パン―――麺?


 翌日、放課後。今度はちゃんと約束通り、河川敷にやってきた。


「昨日のハンカチだ。ちゃんと洗った」


 そっぽを向きつつも、昨日渡したハンカチを差し出してくる磯垣。

 俺は受け取ったソレを隅々まで確認して、匂いを嗅いだ。


「ばっ!?何してんだテメェ!?」

「いや、生乾きじゃ無いかなって」

「お前アタシのこと馬鹿にしてんだろ………!」


 馬鹿にはしていない。

 ただ、家事能力が著しく低そうだなと思っていただけだ。

 確認した限りだと、実際はそんな事も無いようだが。


「で、今日はお仲間さんは居ないんですか?」

「必要ねぇ。元々昨日連れてったのは邪魔が入らないように周りを囲わせる為だ。結局一人、割って入ろうとしてきたヤツが居たが」

「だから体格のデカい人ばっかりだったのか……」


 磯垣よりもずっと背が高い人達だったが、アレも倒して仲間に加えたんだろうか。

 成人男性四人を相手に圧勝した女だし、あり得なくは無いが。


 磯垣は指の骨をパキパキと鳴らし、獰猛に笑う。

 やることはわかってんだろ?と言葉無く語りかけてくる。


「はぁ………。会う度に喧嘩するなら、流石の俺でも今後のお誘いはお断りを視野に入れますよ」

「安心しろ、今回で決める」

「決めるって………昨日の今日でそんな変わらないでしょ。あ、でも髪切りましたね。それも今日」

「んなっ!?な、なんでわかんだよ!?」

「長さが若干違いますし、いつになく髪に艶がありますし。───せっかく美容室に行ったんですから、今日喧嘩するのはやめたほうが良いんじゃ無いですか?」


 顔を真っ赤にして睨んでくる。

 美容室なんて小洒落た場所に行った事がバレて恥ずかしい、とかだろうか?

 この人、結構ワイルドさとか粗暴さとかにこだわってる節があるし。


「ッ~~~!!うっせぇ!テメェがなんと言おうが、今日で決着させるんだよッ!!」


 彼女の右ストレートを合図に、喧嘩開始。

 殺意の高い攻撃の数々に苦笑いしつつ、的確に、彼女を傷つけない事を意識しつつ防ぐ。

 彼女自身、気遣われている事を理解しているのか、ますます顔が赤くなり、眼光が鋭くなっていく。

 だが攻撃の速度や威力に変化はない。最初っから全力なんだろう。


「テメェはッ!初めて会った時からずっとッ!防いでばっかだよなッ!!」

「そりゃ、怪我なんてさせたくありませんし」

「誰も傷つかねぇ喧嘩があるかッ!」


 色々とな人だが、攻撃は鋭く研ぎ澄まされている。

 喋りながらだというのに、全くブレが無い。


 何度か攻撃を防いだところで、磯垣は突然距離を取って、口角を上げた。


「御堂蓮司。テメェは強ぇ。アタシ自慢の拳でも、届かねぇくらいにな」

「そりゃどうも。で、これで決着で良いんですかね?」

「いいや?―――くくっ。教えてやるよ。アタシは何も、テメェが防いでばかりだって事しか気づかなかったわけじゃねぇ。御堂蓮司!テメェの『弱点』、見破ったぜ!!」

「弱点?」


 ハッタリ、は無い。彼女はそんな回りくどい事が出来る性格ではない。

 つまり、俺自身も気づいていない弱点が、彼女の目に見えたのだろう。


 ………不味いな。俺が自覚している『弱点』なんて『勘違い野郎時代の痛々しい言動を改めて突きつけられた挙句馬鹿にされる』くらいだが、磯垣が言っているのは確実にソレじゃない。

 仮にそうだったとして、対処法は無い。俺のメンタルは罅の入ったガラスなのだ。


「そうさ!テメェの『弱点』は―――これだッ!!」


 彼女は声を張り上げながら、俺の首を狙って回し蹴りを放った。

 何度でも言うが彼女のスカートは短く、普通の蹴りであってもチラリと下着が覗いてしまう。


 まして上段回し蹴りなんてしたら、チラリではすまない。

 ガッツリ、それはもうガッツリと見える。


「へへっ、なんでか知らねぇが、テメェは!パンチと何が違うのかはわかんねぇが、なんにせよ隙が出来んならこっちのモンだ」

「えっ、いやっ、その……」

「ついに動揺したな!このままアタシの勝ちだ!!」


 ―――なるほど。確かに盲点だった。


 俺は紳士ぶってはいるが、結局どこにでもいる思春期男子な訳で。

 磯垣は粗暴で凶暴な女であるが、同時に絶世の、と頭に付くレベルの美女。

 そんな可愛い子のパンツが見えているというのに、足を止めない思春期男子がいるだろうか?


 つまりはそういう事だ。


 これは『俺の弱点』ではなく『男の弱点』。どうにも本人は無自覚でやっているようだが、一番困る弱点を狙われてしまったようだ。


 連続して襲い来る蹴りを、何とか防ぐ。

 拳の時よりも余裕が無い。頭と視線の可動範囲が極端に狭められているせいだ。いや、狭めてしまっているのは自分自身の欲望故か。


 クソッ、今日は水色か!相変わらず大人びたレース素材のパンツを履きやがって!

 こういう不良女子はギャップ萌えのくまさんパンツを履いてるもんじゃ無いのか!?


 ―――いや見せパンを履けよ蹴りを使うなら!!


 パンツ、尻、ふともも。男の目を集中させるには十分すぎるソレを眺めていると、流石に回避に限界が訪れる。

 彼女の強烈な一撃が側頭部に直撃し、俺は耐え切れずに地面を転がった。


「ッしゃぁッ!!まずは一発!!」


 痛みと地面の冷たさに、冷静さを取り戻す。

 流石にこれ以上情けない姿を晒したくはない。誰に見られているわけでも無いが、己自身が許せない。


 ………それに、もう十分堪能した。

 布一枚越しの下半身なら、頭の中にバッチリ残って―――ダメだ、全然冷静じゃない。別に俺はそこまで性に飢えた男って訳でもないのに。


「ふぅ………言っとくけど、もう通用しねぇぞ」

「へっ、口調崩れてんぞ。余裕が無い証拠だぜ」

「余裕は確かに無い―――ですね、ええ。そりゃ、あんなを長々見せつけられたら、男ならこうなって当然ですよ」

「あ?何言ってんだテメェ。―――あと、前々から言おうと思ってたが敬語はいらねぇ。先輩って呼び方もやめろ」

「そう。ならありがたく」


 どうも、分かっていないらしい。

 なんで蹴りが俺の隙を生むのか。俺の視線がどこに向かっているのか。

 女は視線に敏感、と聞くが………コイツの場合は違うのだろうか。


 再び磯垣が蹴りを繰り出してくるが、今度は回避も防御もせず、足首を掴む。


「なッ!?アタシの蹴りを受け止めた!?」

「パンチだって止めたんだから蹴りもいけるだろ。―――さて。ここで一つ問題だ。なんで蹴りが俺の弱点になったと思う?」

「んな事どうでも良い!!それよりも離せッ!!」

「離したら蹴って来るだろ」

「そりゃそうだけどッ!―――み、見えちまうだろ!!」

「………は?」


 何を言っているのか、本気で理解できなかった。


 いや、見えちまうってのが何を指しているのかはちゃんとわかっている。

 今もなお俺の視界にガッツリ映っている、パンツの事だろう。

 それを恥じらう気持ちも、まぁわかる。


 ………ただ、なんで今になって?

 まさかさっきまでは見えていなかったとでも思っているのか?


「は?じゃねぇ!わ、わかってんだろ、お前!」

「わかってるし、だからわけわからないんだけど。―――えっと、お前の言ってるのはその、『水色』の事で良いよな?」

「色で呼んでんじゃねぇッ、ぶっ殺すぞ!!」

「……うん、今の流石に俺が悪いわ」


 そう言いつつ、足は離さない。確実に攻撃されるとわかっているのに、自由にしてやる理由は無い。

 流石に、パンツからは目を逸らしたが。


「けど、なんで急に気にし始めたんだよ。さっきまで全く気にせず蹴って来たじゃねぇか」

「蹴る時のほんの一瞬で見える訳ねぇだろ」

「………なるほど」


 つまりパンツを見られる事が恥ずかしい、という思いはありつつも、どうせ見えないんだからセーフって事で堂々としていたのか。


 なるほどなぁ、確かにわからなくも無い理論だ。

 実際、普通の奴ならパンツを見る余裕も無く逃げ惑うしかできないだろうし。


「えっと、悪いけどそれが答えなんだ」

「どういう意味だよ」

「今こうしてるのと同じくらい、蹴られてる時もガッツリ見えてた」

「―――。マジで?」

「マジで」


 頷きながら手を離す。

 攻撃するのも恥ずかしい事だと伝えておけば、すぐに襲われる事は無いだろう。と、判断したためだ。


その考えは正しく、彼女は解放された瞬間急いで俺から距離を取り、まるで親の仇でも見るみたいに睨みつけて来た。


「お、お前が蹴りの時だけ妙に集中してなかったのは、あ、アタシのパ、パパパ、パンツを、見てたから……って、事、かよ………!?」

「言い訳はしない」


 見た事は事実。脳裏に焼き付けた事も事実。

 素直に頷いた俺に、磯垣は声にならない悲鳴を上げ、しかしその場を動かなかった。


 てっきり照れ隠しついでに殴りかかってくる物と思っていたのに。


 頭を抱え蹲っていた彼女だったが、顔の赤さはそのままに、立ち上がってこちらを指さしてくる。


「あ、アタシなんかのパンツで良くもまぁ興奮できたモンだな御堂蓮司!見下げた変態ヤローだぜ!!アタシみたいな女のパンツ程度で、勝負から気を逸らすたぁ情けねぇヤツ―――」

「お前みたいな可愛い女のパンツなら見るだろ、誰だって」

「かッ!!?」


 硬直する磯垣。


 コイツは成人男性でさえ恐れる不良オブ不良。俺が余裕をもって対処しているせいでわかりにくいかもしれないが、割と理不尽なパワーと格闘センスを持った女だ。

 可愛いなんて褒めて来るような相手、それこそ親くらいしかいなかったのではなかろうか。

 コイツの親がどんなのかは知らないけど。


 ………なるほど、言われ慣れてないのか。だから屈辱的とかなんとか……あっ、やべっ。

 磯垣からすれば屈辱的なセリフを、またしても吐いてしまった。


「いや、悪い。お前がそう言われるのを嫌っているのをすっかり忘れて―――磯垣?」

「かわ、いい………―――ッ、もういい!今回もアタシの負けだ!蹴りはもう使えねぇし、パンチが当たらねぇのはもう十分わかってるからな」

「はぁ。それで、決着は着いたって事で良いのか?」

「ああ。これでもう、はっきりした」


 何が?と聞こうと思ったが、その前に磯垣が口を開いた。


「お前は、アタシよりも強い。大人相手だろうと、複数人相手だろうと、武器を持ち込まれようと、必ず一人で勝ってきたアタシよりも、ずっとな」

「そりゃどうも」

「………しかも、アタシよりもずっと強いお前は、アタシの事を、こんなアタシの事を……可愛い、なんて、言ってきやがる」

「事実だからな。言われたくないならこれ以上言わないけど」

「別に嫌じゃねぇ。つーか、なんか…………と、とにかくッ!お前はアタシを『女』として扱える唯一の男って事だ!この町でな!」

「唯一って事は無いと思うけど」


 ただ男女問わず恐れられているのも事実。

 彼女がそういう風に言ってくるのも、わからなくはない。


「だから、決まりだ。わかっちまった。―――御堂蓮司!」

「はい」

「お前は―――アタシが好きだ!!」

「………はい?」


 今からお前に告白するぞ、みたいな雰囲気で、良くわからない事を宣う磯垣。

 混乱して聞き返すしかできない俺に、彼女は「だから!」と語気を強めつつもう一度、


「お前はアタシが好きなんだ!」

「え、いや、俺?俺が、お前を?」


 アタシはお前が好きだ、をうっかり間違えて言っちゃったわけでは無いらしい。


 ………俺、いつの間に磯垣に片思いしてる事になったの?

 いや、可愛いとは思うけど。別に好きとかそういうのは特に今の所……


「だ、だって可愛いとか言ってくるし、アタシのパンツに集中するし、それに……アタシに、何度も喧嘩で勝ちやがるし」

「喧嘩で勝つのとお前を好きなのとどう関係するんだよ」

「とぼけんなよ。アタシが『アタシはアタシより強い男にしか靡かねぇ』って言ったの、知ってんだろ?」


 初耳だった。

 そんなバトルラブコメ物のチョロイン枠みたいなセリフをリアルで公言してたのか。


 ……あ、あっぶねぇ……!!勘違い野郎時代に小耳にはさんでたら、田淵先生の時と同じく、ハイテンションで後先考えずに攻略しちまう所だった……!!


「アタシに勝って、アタシより強いって事を証明して、挙句は可愛いとか言って女扱い………これで好きじゃねぇってのは無理があるだろ」

「い、いや、悪いんだけど知らなくって」

「そして、お前の気持ちを暴いておいて悪ィが、少し待って欲しい」

「はい?」

「アタシにも、その………心の準備とか、必要だからさ。大丈夫、ちゃんとお前に答え出すまでは、他のヤツに意識裂いたりしないし。何より、お前以外にアタシに勝てるヤツとかいねぇし」

「あの、話を聞いてもらえませんかね」

「とにかく!そういう事だから。今日はもう帰る」

「いや帰るな帰るな!ちゃんと話を!!」

「―――随分と愉快な話をしているなぁ、御堂」


 肩を掴もうとするも、背後から聞えた底冷えするような声に動きを止めてしまい、磯垣を逃がしてしまう。

 仕方が無いので、何故か感じる悪寒に体を震わせつつ、声の主へと顔を向ける。


 そこには腕を組んで笑っている―――しかし目は全くもって笑っていない、我らが担任、田淵先生が居た。


「ど、どうも、先生。放課後に校外で会うのは久しぶりだったり……?」

「そうだな。ここ最近は全く誘ってくれなくなったからなぁ、お前が」


 妙に棘がある言葉と態度。

 拗ねている子供のような印象を与えて来るソレに、俺は冷や汗が止まらない。


 理由はよくわからんが、何か良くない予感がするのだ。


「御堂」

「は、はい」

「この後、時間あるか?」

「こ、この後ですか。内容次第って感じですかね……」

「あるよな?」

「あ、あります。有り余っております」

「よろしい。―――話がしたい。着いてこい」


 踵を返し、早歩きで俺の前を行く。

 慌てて着いていくと、見慣れた車が一台。


「乗れ」

「あの、目的地を教えてもらえたりは………?」

「そうだな。お前と私と言えば………で、わかるだろう」


 俺と先生と言えば………あぁ、ラーメン屋か。


 放課後先生と一緒に行く場所と言えば、基本的にはラーメン屋だった。

 背伸びしてお高めの店に連れて行った事があるが、その都度「学生が大人ぶるな」と笑われて、なんだかんだでラーメン屋に移動させられたモノだ。

 いつも行く場所はこの時間だとさほど混んでいないし、話をする余裕もあるだろう。


 まだ緊張感は抜けないが………それはそれとして、何を頼もうかな。






♡―――♡






 ムーディーな音楽が微かに聞こえる、お洒落な店内。

 すぐ隣には巨大な窓があり、美しい夜景を楽しむことが出来る。


 先生は優雅にスパークリングワインを飲み、妖艶な笑みをこちらに向ける。


「飲んでみるか?」

「教師が未成年に酒勧めて良いワケないでしょ」

「ふっ、冗談だよ……それに、こんな時間に未成年をディナーに誘っている時点で、教師としてどころか大人として不味いさ。あぁ、このことはちゃんと内緒にしてくれよ?」

「わかっていますよ。それに、こんな素敵な女性とディナーしたと言いふらしたら、嫉妬に狂った誰かに刺されて死んでしまいそうだ」

「……まったく。お前と言うヤツは」


 若干無理しつつ余裕を演じ、先生に気づかれないように小さく溜息。



 ラーメン屋に行くかと思いきや、連れてこられたのはまさかの高級イタリアン。

 時間的にも場所的にも、大人のディナーデートそのものである。



 ―――いや、なんで?

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