コクワさんの部屋

玄関を開けたら、コクワガタがひっくり返ってもがいていた。

私は虫かごを引っ張り出すと、コクワガタをその中へと入れた。つぶらな瞳は私を見ているのか否か。コクワガタは虫かごの中で動かなくなった。


つんつん、と突っつくとピクッと動く。どうやら彼女は死んだフリをしているらしい。

私を警戒しているのか、いきなりの環境変化に驚いているのか……。


保護したつもりがコクワガタにとっては要らぬお世話だったのかもしれないと、ベランダの鉢植えにコクワガタを逃がしておいた。


しばらくしてベランダを覗くと、コクワガタは鉢植えから転がり、コンクリートの上にひっくり返ってもがいていた。さっきからもがいてばかりいる。


暑いコンクリートの上、土のある大葉の影になる鉢植えの上にいた方がまだ快適だったろうに、なんでひっくり返ってるの。


そう思いながらも、自宅に保護するのは如何なものかと悩んだ。しかしコクワガタは炎天下の中ひっくり返ってもがいている。背の羽はコンクリートの熱でかなり熱いだろう。さらにもがきによる摩擦で熱を帯びそうだし、体力も消耗しそうだ。


明らかに弱った様子のコクワガタ。

こんな炎天下の外に放置しては気の毒だ。干からびるかカラスの餌になるか、彼女の進む世界線はイバラの道のように思えた。


私は虫かごに土を敷き詰め、霧吹きで土を程良く湿らせた。鈴虫ならこのパターンで喜ぶが、コクワガタもそれがお好みなのかは分からない。しかし地球上の生命は共通して水を欲するものだろう。


コンクリートの上でもがいているコクワガタをその中へと入れてみた。


急な話だったので昆虫ゼリーの在庫は自宅に無い。ネットで調べ、冷蔵庫の中にあるリンゴときゅうりと、水を入れたペットボトルのフタを入れておいた。


しばらくしてコクワガタは動き出し、土の中へと潜り込んだ。鈴虫と同じで夜行性だからか、それとも体調が悪いのか、気になるが私はこれから仕事へ行かねばならない。

夏休みが始まった自宅は、快適な室温となっている。外よりは幾分マシだろう。私は娘にたまにコクワガタの安否確認をして欲しいとお願いし自宅を出た。


昼休み、LINEで娘にコクワガタの安否確認報告を要求すると、『土に潜ってるから分からない』との事だった。

私は仕事帰り、コクワガタの環境整備に必要なものを全て揃えて自宅へと帰った。

即席に作ったコクワガタの部屋では、朝からずっと土に潜ったままの隠れっぱなしだ。

私は整った新たな部屋へとコクワガタを招き入れた。もしも私がコクワガタなら「わ~い!」と間違いなく喜ぶが、命には個性がある。彼女が喜ぶとも限らない。そして喜べ! と押し付けも良くないが、とりあえず黒蜜味のゼリーを食べるよう誘導してみた。

しかしコクワガタは一口もそれを食べることなく土の中へと潜り込んでしまったのだった……。


「あなた人見知りなの?」


そんな問いに応えることなく、コクワガタは静かに身を潜めている。付き合い悪いな。まるで私のようだ。私もたまに穴蔵へと潜り込みたくなる時がある。そんな時はそっとしておいて欲しいと願う。多分今の彼女も、それなのかもしれない。


早くエサを食べて元気な姿を見せて欲しいけれど、それを強制することもできない。私はただ虫かごの外から静かに彼女の安否確認をするしかないのだ。

熱い視線で見すぎてプレッシャーを感じさせるのはストレスだろうから、さりげなくそっと覗くと心に決めた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る