旅に、出たかった

改案堂

叶わなかった野望の行く末

最近知り合った方々とのなんとなしのふれ合いで、ふと思い出してしまった。


昔、初めて自力で行ったタイ旅行。

きっかけは友人が卒業旅行でインド旅行へ行き、大層羨ましかった事。

先越された!と思った。

同年自分はバイクで日本一周してて、それはそれで良かったのだけれど。


ちなみにワタクシ、学生の頃英語超絶苦手でした。

せっかくの推薦試験で「私達はこの文章を英訳出来ない生徒を推薦することに反対です」とかストレートな英訳に歯が立たず、推薦なのに落ちた。

今なら速攻嫌み返しで幾つか例文思いつくけどな!かーっ!



友人が旅行に行った次の年も学生だった自分は、バックパッカー…と言うよりは自分計画の海外旅行へ。

ずいぶん頑張って単独でレンタカーまで借りて、カンボジアやラオスの国境を巡ったりした。

すっげー不安だったので、頑張ってタイ語も覚えた。

当時の自分は英語アヤシかったし。

スマホはおろか、ケータイも海外利用は珍しい時代。


不思議なもので、もう何十年も前なのにまだ憶えてる。

タウライカップ?(コレ幾ら?)とかスーパーテムタン(ハイオク満タン)とか、トゥクトゥクにメータペイオケ?(こりゃ英語か)とか。

こんなことをつらつら考えてたら、当時の思い出もみるみる湧いて出た。


埼玉の養鶏場でひと山当てて帰国して自分のガソリンスタンド経営してたオッサン、元気かな。

(補足:当時、日本へ違法就労で出稼ぎに来るのはタイ人かフィリピン人が多かった)

英語もタイ語もわかんなくて、結局漢字の筆談で場所借りて車中泊させて貰ったバアチャン…もう往生する年だよな。

プーケットの射撃場で44マグナム撃って腰抜かしそうになったのもこの時。



この辺からだろうか、自分から日本以外の国の人と触れ合うのに抵抗がなくなったのは。

みんな同じなんだ、って、

ずっと引きずってた、英語で歌う音楽が好きな癖に英語苦手だったコンプレックスも克服したいとも思った。


結構頑張ったのよ。

外資系の会社に転職して、くっそ苦手だった英語教えて貰って。

今でも憶えてる、「キミの文章は動詞がない」って目の前で嘲笑された。

中学英語が出来ない社会人でした。はい。

悔しくて毎日scientific americanの掲載論文訳したよ。


でも頑張った甲斐あって、プライベートでは音楽仲間繋がりで海外同志と仲良くしてもらえる縁があった。

日本国内でね。

特にドイツ、オランダ勢。

一旦コミュニティに迎え入れられると、後は難しい事なんて無かった。

すごく良くして貰った、今でもトモダチ。

彼らのお陰で、異国語を楽しむ気持ちの余裕も出来た。



そんなこんなもあって、ワタクシ野望があったのです。

海路と陸路でユーラシア大陸周遊という。

境からウラジオストクまでフェリー。

ウラジオストクからモスクワまでシベリア鉄道。

モスクワからキエフへ南下し、 ポーランドやチェコ辺りに鉄道で抜けてやがて地中海からアフリカか中東抜けるの難しい。

昔ははおおらかだったチベットやモンゴルも訪れてみたかった。

帰りはインド洋ルートで電車とバスを乗り継ぎ、台湾~沖縄経由で帰ってくるの。

いやいや、帰って良いんだろうか。


手前の事情にかまけて時期を逃し、もう何年経つのだろう。

もう気力的、体力的、社会的立場的に実現は難しい。

まー実現できない野望…いや夢ってのは誰しも抱えるだろうし、自分もコレひとつだけではないので後回しになるんですがね。



だから「思い立ったが吉日」というのも本当のことで。

衝動的に動くのは危険だけれど『あっコレきっと楽しい!』には、幾分かの真実が含まれているのです。


良くあるでしょ、タイムマシンで十年後の自分が訪れて『今でしょ。思いついた今が一番若い時だ』って。





あ、気がついてしまった。

オッサンがウザいのは、こういう自分の体験で他人に説教するからだ!

いや今更か。

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