第25話「まずは右子、お前からだ」
アルバイトの終わりは、あっさりとしたものだ。
その日を最後に、シフト表から自分達の名前が消えるだけ。
特に送別会のようなものもなく・・・夏休みだけの短期バイトにそこまでされても困るんだけど、結構長く働いた人が辞める時でもそういうのは無かったらしい。
その辺は臨時休業の許されないチェーン店の辛さで、常に誰かがお店で働いていないといけない都合上、皆でどこかに集まるという事が出来ないのだ。
それでも今日で辞める身としては感慨深いものがあるもので、最後くらいはしっかり働こうって気になる・・・いや、別にサボってたわけじゃないけど。
綾乃様も似たような事を思ったのか、朝から店内の清掃に余念がない。
ちょっとでも手が空こうものなら、どこかしらを綺麗にしている。
きっと接客をしながらでも次の掃除ポイントを探しているのだ・・・私もコーヒーマシンのコーヒー豆を入れる部分を外して洗浄してる、中の豆をいちいち移し替えないといけないので普段なら絶対やらないやつだ。
外が暑いせいか、お店もあまり混んでいない・・・対して店員は私と綾乃様とベテランの十河さんという万全過ぎる体勢だ。
売り上げ的には残念だけど、お掃除するにはちょうど良いかも知れない。
「二人とも、今日で最後なのにがんばるわね」
「最後なので、このお店を少しでも綺麗にしていきたいなって思って・・・」
「そうそう、なんて言うか・・・卒業前の大掃除みたいな感じです」
「ああ、なるほどね・・・いいなぁ、青春だねぇ・・・おばちゃんには遥か昔の事だよ」
そこまでの年齢でもないだろうに、大袈裟な。
十河さんは結婚を機に前の仕事を辞めたんだけど・・・その後、学生時代にここでバイトしていたのを思い出してまたここで働くことにしたらしい。
「だから、あなた達もいつでも戻って来てくれて良いからね?・・・きっと私も続けてるだろうし」
「ふふ・・・そうですね、覚えておきます」
「でもその前にお客さんとして来ることになりそうだけど・・・」
「うん、それも歓迎するわよ、いつでも食べに来て」
たぶん割とすぐ来ると思うよ・・・『どっきりビッキー』は左子のお気に入りだからね。
そうじゃなくても私も・・・たぶん綾乃様も、この店の事を好きになってると思う。
なぜだろう、前世のアルバイトの時はめんどくさい印象しかなかったけど・・・やっぱり綾乃様が一緒だったからかな。
このアルバイト漬けの夏休みもそんなに悪くなかったかも知れない。
「右子、左子、アルバイトお疲れ様でした」
「「お疲れさまでした」」
その後屋敷に戻った私達は3人で、ささやかなお疲れ様会をやった。
応接室のクラシックなテーブルには、その場に似合わぬハンバーグの山がそびえ立つ・・・例のハンバーグマウンテンを特別にテイクアウトさせて貰ったのだ。
「切り分けは・・・任せて」
左子のナイフ捌きによって、一口サイズに切り分けられたハンバーグを食べながら、紅茶をいただく。
今日の茶葉はダージリンのオレンジペコ。
ちなみにオレンジペコというのは茶葉の部位の事でね、私最初はオレンジの皮かなんかが入ってるんだと思ってたよ。
紅茶をいただきながらハンバーグをつつくという傍目には妙なお茶会だけれど、たまにはこういうのも良いんじゃないかな。
「でももう夏休み終わっちゃうんですね・・・ずっと夏休みだったら良いのに・・・」
「もう、右子ったら・・・夏休みならまだ3日あるわよ」
「3日しかないじゃないですか・・・はぁ・・・」
たしかに始業式までは後3日ある。
でもその内の明日はどっきりビッキーに私達の制服を返しに行く事になっていて、明後日は来客があると千場須さんから聞いている。
そして明々後日は・・・特に予定はない。
「そうだ明々後日、明々後日にどこか遊びに行きませんか?」
さすがに始業式の前日、特にイベントの類はなかったけれど・・・せっかくの夏休みだ、一日くらい遊びたい。
しかし綾乃様の表情は芳しくない・・・少なくとも『良いわね行きましょう』って顔じゃない、どちらかと言えばどう言って断ろうか迷ってる顔だ。
「ひょっとして・・・お嫌でした?それとも何か他の予定が・・・」
「いえ、私は構わないけれど・・・」
そう答えつつも綾乃様はどこか歯切れが悪い・・・それっぽい断りの理由が見付からなかったのかな。
うんうん、断るのも気を遣うよね・・・無理しなくていいからね。
ここは私が引くべきだ、これ以上綾乃様に気を遣わせる事は・・・
「・・・右子、宿題は終わっているの?」
「え」
綾乃様、今なんて・・・宿・・・題?
宿題なら、アルバイトに入る時間が短い最初の一週間にやっておきましょうね・・・って軽く手を付けて・・・テスト勉強でやったような内容だったから楽勝だなって・・・
・・・あれ、それで最後まで終わったんだっけ?
私の頭が・・・脳が現実の理解を拒む。
落ち着け、落ち着くんだ私・・・姫ヶ藤学園は自主性を重んじる学校だから宿題の量は少ない。
今からでもがんばれば充分間に合うはず。
「あ、綾乃様・・・私ちょっと急用を・・・」
「やっぱり忘れていたのね・・・なんとなくそんな気はしていたけれど・・・左子は?」
「私も・・・姉さんと同じくらい・・・」
ああ・・・左子もだいたい私と一緒に行動してるからね。
もしどこかで左子が宿題をやってたら私もそこで気付けたと思うんだけど・・・たぶんそれは左子も同じ事を思ってるんじゃないだろうか。
残念ながらお疲れ様会もここで中止だ、今から始めないと間に合うかどうかわからない。
「どこかに遊びに行ってる場合じゃなかったです、ごめんなさい」
「・・・ごめんなさい」
「左子、提出日ギリギリになっても終わらせるわよ」
「ん」
「もう・・・しょうがないわね」
手早く片付けて自室へと向かおうとする私達に、ため息をつきながら綾乃様が立ち上がった。
「私も手伝うから宿題を終わらせましょう」
それからはもう宿題との戦いだ。
綾乃様が手伝ってくれる分だけ作業量が減っているとはいえ、さすがに1日で終わる量ではなかった。
翌日もどっきりビッキーに制服を返すだけ返してすぐに宿題の続きだ。
こうして2日間、集中的に作業したおかげでなんとか宿題の量も残りあとわずかと言えるくらいに減って来ていた。
そして・・・
「綾乃様、今日はお客様がいらっしゃるんでしたね」
「ええ・・・そうね」
いつものように食堂で朝食を戴きながら、今日の予定を確認する。
誰が来るのかは知らないけれど、きっと二階堂家絡みのお客様だろう。
さすがに今日は宿題を手伝ってもらうわけにはいかない。
まともにメイドとしての教育を受けていない私達が粗相をしても悪いので、今日は部屋に閉じこもっていよう。
「では私達はおとなしく部屋で宿題をやっていますね」
「何を言っているの?」
「え、でも今日はお客様が・・・」
「あなた達のお客様よ?何も聞いていないの?」
「え・・・私達の?」
私達のお客様?
私達って言うと私と左子だよね?・・・自慢じゃないけど、私も左子も友達は少ないぞ。
わざわざこの屋敷まで来るなんて、せいぜい葵ちゃんくらいしか思い当たらないんだけど・・・そうなると綾乃様も含まれるだろうし・・・
「お客様がいらっしゃいました」
「あ、千場須さん、私達にお客様っていったいだ・・・」
いったい誰なんですか?・・・そう訊ねようとした私の言葉は、最後まで言う事が出来なかった。
なぜならば・・・
「ほう、メイド姿のお前達を見るのは初めてだな」
「流也さま?!」
その偉そうな感じの物言いは一人しかいない、キングこと斎京流也さまだ。
なんで彼がここに?!と思う間もなく、流也さまの後ろからぞろぞろと黒服の男達が続いて入ってきた。
SP付き?!・・・手勢を連れてこの屋敷を攻め落とそうとでもいうの?!
いくらお城みたいな屋敷だからってそんな・・・って黒服達が何か運び入れてる。
一つは大きな柱みたいな円柱状の物体だ、ボール紙で包まれていて中身はわからないけど、2m以上の長さがあるのは間違いないだろう。
もう一つは四角いコンテナだ、これも大きい・・・英語で何か書かれているけど、ええとCOOL・・・とりあえず冷凍の何かが入っているみたいだ。
これらの荷物を黒服達がそれぞれ3人がかりで慎重に運び入れていた。
「流也さま、これはいったい何のつもりですか?」
「ご挨拶だな、この俺が自らお前達を訪ねて来たというのに」
「え、じゃあ私達にお客様っていうのは・・・流也さま?」
「ふん、他に誰がいる?」
まぁ・・・確かに。
でも本当にいったい何の用で・・・こんな大きな荷物まで持ち込んで・・・ん?
あ・・・なんか嫌な予感がする。
「流也さま、つかぬ事をお聞きしますが・・・その荷物は・・・」
「よくぞ聞いてくれた、お前達に約束しただろう?ペルーで土産を買って来てやると」
やっぱり・・・
でもおかしいなー、私のリクエストはどこにいったのかなー
アルパカのキーホルダーとか、そういうのを頼んだと思ったんだけど。
ギネス級の超特大キーホルダーでも売ってたのかなー・・・いや、さすがにそれはないだろうけど。
「わーうれしいなーなかみはなんなのかなーきになるなー」
「ふふふ、そうだろうそうだろう」
全く心の籠っていない私の言葉に、キングは得意げに頷いている。
こんな大荷物、広い二階堂家のお屋敷だからまだ良かったけど、一般家庭、それこそ葵ちゃんの家とかに持ち込まれたら迷惑極まりないぞ。
「ああそれで、中身は何なんですか?勿体ぶってないで教えてくださいよ」
「ふ、良いだろう・・・まずは右子、お前からだ」
なんか悪役みたいな台詞を放ちながら、流也さまはぱちんと指を鳴らした。
すると後ろに控えていた黒服達が統制のとれた動きで円柱の包みを解いていき・・・丸まっていたそれを大きく広げていく。
「こ、これは・・・」
床一面に広がったそれは、極彩色で独特の模様が描かれた絨毯だった。
すごく大きい・・・とても私達の部屋に敷く事が出来る大きさじゃない。
「現地の職人が手作業で織りあげた、この世に二つとない品だ・・・もちろんお前の要望通り全てアルパカの毛で織られているぞ?」
ウール100%ならぬアルパカ100%ですか・・・
まぁ、確かにあのモコモコの毛は織物になったりするんだろうけど・・・そっか、この手触りがアルパカなのか。
ある意味実物に触れる事が出来るのはちょっと嬉しいかも・・・いや、ちょっとだけだからね?
「そしてこれは左子の分だ、開けてやれ」
これまた黒服達が一斉に動き、コンテナの蓋を固定している金具に手を掛ける。
中に入っていたのは、いくつかの肉の塊・・・この流れだとまさかこの肉って・・・
「アルパカの肉だ、1頭分を解体して部位ごとに分けてある」
またもやアルパカ100%、ってかアルパカって食べて良いの?保護とかされてないの?
大丈夫だから今ここにあるんだろうけど・・・1頭分という言葉に偽りはないだろう、かなりの量だ。
「臭みがなく、味は牛肉に近い・・・向こうでも何度か口にしたが美味かったぞ」
あ、ペルーじゃ普通に食べるんだ・・・アルパカ肉・・・
お金に物を言わせて違法な肉を入手したわけではなかったようでちょっと安心した。
そうか、美味しいのか・・・アルパカ・・・
「・・・ありがとう・・・流也さま」
おや左子が素直にお礼を・・・いや、こんなに高そうな物を貰ったんだから当然か。
このアルパカの絨毯も、応接室あたりに置かせてもらえば悪くないかも知れない。
「あ、ありがとうございます」
「その様子だと満足して貰えたようだな」
いや、もっと些細なやつでも満足したと思う・・・流也さま本人がそれで良いなら有り難く受け取っておくけど。
なんか私達よりも満足そうな顔で流也さまは頷くと、アルパカ肉を厨房の方へ運ぶように黒服達に指示を出した。
「これで俺の用件は済んだな、では失礼しよう・・・」
「あら、もうお帰りになるのですか?せっかくいらしたのですから、お茶の一つも飲んで行かれてはいかがでしょう?」
お、帰ろうとした流也さまを綾乃様が引き留めた。
うん、これは好感度を稼ぐチャンスかも。
「そうですね、お土産のお礼に礼司さまに教わった紅茶の腕を披露しますよ、是非飲んで行ってください」
「そう言えばお前達は礼司のやつと仲良くしているんだったな、良いだろう付き合ってやる」
食いついた、やっぱり親友の礼司さまの名前を出すのは有効みたいだ。
綾乃様と流也さまにはこのまま食堂で待ってもらって、私と左子の二人で紅茶を淹れてくると二人はにこやかに談笑をしていた。
やっぱりお金持ち同士、こうして二人でいる所は優雅で様になるなぁ。
「お待たせしました、どうぞ」
「うむ、頂こう」
「ああ、二人も席について・・・ちょうどこの間の話をしていたところよ」
どうやら綾乃様はどっきりビッキーでもアルバイトの話をしていたようで・・・私達も自然と会話に参加出来た。
流也さまも興味があったらしく、真面目な顔で聞いてくれている。
「飲食チェーンなど利益が少ないからと、うちは参入していないが・・・お前たちの話を聞いていると案外悪くない気がしてくるな」
「よろしければ流也さまも一度食べに行かれてはどうでしょう?」
「三船師匠の焼いたハンバーグ・・・食べてほしい」
「そうだな、考えておこう」
この様子だと本当に食べに行きそうだ、ハンバーグマウンテンに挑む流也さまとかちょっと見てみたい。
それから先は流也さまにペルーでの話を聞いたりして過ごしていたら、いつの間にか結構な時間が経っていたようで・・・
「流也様、そろそろお時間が・・・」
「ああ、すまない・・・紅茶一杯だけのつもりだったが、随分と邪魔してしまったな」
「いえ、こちらも楽しい時間が過ごせました・・・流也さまさえよろしければ、また遊びにいらしてください」
「そうだな、いずれまた時間の空いた時にでも伺おう」
そう言うと彼は黒服達を連れて帰って行った。
後に残されたアルパカ絨毯・・・これをどこに置くかだけど・・・
「せっかく頂いたのだから右子達の部屋に敷いたらどうかしら?」
「え、でも私達の部屋にはちょっと大き過ぎるような・・・」
「あの部屋の寸法でしたら、一度家具をどければ問題ないかと思われます」
「千場須、やってもらえる?」
「かしこまりました、少々お待ちください」
それから小一時間ほどで、千場須さんがやってくれました。
家具の配置も元のままで、床だけがアルパカ絨毯に・・・本当にあの人、なんでも出来るんだね。
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