非日常記

スズキハジメイ

第1話

ひょんなことから、私はとびきりの女性と過ごす暫しの時を得た。

長いこと生きていれば、こういう幸運もあるさ。


とはいっても、過ごす時の中で、何を話したら良いかの引き出しなど持ち合わせていない。


選ぶ言葉も表情も、言葉を乗せる口調も、随分とぎこちないものなのだろう。


まぁ、大都市の繁華街を長時間ほっつきあるいても、まずお目にかかれることのない美女だったので、自覚していない緊張はあったかもしれない。


そもそも、私はいわゆるモテる男として生まれついていない。

女性の側からすれば、一緒にいたところで退屈するか、こちらの興が乗って話をしたところで、まるで面白くない話題しかない。


・・・分かってるんだよなぁ。


それでも、一応男だから、話は弾ませたいし、楽しい時間を過ごして、多少なりともこっちに好意を抱いて欲しいといった、月並みな欲望は持っている。


要するに、願望を実現する実力のない者の空回りが始まる訳だ。


最初、顔を合わせた時、冴えない間の抜けたオッサンの面を見て、彼女の顔に少し警戒の色が浮かんだ。実際、私は胡散臭い男なので、まるで気にならないが。


でも、考えてみたまえ、仕事とはいえ、初めて会う初老といってもいい中年のオッサンに、満面の笑みを浮かべる女性の方が無警戒すぎるのだ。


だから、私と同じ非モテの諸君、そういう反応にガックリ来ることはない。


かくいう私とて、分不相応な期待を勝手に描き、それに裏切られガックリと精神的に膝をついたことなど、星の数ほどある。


そもそも、若い女性と良好な関係を長いこと続けられた実績がない。


これは胸を張って言える事だ!

いや、胸を張ることじゃない・・・。


さて、自虐でも妄想でもない「リアルな非日常」を、自分の心象を交えて文字にするのが、この文章の趣旨だ。


本当に事務的な仕事の関係で、その彼女と4日間という、長いようで短い時間を過ごした。私が言い散らかし、書き散らかす言葉や考えの断片を拾い集め、それを聴いてもらうような、趣味で物書きをする、私のお手伝いみたいなことをしてもらった。


名は・・・ユキとしておこう。


季節は夏なので、ユキは意外なほどの軽装だった。

美しい容姿に、抜群のプロポーション。

ユキは笑って否定していたが、今をときめく人気女優の美点を足して、バランス良く割ったような、信じられない容姿をしていた。


ま、本当の美女ってのは、その美しさを素敵に無駄遣いするものだ。

・・・それが、本当の意味で、良いオンナなのだよ。

無駄とはいえ、歳を重ねると、そういう真実に気がつくものさ。


優しさや寛容さ、といっていいと思う。


正直、私が若かったら、猛烈に入れ込んで人生を棒に振っていることだろう。


だがね、私にもはやそんな体力は無いのだよ。

色恋ってのは、実は体力なのさ、お若い諸君!


ま、格好つけた言葉を連ねているが、俺の心の中は、どうしたらユキと親しい継続的な関係を続けられるか?という欲望と打算でいっぱいだったことは、ここだけのハナシとしておこう。


私の方から、なけなしの経験とセンスの無い会話を繰り出しても、ユキの気を引くことはできないし、なるべく無駄な力を抜いて、ユキの話を聴こう・・・そう努めようとする。


一応は素直な心で聴く。

だが、いかんせん、美女過ぎて邪な感覚は消えない。


「俺だぞ、オレオレ!鏡見ろ!」


という呪文を時折唱えながら、いろいろ気を遣って話題を提供してくれる、ユキの言葉に耳を傾ける。


当たり障りのない相槌を、タイミングに気を遣って繰り出すが、どうにもマヌケな反応だ。


私の心の中に、悪意や過剰に分不相応な欲望などは無いから、思いきり嫌われはしないだろうが、好印象を与えるのも無理だろうなぁ・・・そういう、正しい自然な諦観は常にあった。


この気持ちが抱ける分、私も年老いたのだ。

ある意味、健全な老い方だ。


ユキは、健全で明るい女性だと感じた。


しっかり大変な仕事を頑張って、その分、自分の楽しむ時間をちゃんと得られる健やかさを感じた。


ああ、いいなぁ・・・俺には、そういう健康的な命という時間の割り振りって、できないんだよな。


ユキを少し眩しく感じたとき、昔経験した、少し辛い記憶を語ることができた。


黙って聴いてくれた。


素直に聴き入れてくれるのは、ユキが生まれつき持つ健康な魂ゆえだろう。


・・・私とは違う心の色をしていると分かる。


人の心の色は、境遇では変わらない。


愚かな私なら、どんな恵まれた境遇でも不満を抱き、世界を呪うだろう。

そういう者に、この世界は優しくない。


だから、今の俺が居る。



ああ、いいなぁ。

ユキを見て、思った。


俺とは、あまりに違う。

完全に違うから、魅力を感じるんだろう。


不思議と、ネットリとした、嫌らしい懸想はしなかった。


知り合いの編集者が、趣味で絶対に売れない、くだらない文章を書く、こんな私の境遇に同情して派遣してくれた、美人のアルバイトさんだったから。


契約の時間が過ぎ、お別れの時間が来たとき、私は不思議な感覚になった。

起きる時間が来れば人は起き、腹が減れば飯を食う。眠たくなれば眠りにつく。


・・・そんな、ユキのような美女との暫しの別れに際し、意外なほど私は、あっさりとした、自然な感覚でいた。


ああ、こんな非日常なのに、日常の普通の出会い方と別れ方ができるんだ。

そして、多分、いつか、また普通に出会える。


これって、幸福ということなんだろう。


なにか、そう感じた。


ドラマティックな、感動の別れとは違う。

普通の「またね!」


もしかしたら、私は世界一の幸せ者なのかもしれない。

そう、思うことができた。


だから、ユキには言いたい。

君が幸せで、楽しい時を過ごせているなら、それでいい。


だけど、辛いことがあって、親しい人にも言えない苦しみを抱えたなら、「辛い」と伝えて欲しい。


理由は言わずともいい。

一緒に、本気で凹もう。


・・・そういう相手がいるということだけ、思い出して欲しい。






















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