第8話 高天原の玖(一)

 一体この状況は何なんだ…と思いながら、直人は天井を見上げていた。


 朝だ。時計は見なくても体感でわかる、九時近い。元から今日は休息日にしようと思っていたから構わないが、高校生としては遅刻決定の寝坊だ。


 まず、どうして、自分は抱き枕にされているのだろうか?寝る時にはひとりだったはずなのだが。

 肩の辺りで、すぅすぅと無防備な寝息が聞こえて、無防備なのか危険なのかよくわからない感じに浴衣が盛大にはだけて白いなよやかな手足が直人の体に絡み付いている。


「おい。起きろ」

「…ん…。ねむいぃ…」

「じゃー寝てろ」


 結構ガッチリとホールドされていたのだが、直人はするりと抜け出した。縄抜けでも出来るのだから、コアラのように抱き付かれたくらいではどうということもない。


 どうということもあるのは、直人が自称高天原の玖高天原紅という異母妹と同じ布団て目を覚ましたということだ。

 昨夜、紅の同居と護衛に同意して、時間も遅いし詳しい話は後日、と言って別室に送っていったのに、何故紅が此処にいるのか?


 答えは簡単だ。紅は、直人の寝室に戻ってきて、直人に気取られずに侵入してのけたのだ。


 本来、直人は眠っている間に寝室に他人の侵入を許すはずがない。そんな間抜けだったら、101代目頭領どころか候補にすら名は上らない。


「マジかよ…。師匠が草葉の陰で泣くじゃんか」


 直人ほどの《性能》なら、微かであっても、聞き慣れない足音が廊下にした時点で目が覚める。 音がしなくても、異質な気配がしただけでも察知できる。

 最悪、病気、極度の疲労等の理由で目覚めなかったとしても、反射と本能で意識が無くてもこの肉体はオートで動き、暗殺者を屠る。


 なのに、現実は、紅は色香が過ぎる以外は、無害な甘えん坊な感じに直人を抱き枕にすることに成功しているのだ。

 ――――昨夜、脱衣所にいる紅の気配に、直人が全く気付かなかった時のように。


 直人の研ぎ澄まされた本能は、


 この少女は、一体何者だ?

 紅は、玄冬の寝首を掻くという、有り得ないはずのことを為し得たかもしれないのだ。


「うにゃぁ~…なおくんが、いないぃ~…」


 寝惚けながら、直人の体温が残る辺りの布団を、紅の手がもぞもぞと彷徨っている。子供か。

 どうやらこれは、「お前は誰だ」などと問い糾しても無駄そうだ。

 

 謎の答えは、必ずある。

 だが、紅本人が自覚しているのかわからないし、自覚しているのなら尚更、そのカードを簡単に開かすことはしないだろう。


「……あれ?なおくん…どーしておきてるの…?ぼく、コアラのきもちでだっこしてたのにぃ…」

「お前こそ、自分の部屋があてがわれて布団もあるのに、どうして俺の寝込みを襲うんだよ」


 紅が、色々はだけまくって脱力したポーズで、うっすらと開けた美しい目で、にこぉ、とあどけなく笑った。


「おはよう~なおくん」

「…………」


 確かに、平凡な男子高校生なら、ゲイ以外全員陥落しそうなシチュエーションだ。

 直人は、初めて自分がマイナスな方向に非凡であることに感謝した。お陰で「得体は知れないが間抜けな感じに可愛い美少女」くらいに見える。

 

「おそってないよー?ひとりでねるの、こわかったから。あまえっこしにきただけだよー?」

「お前、その年で独りで寝たことないのかよ」

「んっとねぇ…お母さんとふたりだったの。六畳一間のアパートとか。何ヶ月かごとに引っ越すから、荷物も少なくって、広い家に住んだことないんだよ~」


 直人は黙った。詫びようとして、言えなかった。

 紅は、母親とふたりで逃避行をしていたのだ。


は生きて、大好きなお母さんのもう一つの遺言を――――)


 その、大好きな母親を、紅はその手で殺した。遺言だからと。


 事情もよく知らないのに、同情などすべきではない。

 知ったとしても、直人は紅から一歩距離を置いて、冷静でいなければならない。


 直人は、殺人武闘団の頭領だ。一般人と親しくなるべきではないし、友達を作って欲しいという継人の望みを叶えるなら、それは表面的なものに留めなければならない。


 でも、紅の境遇は直人のそれと重なる。最後まで言えなかった言葉を、思い出してしまう。


――――師匠、俺は、あんたが父親ならいいのにって思うくらい…


本当は、誰よりも死なせたくないくらい、好きだったんだ――――



「…直くん、悲しいお顔?」

 ちゃんと目が覚めたらしい紅が起き上がり、布団の脇に座っていた直人の顔を覗き込んだ。

――――やはり、勘がいい。そして、息が止まりそうな美貌が近すぎる。


「別に…。それよりお前、ちょっとは出し惜しみしろ」

「ん?」


 紅は、小首を傾げた。

「僕、直くんは信頼してるから、胸でも太ももでもぱんつでも、見えちゃってオッケーだよ?減るもんじゃないし」


 笑顔で安心安全な男の太鼓判を押された。微妙に嬉しくないのはどうしてなのか、直人は深く考えずにスルーした。


「最低限の身だしなみくら整えろ。この家は、そういうの五月蠅いからな」 

「だぁいじょーぶ!直人くん以外の男には見せないから」

「そうじゃない」

「制服もね、東千華学園って色々アレンジOKなんでしょ?だから、僕も深窓のお嬢様みたいな雰囲気にしてもらったんだ。間違っても、ぱんつ見えそうなミニスカじゃないから安心してね」


 天女の美貌であっけらかんと笑顔で言ってのけるボクっ娘。

 情報量が多すぎる。


を守って)


 あの必死な瞳の少女は、《僕》ではなかった。

 深く立ち入るまいと、直人は思った。紅が、自ら打ち明けようとしないのなら。

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