、高名な師匠マスターが偶然通りすがったから弟子入りしてみるかなんて馬鹿も多い。そんな中で彼女は僕の情報を前もって調べてきてくれたようで、好感が持てる。


「ただ、お金は――重要じゃないんだ」


「……そうですよね」


「僕が重視するのは、教えがいがあるかどうか。その一点のみ」


「教えがい……ですか……」


 彼女は自信なさそうに目を伏せた。


「まずは名前を教えてくれない?」


「クリス・アーモンドです。歳は十八。冒険者になって二年目になったばかりの駆け出しです」


「僕はエディ・シドニー。引退して余生の暇つぶしに師匠マスターをやってる」


 クリスは存じていますとばかりに頷いた。


「それで、パーティーから追放されたといったけど、詳しく聞かせてもらえるかな……?」


「はい、お話しします……」


 クリスは唇をわなわなと震わせた。いままで穏やかだった目に暗い光が宿る。顔から表情がすっと抜け落ちて、白い肌も相まって幽鬼のようだ。突然の豹変に僕はまじまじと見つめてしまう。 


 ……この子、大丈夫?


「私はいままで四つのパーティーに所属してきましたが、すべて追い出されました……。私が無能なせいで……」


 追放、か。


 それ自体は珍しいことではない。能力の差や人間関係の問題で誰かが追放されるというのはまああることだ。


 しかし、一年で四つのパーティーを渡り歩くのもそこそこ珍しいが。四つから追放されるっていうのはもっと珍しい。どんだけ無能なんだ……。


「まだ才能が開花していないだけの可能性もあるから……」


「一年もやって、まだランク2になれないんです!」


「それは才能がないね」


「ひどい!」


 ついつい出てしまった僕の言葉に、クリスは目を涙で濡らした。


 職位ランク


 人はそれぞれ神職クラスというものを持っていて、さらに職位ランクで階級分けされる。ランク1から始まって、人類の最高到達点はランク10。そこが限界と言われている。ちなみに僕はランク7。


 一年やってランク2になれないというのは聞いたことがない。よほど才能がないのか……。


「クラスは?」


「剣士です」


 剣士は、剣と博愛の神フリードの神殿で祈りを捧げることで就けるクラスだ。博愛の名のとおり、フリードはどんな人間でも拒むことなくクラスを与えてくれる。そこに才能の有る無しは関係ない。どれだけ才能がなくても、クラスだけは与えてくれる。それが剣神フリードだ。


「剣士か……」


「どんな無能でもなれる”剣士”です……。私がなれるクラスなんて剣士だけ……」


 どうやら彼女は人生のどん底にいるらしい。ぐすんと鼻をすすった。目から一滴涙がこぼれて頬を伝う。


「ずっと頑張って努力してきました! でも駄目でした! せめて自分に出来ることをやろうってパーティーに尽くしても、馬鹿にされて雑用扱いで、体を要求してきたから断ったら追放されたんです……」


 クリスは取り乱して声を高くする。目には深い憎悪の色。この世全てを恨むかのような表情。


「大変だったんだね……」


 クリスは手で顔を覆い、しくしくと泣き出してしまった。


「ごめんなさい……うるさくしてしまって……迷惑ですよね……」


 成長を重ねるうちに実力差が明らかになってきて、結局パーティーを脱退するなんてのはよくある話だ。まあ一年やってランク2になれないというのは初耳だけど。


 僕は頭の後ろをかいた。泣いている女の子を慰めるのは苦手だ。


「なんでもします! 掃除でも料理でも洗濯でも、どぶさらいでもします! 私にできることならどんなことでもやります! できないことでも、死ぬ気でやります! だから弟子にしてください!」


「うーん」


 お手伝いさんが欲しいわけではないしなあ。


 クリスはほんのり頬を赤く染めて上目遣いになり、恥じらうように体をかき抱いた。たったそれだけの仕草なのに彼女の美貌によって、女性として成熟しかけている少女の独特な色香が匂い立つ。


「なんでもですが……えっちなことはナシでお願いします」


「……弟子にそんなことしないよ」


 クリスは胸を撫でおろした。僕のことをなんだと思っているのだろうか。


「シドニーさんの弟子になれば必ず一流になれると聞きました。実際お弟子さんたちはみな成功しておられます。私も頑張るので、なにとぞ......」


「弟子が立派に育ったのは僕のおかげじゃない。彼ら彼女らが努力して才能を磨いたからだよ。僕はただ原石を見つけただけ」


 数年やって気付いたが、弟子は勝手に成長するものだ。師匠にできるのは環境を与えること。


「そうだねえ……」


 今考えているのは――どう断ろうかということ。


 僕のところには毎日のように弟子入り志願者がやってくる。クリスのように無力感に打ちひしがれるものも一週間に一人はいる。


 全員に共感して涙を流すほど僕は聖人ではないし、全員を弟子にしていては一日二十四時間じゃ足りない。


「君はどうして冒険者になったの?」


 クリスは泣きながらも視線を上げて、僕の顔を見て答えてくれる。目は真っ赤に腫れていた。


「それしかなかったからです……。冒険者になるか、娼婦になるか、奴隷になるか。三択の中で、冒険者を選びました」


「そう……」


 これもまあ、ありふれた話だ。僕だってそうだった。冒険者の三人に一人はそんな感じだ。


 よし。遠回しに断ろう。


 わけわからないことを言って、彼女から辞退してもらうのだ。こういうときに「高ランクには狂人しかいない」という噂が役に立つ。


「僕の教え方は厳しい。君には耐えられないと思うよ。具体的に言うと、剣士なら鍛冶から覚えさせる。五年は鍛冶の修行だ。それからパワハラもすごい。一日三十時間は炉の前に立つことになる」


「......鍛冶......。――さすがシドニーさん! そんな修行法があるんですね! それで強くなれるなら、私、金槌だって握ります! パワハラも大丈夫です!」


 両手を握りしめて熱意をアピールしてくるクリス。目は本気だ。......この子、バカなのか? 鍛冶で強くなれるわけないだろ。


「......ただの鍛冶じゃない。逆立ちしながらやってもらう。君には難しいかなあ」


「......逆立ち......。――さすがシドニーさん! 腕力とバランス感覚を養いつつ、剣の構造にも精通する。なんて優れた修行法!」


 目を輝かせるクリス。なんだこれ。僕は遠回しに断っているつもりなのに、めちゃめちゃ食いついていくる。変わった子だ......。話が通じない。


 どうやら僕は狂人度でクリスに負けているらしい。僕が思いつく程度のことじゃ彼女は怯まない。


 はっきり言うしかないか。


「残念だけど――」


 続く僕の言葉を予想して、クリスの顔が歪む。


 君の師匠にはなれない。そう言おうとして、寸前で口を閉じた。


 僕の心の中に何かが舞い降りてくるような感覚。体が自分一人のものでなくなってしまったような。


 ――神託だ。


 僕の信奉する神、狩りと瞳の女神アリス=マリアが囁いてくる。こんなことは滅多にない。


 細く小さく、囁くような、震えるような声。僕の心の中だけに響く声だ。


『我が信徒エディよ。彼女は……』


 言葉が切れる。女神はしばらく沈黙を保った。


 僕は心中で問い返す。これじゃ何も分からない。


 アリス=マリア。彼女がなんだというのでしょうか?


 囁きが返ってくる。


『彼女、クリス・アーモンドは――このままでは魔王になります』


 神託の気配はそこで終わった。女神は僕の体を離れてどこかへ霧散した。


 魔王。人類の敵。世界を滅ぼす災い。


 情景が心の内側から浮かび上がってきた。街は盛大に燃えあがり、子供の泣き声が響いている。道は血と臓物で赤く塗り上げられ、その中で一人佇む桃色の髪の少女。彼女は愉しそうに笑っていた。


 瞬きをすると、その情景は消え去る。


 残されたのは凍りついた僕と、涙を流しているクリスだけ。


 彼女の顔に浮かぶのは絶望。仲間に追放され、頼る先もなく、これ以外の生き方もできない。そして今、最後の希望である僕からも見捨てられようとしている。人生を悲観し、世界を憎む一歩手前。


 鬼になる一歩手前。




 ――殺さなくては。


 そう思った。後ろ手でナイフを握る。


 殺そう。魔王になる前に。

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