僕を忘れて、還り来た君へ
門戸
1.親友イスラの喪失
僕らは戦っている。
戦うべき相手が一体なにものなのか、まだ知らぬままに戦っている。
研修兵として、ここ戦地北海岸へ配属されてようやく、≪敵≫の基本情報を与えられた。
:大自然の脅威たる強害獣。
「そんだけかい、としか言われへんわ」
「大自然が送り込んでくる、けったい迷惑な害獣なんて。そんなん、どこにだって居るやん? ふかし鳥にさそりにとんび、犬ねこかて怒らしたら怖いわ。ああ、とこじらみも憎たらしいなー」
「せやね!」
僕はうなづいて、うなじの辺りをがりがり引っかいた。錬成校に入ったばかりの頃、寄宿舎でひどい目にあったことを思い出したから。べつに実際かゆいわけじゃない。
「対決するんは当分先の話としても。もう少し、詳しく教えてくれたっていいよねー」
まだ朝もやが残る曇り空下の海岸を、僕らは歩く。乾ききった大都会で生まれ育った僕らには、この
「全部聞こえてるぞう。モモイに、イスラぁ」
少し前を歩く教官が、振り返って言った。別段こわい人ではない。と言うか、理術士錬成校に怖い先生はいない……。厳しいかそうでもないか、それだけだ。
「ものごとには、順序ってもんがあんねんな。お
「そうか~??」
「じつは案外、先生も知らんのとちがう?」
ぶふっ。僕らの言い方が面白かったのか、老教官は怒るどころか噴いた。
「ほらー。みんな、歩調をゆるめなーい、乱さなーい。規則正しく、きりきり歩け~」
後ろの方ではもう一人の若い引率教官が、明るい叫び声をあげている。
僕らはティルムン第四理術士錬成校の生徒で、ここに半月の実地研修に来ていた。
祖国の首邑からずっと北上したところにある長い海岸線は、ティルムンの≪戦線≫である。
この海の向こうからやって来る≪敵≫と、僕の祖国とは数世紀にわたって戦ってきた。それが一体何なのか、ほとんどの国民は知らない。
敵と対峙するのは、訓練を受けた理術士。つまり兵士だけであって、一般庶民には
知らないままにいつも通りの鍛錬を、戦線近くの安全な砂浜で行っているのだ。
革鎧の上に砂色の理術士外套。背中に丸盾、胸に獅子頭の理術士帽。そして手には“白き沙漠”から来た聖樹の杖。この標準装備でひたすら歩き、時々詠唱、歩いて詠唱……。これをもう数日の間、ずっと繰り返していた。
本当に敵が襲撃しうる場所というのはずっと東の方にあって、ここはティルムンから持ってきた資材や食糧なんかを備蓄している基地なのである。危険はまずなくて、研修にはもってこいの場所だった。……と、されていた。
「あれー、先生。なんか今、妙なんが海にちらつきましたー」
先を行く同級生の一人が、波間を指さしながら歩調をくずす。
「さかなに決まっとるやろー。よそ見すんなや」
「じゃなくってぇ、泡が~~」
「あーっ!」
「ほんまやっ」
その子の周りにいた数人が、次々に声をあげて立ち止まる。
僕とイスラを含めた十二人の子どもと二人の教官は、鉛色の海を見た。
沖合よりもずっと近いところに、不自然な白い泡が湧き立つのを、たしかに見た。
ぼこぼこぼこ、と何かが吹きこぼれるような音。
次の瞬間、ずばりと何かが水を割って飛び出した。
「ああーっっ」
「全員、詠唱かまえぇッ」
「“防御壁”!!」
十二人の叫び声に、教官二人の怒鳴り声がかぶさる。
それで僕らは反射的に、獅子頭の術士帽をかぶって杖を両手に構えた。
「いざ来たれ いざ来たれ 群れなし
「高みより高みより いざ
老先生の揺るぎない詠唱に引っぱられる形で、僕らは声をあげ始めた。
イスラがぐっと近くに寄ってきた、僕らは一瞬顔を見合わせてうなづき合う。さっと上向けに掲げた聖樹の杖、その先端がくわっと白く光り輝く。
「
イスラの詠唱は、先生の声よりもずっと近くずっと力強く、真横の僕の身体に響いてくる。
僕の親友イスラは、この級でいちばん正規理術士に近かった。錬成校に飛び級が存在したら、もうとっくにイスラは新兵
そういうイスラが隣にいるから、僕はいきなり本物の≪敵≫に遭遇しても、怯えなかったのだ……はじめは。
「我らを隔てる壁となれ」
皆の杖の先も光っていた。そこからあふれ出た白い光が、僕らの前方に集まって行って巨大になる。全員でつくった光の“防御壁”が、砂浜にいる十四人の前に広がった。大きな大きな半球の泡のようなもの、その内側にいれば向こう側の敵から直接攻撃を受けることはない。
しかし僕らの前には今、巨大にのたうちまわる長いものが、波打ち際を越えて迫りつつあった。“防御壁”が押されているのだ。
「全員、防御壁の詠唱を続行!
僕らは光の泡の裏側で、後退を始める。
“防御壁”の詠唱を続けながら、僕は術士帽の目の部分、
長い長い長い
学校の垣根くらい……いいや、ティルムン市を囲む石の城壁くらいに大きかった。丸っこい頭についた細い切れ目のような二つの目、魚のような口、それがすぐ首に続いていて前脚などは見当たらない。
とうとう浜辺に乗り上げたそれは、後方に水しぶきを上げながら、ぐーっと高く伸び上がった!
「ぎゃーっ」
「うわああああ」
恐慌した何人かの生徒が、叫び声をあげる。
だーんッ!!
一列になった僕らと、そいつの間にいきなり火の柱が噴き上がった!
若い教官のルボ先生が、詠唱を終えて攻撃を繰り出したのだ。
「今だ! 全員、全力で退避ーッッ! 東の岩場めざして、走れーッ」
それで僕らは駆け出した。一番足の速い連中がぐんと先を行き、老先生は両手に泣き出した二人の子の手を引いて、……ルボ先生は一人の子を肩に引っかかえて走る、走る、走る。
イスラが僕の左腕をつかんでいた。頭の中が真っ白になってしまって、もう前の先生が何を叫んでいるのかも、さっぱり意味がわからない。ぼんやりの中に意識が埋もれかける中で、……イスラの手だけが現実的に確かだった。
ふっ、とまわりが暗くなる。
そうして恐ろしい圧迫感をおぼえた……。ほんの少し頭を上げる、真上にいる≪敵≫の頭が、僕とイスラにむかってぱかっと口を開けかけたことを知った。
「高みより 高みより いざ
イスラの声が、気合のこもりまくったいつも通りの力強い声がすぐ近くで炸裂して、僕はふぁっと我に返る。
「行くぞう、モモイっ。 ……
イスラが攻撃のための展開詠唱をとったことは、すぐにわかった。わかったから僕も詠唱で続いた。僕には全然おぼつかないやつだ、けどイスラと一緒なら……!
「――
イスラの杖と僕の杖とが、かあっと白く輝いたその瞬間。
僕の左腕をつかんでいたイスラの手が、ぐいっと僕を右方向に突いて押した。そこに巨大なけものの口がかぶさって、……イスラをのみこんだ。
勢いを崩さずに迫ってきた≪敵≫の頭は、僕に激突する。ぽーん、僕の身体は宙たかく舞った……そして僕は見た。
その≪敵≫の口の中で何かが光って、青いものが炸裂した。
はじめ小さく、そして大きく、破裂した青く光る風は、≪敵≫の頭を跡形もなく刻みくだいて、ちりぢりに滅ぼした。
そうして僕は、親友イスラを失った。
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