異常―――親!?


 ―――えーっと、泊る?九条の家に?俺が?


「そ、それは、その………どうして?」


 九条がそんな冗談を言うはずが無い。よしんば言ったとして、俺に言うはずが無い。

 この申し出は、きっと本気で言っている。


 いや、なんで急にそんな話に!?


 動揺を表に出さないように気を張りつつ、問いかけてみる。すると彼女は少し間をおいてから、答えた。


「この暗い中、歩いて帰るのは危険だろうと思って。あなたの家は、ここから遠いでしょうし」

「あぁ、そういう………でもまだ八時だし、街灯もあるし、大丈夫だと思うよ」

「その油断が命取りよ」

「えぇ……?」


 なぜか有無を言わせない威圧感があるが、まぁ、心配してくれているのだろう。彼女なりに。


 九条ってどこかコミュ障なところがあるからな。これは距離感の詰め方をミスったとか、テンパったとか、そういうアレだろう。


 ―――と、なると。下手に乗ると九条側が後に引けなくなって大変な事になるから………


「えっと、心配してくれてるって事だよね?それは嬉しいし、ありがとう。だけどさ、油断が命取りって……それは、そっちの方じゃない?」

「どういう意味、かしら」

「俺だって、年頃の男なわけだし?、起こしちゃうかもしれないじゃん。例え、君の両親が居たとしてもさ」


 まぁ、ほぼ裸の先生に抱き着かれて耐え抜いた俺だ。今更九条の家に泊まったところで、万が一相部屋にされても健全に一晩過ごせる自信がある。


 だが、世間体とかそういうのは、全くもってよろしくないだろう。


 ここは俺が泥を被る形で、上手くお泊りの話を無かった事に―――あれ、なんか表情が暗くなった?


「………家には、誰にもいないわ。両親は仕事で忙しいし。昔は家政婦がいたけれど、私が中学を卒業する頃には解雇したもの」

「そ、っか」


 これは、地雷だったか?

 

 思えば九条から家族に関する話を聞いた事は無かった。家族の話をするほど親しくはない、ってだけだと思っていたけど………この反応を見るに、家族との関係があまりよろしくなかったみたいだな。


「ごめん、変な事言っちゃって」

「………いえ。あなたは何も悪くないわ。―――とにかく、家には誰もいないから。だから、問題ないわ」

「俺の話聞いてた?」


 何が「だから」なんだ。だからこそダメなんだろ。


 九条と目が合う。向けられた視線は、どこか湿っぽく、艶があった。


「逆に聞くけれど。あなたは私と二人きりで、誰の邪魔も入らない状況だったとしたら―――を、起こしてくれるのかしら」


 言葉に詰まる。


 さっきから、九条が言いそうにないセリフのオンパレードだ。目の前の彼女が、見た目がそっくりなだけの偽物だと言われた方がまだ納得がいくほどに。


 ただ若干の照れはあるのか、街灯に照らされたその顔はやや赤く、歩速が徐々に加速していく。


「―――冗談よ。ええ、冗談。ごめんなさいね、変な事を言って」


 いつまでも黙っている俺に痺れを切らしたのか、彼女は乱暴に言い放ち、顔を背けた。


 絶対に冗談ではない。だが「いや、本気だったでしょ~」なんて言おうものなら面倒な事になりかねないのは目に見えているので、ここはスルーしておく。


 ………勘違いイケメンの俺なら、もっと別の……それこそ九条を不機嫌にさせない対応が出来たんだろう。

 別に多重人格ってわけでも無いのに、自信を無くして現実を見るようになっただけでここまで考え方が変わるとは。


 今ばかりは、エセホストに帰ってきて欲しい。いや、やっぱ帰ってこないでくれ。お前は忌まわしい過去だ。二度と出てくるな。


「ここが、私の家よ」


 九条が足を止めたのは、ザ・お金持ちの家って感じの屋敷―――というほどでは無いにしろ、一般人ならまず買わないだろう巨大な邸宅の前。表札を見れば、確かに九条と書かれている。


 ………えっ、九条って、お嬢様だったの?


「す、凄いね」

「親が二人とも仕事熱心だから、金だけはあるの。―――それよりも、御堂君。泊まるかどうかはさておくとしても、もう遅いことだし。一緒に夕食でも………どう、かしら?」

「喜んで。―――あ、でも一応連絡だけさせてね」

「ええ。あと、バケツは玄関前においてくれれば良いから」

「わかったよ」


 指示された通りにバケツをおいて、母さんにPAIPを送る。舞に送ると、また浮気でもしたみたいに問い詰められるからな。


 あ、でも位置情報でバレるんだっけ。誰かの家に居るって。………帰ったら誠心誠意謝らないとな。あと、舞の分の埋め合わせも考えないと。


 流石に九条と同じ事だと、乙女心的にダメだろうし。


「【ゆっくりしておいで】だって」

「そう」


 律儀に俺を待っていてくれた九条が、ドアを開く。

 広く、清潔感のある玄関が、俺達を出迎える。


「お邪魔します」

「いらっしゃい」


 足を踏み入れてわかる。この家、あまりに広すぎる。奥行も横幅も、視界に映るすべてが俺の家の倍くらいある。


 ………ただ、なんだろう。この息苦しさは。

 生活感が無いというか、無機質というか………温かみを全く感じない。


「人を家に招くのは、初めてだから………少し、緊張するわね」

「はははっ、俺も一緒だよ。初めての場所って、なんか緊張するんだよね」


 装飾が無いわけではない。観葉植物だとか、置物だとか、そういったものは寧ろ多いくらいだ。だというのに、身震いしてしまいそうな冷たさしか感じられない。


 リビングに入ると、その異常さを益々強く感じる事になる。


「………ぬいぐるみ?」

「ええ。部屋に収まらなかった分は、ここに置かせてもらってるの。どうせ私くらいしか使わないし」

「ぬいぐるみ集めが趣味、とは聞いてたけど………随分集めたね」


 リビングの至る所に、ぬいぐるみが置かれている。

 大半は装飾品としての意味合いが強く見えるが、一部のぬいぐるみは―――例えばソファに座っているぬいぐるみなんかは、まるで人間として扱っているかのような………そんな気がした。


「今から作るから、ソファに座って待っていて」

「せっかくだし、手伝うよ。これでも料理は得意だし」

「そんな凝った物を作るつもりではないから、大丈夫よ。あまり遅くなっては困るでしょう?」


 柔らかく微笑んで、台所へ入っていく九条。エプロンを結び、手際よく食材を並べていく姿を見ていると、まるで新婚気分だ。


 思い上がりも甚だしいって?言うなよ、俺が一番わかってるんだから。


 言われた通り、ソファに座る。びっくりするくらい柔らかい。絶対に高いヤツだ。


 ………九条の両親、どんな仕事してるんだ?

 気になるけど、聞いたら不味いのはここに来る前のやり取りでわかってるしな……


「お、良い匂い。焦がし醤油?」

「ええ。チャーハンを作ろうと思って」


 九条がチャーハン、ねぇ。なんだか珍しい……と言うか、そういうのを作ったり食ったりしなさそうだと、勝手に思っていた。

 イメージだけで人を判断するのは何とやら、ってヤツか。


 感じ始めた空腹感を紛らわす意味を込めて、隣に座るぬいぐるみに触ってみる。

 可愛らしい目と口のついた、ナマコのようなぬいぐるみだ。なぜか、どこか見覚えが―――いや、これ俺がプレゼントしたヤツだな。


 一目見た時からなんとなく思っていたけど、まさか本当にそうだとは思わなかった。っていうか、あの九条が俺のプレゼントをちゃんと取っておいてくれてたのが驚きだ。


 今がなんとなく「嫌いという程でも無い」くらいなのはわかるけど、これ渡した時って夏休み前だったし。あの時なんて、嫌われ全盛期じゃ無かったか?

 渡したプレゼントは全部捨てられてる前提で考えてたけど、そうでも無かったんだな。


「出来たわよ」


 呼ばれて、食卓へ向かう。

 綺麗なドーム状に盛られたチャーハンは、見た目からして美味そうだ。


「いただきます」

「召し上がれ。―――味は、どうかしら」


 どこか不安そうに尋ねてくる九条だが、すぐに返事をすることが出来なかった。


 だって。今食べたチャーハンは、あまりにも。


「美味すぎる………!!」

「そ、そんなに?」

「全くべちゃっとしてないし、味付けも良い!醤油とネギの風味がガツンと脳を刺激してくる感覚!!店出せるよコレ!!」


 正直に言おう。俺がこれまで食べてきたチャーハンの中で一番美味かった。

 これであまり手が凝っていない?世の料理人たちが泣くぞ?


 感動のあまりキャラも忘れて勢いよくチャーハンを掻っ込んでいく。空腹感も相まってか、手が止まらない。


 九条はそんな俺を笑って、自分の分を食べ始めようと―――


「ただいまー」

「っ!!」


 玄関から、女性の声が聞こえた。

 九条は大きく肩を震わせ、玄関の方と俺を交互に見て、しかし特に何をするわけでも無くその場に留まった。


 姉か、妹か、母親か―――まぁ、見知らぬ男に食事を振舞っているところなんて、見られたくはないだろうな。

 ただ、何もしなかった当たり、下手に隠そうとするよりは堂々と……と考えたのだろう。なら、俺も変に慌てず、普段通りに振舞おう。


 しかし今の声、どこかで聞いたことがあるような………?


「玲香ちゃん、玄関に知らない靴があったけど、もしかしてお客さん―――」

「どうも。お邪魔していま―――」


 入って来た女性が、俺を見て固まる。

 同時に、挨拶しようと立ち上がり、女性の方を見た俺も固まる。


 数秒の沈黙の末、俺と女性は同時に叫んだ。


「れっ、玲香ちゃんに、彼氏!!?」

「か、Kasumi!?」






♡―――♡






 女優Kasumi。

 彼女の名前を知らないものはいないと言っても差し支えないだろう。

 圧倒的な美貌、演技力、歌唱力、愛嬌―――芸能界で輝くための全てを持っていた彼女は、稀代のマルチタレントとして、他の追随を許さぬ活躍ぶりを披露していた。


 映画で主演を務めたかと思えばワンマンライブで巨大な会場を埋め尽くし、バラエティではキャラを崩さないちょうど良いラインで笑いを誘う。

 スキャンダルと呼べるスキャンダルも無く、強いて言えば彼女の結婚報告の日に『悪夢』と語り継がれる程の阿鼻叫喚が巻き起こった事くらいだろう。


 ―――そんな超有名人が、今目の前にいるんですが!?


「は、初めまして。俺は御堂蓮司って言います。さっきは、呼び捨てだなんて失礼な真似を………」

「いえいえ。私も驚いて、挨拶も無く叫んじゃったもの。お互い様よ。―――知っているみたいだけど、私は九条くじょう香澄かすみ。玲香ちゃんの、母です。Kasumiって名前で、女優だったり、歌手だったり、色々やっているわ」


 朗らかに微笑むKasumi、もとい九条母。彼女の隣に座る九条は、無言で俯いている。


「それで、蓮司君。玲香ちゃんとは、どういう関係なの?」

「関係、と言われましても………。クラスメイトで、友達………だと、俺は思っていますよ」


 家に招かれる程度には、嫌われ度も落ち着いているとは思う。

 だが変に調子に乗った事を言えば、せっかく上がった好感度が急転直下しかねない。だからここは、自分はそう思っていますよ、で茶を濁しておく。


 いや、どうせフェードアウトして関係も何もなくなるんだし、変に考える必要とか無かったな。


「―――とも、だち?」


 当たり障りのない返事をしたつもりだが、九条母には違ったらしい。

 目を見開いて俺の言葉を反芻し、そして叫んだ。


「うそぉっ!!ついに、ついに玲香ちゃんに、お友達が出来たの!?」


 気持ちはわかるけど、その反応は酷くないか……?


 全身をくねらせて喜ぶ九条母を呆れつつ見ていると、突然大きな音が響いた。

 九条が机を叩き、立ち上がったのだ。


「いい加減にしてッ!!!」


 キッ、と母を睨み、今まで聞いたことも無いような声量で怒鳴る。

 俺がしつこく話しかけたとしても冷たい視線を向けるだけだった彼女が、ここまで感情をあらわにするだなんて。


 九条は怒りのあまり言葉が出てこなかったのか、口を何度か開閉すると、吐き捨てるように叫んだ。


にはッ………関係ないでしょう!?」


 反響していた声が、染み込むように消える。


 いくら酷い反応をされたからと言って、母親に言うようなセリフでも、口調でもない。

 まるで、赤の他人に向けたような。


 九条母は悲しそうに目を伏せ、力なく笑いながら席を立った。


「―――ごめんね、玲香ちゃん。私、部屋で休んでいるから」


 リビングを去る彼女を、九条は一瞥もしない。


 ………家族関係で何かしらの問題を抱えている事は、何となく察していた。

 けどまさか、ここまで―――西城とは別ベクトルで、ヤバかったとは。


 再び二人きりになった俺達だが、空気は当然ながら最悪なまま。

 今すぐにでも逃げ出してしまいたいような居心地の悪さに、俺は食事を再開するでも、彼女に話しかけるでもなく、ただ無言で視線を泳がせた。


「ごめんなさい、御堂君。見苦しい物を見せたわ」


 その『見苦しい物』は何を指しているの?と反射的に聞きそうになるのを堪え、曖昧に微笑んでおく。


 これは、変に否定しても肯定してもダメなヤツだ。


「えっと、今日はもう、帰った方が良いかな……?」

「………もう、食べないの?」

「あー………。いただきます」


 すっかり冷めたチャーハンは、まるで味がしない。掬って、口に放り込んで、飲み込む、という単純作業を淡々と終わらせる。空になった食器は、九条が無言で持って行った。


「―――何も、聞かないのね」


 台所に立った九条が、ゆっくりと口を開く。独り言にも思われる声量だが、その言葉は明らかに俺に向けられていた。


「どうしてもって時以外は、相手から話してくれるまで待つよ。九条さん相手なら特にね。無遠慮に踏み込まれるのは、嫌でしょ?」

「そう、ね」


 そんな事を言っているが、勘違い野郎時代の俺なら多分今この場で問い詰めて聞き出していた。


 イケメンたるもの、何か問題を抱えている人がいるなら必ず助けるべし。イケメンなら、どんな問題でも必ず解決できるのだから―――とか、そんなしょうもない事を考えながら。


 だが、今の俺にそんな真似はできない。

 あの時のような万能感も、自信も、何もないんだから。


「そろそろ、帰ろうかな。チャーハン、すっごく美味しかったよ。良かったら、また食べたいなー………なんてね」

「そう。気をつけて」

「うん。じゃあね、九条さん。―――また、明日」

「………ええ。また、明日」


 手を振って、去っていく。


 『逃げるのか』と、そんな言葉が頭に響く。

 それは他でもない自分の声で、同時に今の自分とはまるで違う、底抜けな自信に満ちた、尊大な声だった。


 逃げるんじゃない。わざわざ首を突っ込む理由が無いだけだ。


 どうせ俺は、全部無かったことにする。俺の過去を知る人全員の前から、その記憶の中からも消えてやる。そう決めたんだ。

 無駄に関わって、解決のために奔走して、それで?骨折り損のくたびれ儲け?くたびれついでに、作戦失敗のおまけ付きだろ?人生投げ捨ててまでする事か?それが。


「………はぁ。嫌んなるな、マジで」


 こんな言い訳をする男だったか。

 こんな自分本位な男だったか。


 ―――こんな、情けない男だったか。俺は。

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