第43話 髪切り事変(三)
直人のブレザーを被ったまま、紅はご機嫌な声で言った。
「えへへ、お姫様抱っこって、僕初めてだよ!」
「…………」
「でもね、直くん。僕歩けるよ?」
「俺が運んだ方が速い」
せめて、こうしている間は、抱き締めてやれるから。
直人は、紅を抱き抱えたまま器用にスマホを操作した。
「昇降口まで車一台よこせ。至急だ」
「自転車どーするの?」
「自転車は逃げねえよ」
いつも通りのズレ具合に、直人は溜め息を吐きたいような、少し安心したような、微妙な気持ちになった。
「僕、知らなかったよ。直くんって、偉そうにすることもあるんだね」
急に話題が飛んで、直人は少し返事が遅れた。
「……悪かった」
「何のこと?」
「嫡子だの庶子だの、そんなのは自分じゃ選べない。べにを、貶めるつもりはなかったけど、…すまない」
直人のブレザーを被った紅が、不揃いの髪の隙間から、不思議そうに見上げた。
「柳子ちゃんは?」
「出自はともかく、あいつは少しは凹んでおとなしくなればいい」
「柳子ちゃんって、ずーっとあんな感じだったんでしょ?今日はどうして、凹ましちゃったの?」
「キレた」
直人は、短く答えた。
理由なんて、それだけだ。
「どーしてキレちゃったの?」
「……俺が、べにを守れなかった」
うずくまる紅の髪を切り刻む柳子が、許せなかった。
それ以上に、紅を守り切れなかった自分自身が、一番許せなくて、やるせなさと怒りに理性を見失った。
柳子の悪意が紅に向けられている事も、いずれ何らかの攻撃を仕掛けてくることも分かっていた。
だが、柳子など世界は自分を中心に回っていると思い込んでいる無知な幼児と同じで、何かしてきたところですぐに止められると、侮っていた。
自惚れていた。自分の強さに。
「それで、直くんは自分を責めて、わざと鋏を握って手を傷付けたの?自分に罰を与えたの?直くんなら、柳子ちゃんの手を防ぐか鋏を吹っ飛ばすかして、簡単に止められたのに」
「…………」
いちいち、暴くなよ。
直人は、心の中で独りごちた。
思えば、出会ってからふた月も経っていないのに、紅は驚くほど真っ直ぐに直人の心に触れてくる。
「俺の手くらい切らせて流血事件にしておけば、柳子はびびって次は無い」
「くらい、じゃないよ。僕の髪より、直くんの手の方が大事だよ」
「出血が派手なだけで、傷付いたらまずいところはちゃんと外してる。心配いらない」
「あの状況で、そこまで一瞬で読んで狙って、その通りに出来ちゃう高校一年生かぁ。ホント、直くんって…、何者なんだろ」
語尾は呟きだった。紅は、質問はしていない。
だから、直人は答えなかった。
何者なのか、だなんて、お互い様で。
「心配いらない、って言われても、心配するよ?直くんが強いのは知ってるけど、それとは別なんだよ」
紅は、直人が問題児だから心配しているのではない。
ただ、直人が直人だからという理由で、いつも直人の無事を祈るように願っている。
直人が、同じ理由で紅をいつも想っているように。
昇降口を出るともう車がやって来る所で、直人は紅を先に後部座席に乗せ、その隣に座った。
「オリエンスホテル裏口」
「畏まりました」
直人の素っ気ない口調に、運転手は無機的な礼儀正しさで答え、車は静かに走り出した。
「何でホテル?」
「行けば判る」
「サプライズなんだね!」
顔は前を向いたまま、チラリと横に視線をやれば、紅は嬉しそうに笑っている。
どうして、そんなにも笑顔でいられるのだろう?
この笑顔が、嘘でなければいいのにと、願う事しか出来ない。
「ねえ、直くん。柳子ちゃんはね、可哀想な子なんだよ」
急に、何を言い出すかと思えば。
「あいつは他人を可哀想にする天才だぞ」
「んー、ちっちゃい頃に癇癪を起こしやすい子だったとか、個性として気性が激しいとか、そういうのはあったと思うんだよ。でも、我が侭で意地悪に育っちゃったのは、高天原家に生まれたからだよ。家柄とか、一番寵愛されてる奥さんの娘だとか、《数持ち》とか、お人形さんみたいな美少女とか、悪い条件が重なりすぎたんだよ。
高天原家の権力、財力、影響力、容姿、それらは柳子にとって恵みではなく、呪いだと紅は言う。
「我が侭言って暴れれば思い通りになるって、周りの大人がそれしか教えてあげなかったんだよ。お母さんの沙也香さんは、《五番目》だけど長男のいおくんを一番大事にして、跡継ぎ教育とか受けさせたと思うけど、柳子ちゃんは女の子だから出ていく子でしょ。お嫁入りした先でも『高天原家から天降ったお姫様』なんだし、見かけが可愛いだけで十分って思われてたんだよ」
「…………」
「だぁれも、本当はそんなんじゃ嫌われるよって、教えてあげなかったんだよ」
考えたこともなかったと、直人は思った。考えるほどの興味もなくて。
「…べには、優しいんだな」
「そうでもないよ。僕は、いおくんにも睦ちゃんにも、そこそこ愛想悪いもん」
確かに、伊織を目の前にして、全く頬が染まらないとか、少しももじもじしないとか、憧れの眼差しを向けないとか、一目惚れもしなかった、という女生徒は少数派だろう。
実母妹の柳子でさえ、伊織には言いたい放題のようでいて、ツンデレの雰囲気がある。
信頼の厚い優等生であり、みんなのお母さんかお姉さんみたいな睦に突っかかるのも、柳子くらいだと思っていたのに。
紅は、睦が直人を侮辱していると言って怒り、今後は許さないと言った。
直人は、ホテルに電話をかけて指示を出した。
「高天原の漆だ。もうすぐ着く。人目に付かないようにのヴィオの所に案内しろ。依頼はコードFとコードHで最優先だ」
直人が通話を切ると、隣で紅がキラキラのワクワクになっていた。
「直くんカッコイイね!マフィアみたいだよ」
「…そりゃどうも」
マフィアと高天原と、どっちが質が悪いのか。
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