教師……それとも。


「話を続ける前に、なんでこんな事をしたのか聞かせて───くれるか?」

「………こうでもしないと、今のお前には通じないだろうと思った」


 今のお前には、って………まさかバレたか?

 俺が自分はイケメンではないという現実を理解した事を。


「レストランで『俺なんか』と言っていただろう?そんなセリフ、お前から出てくるはずが無い」

「そうでも無いと思うけど」

「いいや。お前はいつだって自信に満ち溢れていて、絶対にネガティブな事を言わなかった。私に軽くあしらわれようが、九条に辛辣な態度を取られようが、笑顔を絶やさなかった」


 ………確かに、内心はともかく、表に出すような事は絶対にしなかった。

 表情にも出さず、まして言葉にした事なんて無かった。家でさえもだ。


 まだ作戦開始から一週間も経っていないのに、弱気な俺を出しすぎた、か。

 フェードアウト作戦に必要なのはグラデーション。何度も自分に言い聞かせたはずなのに、早速コケてしまったようだ。


「仮にそうだったとして、押し倒すってのはどうなんだ?結は美人だし、悪い気はしなかったけど………万が一俺が傷ついて結を避けるようになったら、本末転倒だっただろ?」

「それは………」


 言いにくそうにする先生に、ただ視線だけを向けて待つ。

 しばらくの間言い渋っていた彼女は、目を伏せつつ、か細い声で答えた。


「これくらいしか、思いつかなかったんだ」

「恋愛経験豊富そうなのに」

「す、好かれることは沢山あったが、交際経験は無いんだ。私から誰かを好くような事も、これまで無かったし………」

「あー………。なんかごめん」


 なるほど。実は未経験、ってヤツだったのか。

 それが焦りから暴走して、今に至る………って感じか。


「それに、お前には他にも相手がいる。私よりずっと若くて、美人な奴らが。ソイツ等を出し抜くにはもう、体くらいしか………」

「なんでそうなるんだよ……?」


 先生が両手で胸を持ち上げる。

 バスタオルがはだけ、色々と見えそうになり、咄嗟に目を逸らした。


 本当に、本ッ当に惜しいが、今見たら「見たなら責任取れ」とか言われて強制結婚ルートを辿ってしまいそうだから、我慢だ。


 ………でも見たい!超見たい!


「と、とにかく!そういうのはやめてくれ。結が不幸になるだけだ」

「別に不幸にはならんが」

「なるよ、絶対。こんな形でヤッたところで、虚しいだけだ」


 真っ直ぐに目を見る。

 先生は逡巡する様子を見せつつも、結局は溜息を吐きつつ、頷いてくれた。


「………話の続きをしようか。私は親に結婚を急かされ、お前に求婚した。それは事実だ。だが、説明不足でもあった」

「説明不足?」

「私が、決して適当に選んだ訳では無いって事だ」


 向かいのベッドに座っていた先生が、俺の膝の上に乗ってくる。

 そのまましなだれかかり、肩に頭を乗せた。


 だから!そういうのを!やめろと!!


「あ、あの、先生」

「結」

「………結。そういうのはやめろって」

「さっきのとは違うぞ?『女』という武器を使って攻めているだけだ。自棄っぱちでは無い。───安心しろ、ただ密着しているだけだ」

「バスタオル一枚でだぞ!?俺思春期だけど!?」

「手を出さんだろう、お前は。さっきのを宥めた男だからな」


 棘のある言い方に、何も言えなくなる。


 シャンプーの匂いか、それとも彼女自身の匂いか。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 耳元で囁かれる言葉に、背筋がゾクゾクする。


「流石に、いきなり結婚を迫るのは失敗だったと思う。あんなやり取りをした上で交際しようと言ったところで、受け入れてもらえないだろうこともわかる。―――だから、代わりに聞かせてほしい」

「何を?」

「―――お前は、結局誰が好きなんだ?」


 やや無機質な声。

 顔も見えず、彼女が今どんな感情を抱いて質問してきたのか、わからない。


「お前は女とあれば手当たり次第に声をかけるような男だ。しかし単に節操なしの軽薄な男というには、誰に対しても真摯に向き合いすぎている。九条や西城でさえ、『特別扱い』していないんだ」

「そ、そんなことはないと思うけどな……」


 それこそ九条や西城、先生相手には一際熱心に声をかけていたし、プレゼント作戦やデート作戦を行ったのはこのメンツくらいだ。

 あとは生徒会長とか、ネトゲで知り合った子とか、舞の友達とか、バイト先の―――あれっ、意外と多い?


「………好きな人は、いない……かな」

「そうか。まぁ、そうだろうと思っていたが」


 抱きしめる力が強まり、密着度がさらに上がる。


「それならそれで良い。やりようはあるしな。―――別に、九条とも特に何もないんだろう?」

「いや………ないけど、なんで皆九条の話をしてくるんだ?」

「はぁ。お前は本当にバカだな」

「え、突然の罵倒!?」


 呆れた、と溜息を吐かれる。

 異議申し立ての意を込めて少し声を荒げるが、先生は特に気にすることなく身を摺り寄せてくる。


「事実だろう。お前ほどのバカを私は知らん」

「は、はぁ!?俺、学年一位なんですけど!?」

「はんっ、そのセリフが何よりの証拠だよ、バカ。―――そんなバカなお前に言ったところで意味がないだろうがな。あの『冷血姫』が陥落したという噂が広まった時の荒れ具合と言ったら、目も当てられなかったぞ。私も含めてな」

「荒れ……?」

「―――なんかムカついてきたな」


 悪かったな!バカだからなんもわかんねぇよ!!


 先生が不機嫌そうに呟いた次の瞬間、肩に刺すような痛みが走った。


「痛っ!?ちょっ、なんで噛んだ!?」

「………今は『結』だからな」

「説明になってないが!?」


 無理矢理先生を引き剥がし、噛まれた箇所を見る。

 そこまで大きな怪我ではないが、血が出ている。


 まさかの愛情表現………いやいや、それなら普通、キスマークだよな?なんで噛んだ?噛み痕ってなんの意味があるんだ?

 単に『バカ』な俺に腹を立てて攻撃した、ならチョップとかデコピンとかで良いだろうし………こんな傷跡残るような真似、仮にも教師がするか?


「服さえ着ていれば目立たない場所だから別に良いだろう」

「人に怪我させちゃいけませんって習わなかったのか……?」

「さぁな。―――ただまぁ、満足した」


 唇についた血を舐めとり、蠱惑的な笑みを浮かべる。

 肩に残った痛みの残滓がなければ、俺はきっと理性を失っていただろう。

 そう思わされるほど、今の彼女は魅力に溢れていた。


 噛まれたことも、押し倒されたことも、今まで交わしてきた言葉も、全部がどうでも良くなるほどに。


「と、言うよりも―――ふふふっ」

「何がおかしいんだよ……」

「いや?私もまだまだ捨てたものではないと思ってなぁ」


 今度は普段俺をからかう時に見せる、ちょっと邪悪な顔を見せる。

 ニヤニヤしながら視線を向けている先は、俺の―――ッ!!?


「どッ、どこ見てんですか!!」

「ん?三十路近い女に抱き着かれたくらいで硬くなるようなをな」

「だだ、誰が初物だ誰がぁッ!!」


 言い忘れていたが、先生は割と下ネタをいうタイプだったりする。

 勘違い野郎時代には、イケメン的には女の下ネタに乗っても良いのか否か、よく悩まされたものだ。


「疲れたし、もう寝るか」

「そ、そうですか。じゃあ俺はもう帰るんで……」

「おいおい、こんな時間に歩いて帰るのか?」

「でも先生、酒飲んでるじゃないですか。タクシー呼ぶにもこっからだと結構金かかりますし……」

「泊まっていけば良いだろう」

「女教師と男子高校生がホテルで一晩過ごして良いわけないでしょ!?」

「ディナーに行って、裸も同然な恰好で抱き合って、今更何を言う」

「一方的に抱き着かれてただけですけど!?」


 先生はベッドに入ったまま動かない。かといって、俺一人で外に出たら面倒なことになる。

 私服姿ならいざ知らず、今の俺は制服姿。二十二時を過ぎているし、補導は免れないだろう。


「………お世話になります」

「よろしい。あぁ、電気を消すボタンはお前の方にあるから、消しておいてくれ」

「それは良いですけど、先に家族に連絡させてください」


 舞に【やっぱり帰れない!泊まりでゲームやってくわ!男友達と!!】と送り、電源を消して枕元にスマホを置く。

 そして電気を消し、布団に入る。


 抱き着かれたせいで感覚が麻痺しているのか、同衾じゃないからセーフ、なんて思っている俺が居る。


 ………明日、絶対舞に詰められるな。


 緊張感よりも明日の不安感に震えながら、俺はゆっくりと眠りについた。






♡―――♡






 翌朝。


「なんで俺のベッドに入り込んでいるんですかね。それも全裸で」

「いやぁ、なんでだろうな………」


 俺に抱き着いたまま目を逸らす。

 悪意はなかったが、やったことがやったこと教え子の布団に侵入なので気まずい、と言ったところか。


 まぁ、どうせ夜中トイレに行った時に間違って俺のベッドに入ってしまった、とかそんな話だと思うし、あんまり責めるのも良くないか。

 全裸なのはバスタオル一枚で寝たせいだし、抱き着いていたのは服を着ていなくて寒かったから、とかそんなところだろう。


 とはいえ朝一番から全裸の成人女性に抱き着かれては、色々不味い。

 先生の姿を極力見ないようにしつつ、ベッドから出る。


 床に足が触れた瞬間、あまりの冷たさに体が跳ねた。


「冷たッ!?なんかこぼした!?」


 床が驚くほど湿っている。いや、床だけではない。先生のベッドの上もだ。


「あ、あー………そうだ。水でも飲もうと思ったらな。派手に転んでしまって」

「それにしては湿ってる範囲が広すぎると思いますけど………ってか、転んだなら怪我とか」

「怪我はない。全然大丈夫だから気にしないでくれ。あと、あまりこの話には触れないでくれ」


 まくしたてるように、布団に包まりながら、どこか嗄れた声で言ってくる。


 まぁ、本人が大丈夫だというなら追及する必要もない、か。怪我を確認しようにも、布団から全裸の先生を引っ張り出すような度胸は無いし。

 ただ、水をこぼしたならちゃんと拭いておいてくれよ、とは思うが。


 ………つーか、俺の布団に侵入したのってこれが原因かよ。どうせすぐバレるんだから隠さず言えば良かったのに。


「服を着るから、トイレで待ってろ」

「待つも何も、帰りますよ。家族も心配してるでしょうし」

「私が家まで送る。そっちの方が早いぞ」

「そう、ですか」


 ならお言葉に甘えて、と、スマホを持ってトイレに入る。

 スマホの電源をつけると、百件近い着信とメッセージが、舞から来ていた。


【嘘つき】

【女でしょ】

【誰】

【誰と】

【返事】

【なんで見ないの】










【許さない】


 ………やばい、帰りたく無くなっちゃったよ俺。

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