第3話 高天原の漆――直人(二)
今更本邸に住めば、ほかの高天原家一族と顔を合わせることになるのが面倒だ。
以前のように離れに住んでいればその可能性は激減するし、直人の側からは何も仕掛けないので静かに放って置いて欲しい。
「これだもんな…。信用出来ないなら入れなきゃいいのに」
本邸から移されてきた直人の真新しい机、高級箪笥、調度などを調べてみると、盗聴器が仕掛けてあった。因みに、本邸の部屋には小型の隠しカメラがあったことにもすぐに気付いた。
玄冬一族の殺人術は体術が基本だが、その知識や技能は銃火器からハイテク機器に及ぶ。今の時代、そのくらいでなければ殺しの依頼など受けられない。
この離れには余計な手を加えられていないことは、戻った時に確認済だ。
障子も襖も日焼けしていて、七年の間に誰かが使っていた形跡も無かった。
「……気楽でいい」
直人は、埃っぽい畳の上に寝っ転がった。
この離れ自体は、別に嫌いではない。幼い頃は、自分が放置されていることにさえ気付いていなかったし、侍女達が面倒そうに接するのも、食事が冷め切った残り物であるらしいのも、特に不思議に思ったことはなかった。
寂しい、という感情も知らなかった。父親、母親という概念も知らなかった。
代わりに、侍女達が口にしていたのは『当主様』『
ほかには『
聞いているうちに、『当主様』には八人の『子供』がいるということや、自分のそのひとりであるらしいことを、断片的な情報を繋ぎ合わせて、次第に覚えていくことになった。
高天原の
高天原の
高天原の
高天原の
高天原の伍・伊織。沙也香様の長男。小学生でもイケメン。
高天原の
高天原の漆・直人――自分。御台様の次男。でも『不義の子』で当主様の血を引いていないかも知れない。
高天原の
七年ぶりに戻って来たら、ひとり増えていて《数持ち》はその子供が最後だという。
高天原の
高天原家の掟や系図の詳細は、師・功の元にいた時に学んだ。
高天原家の当主は、戸籍上の妻である正妻の他に、三人以内の側室を持つことが出来る。
かつては制限がなかったが、跡目争いで血で血を洗う惨劇になった過去が有り、側室の数は制限された。
その四人以内の妻の子は《数持ち》と呼ばれ、出生順に十名以内とされている。十一人目以降が誕生しても、その子供は《数無し》だ。
四人の妻以外の女が当主の子供を産んでも、やはり《数無し》で当主の戸籍に入れられることはなく、跡取りになる権利も無い。
例えば、外部の女は妾であり子は庶子だ。
内部でお手つきになった侍女は
《数持ち》だけが正式な子供であり、男子だけが跡取りになる権利を有する。
歴史的には、正妻の長男が継ぐことが一番多く、それが一番揉めない。
(母上、あの子はだれなのですか?)
(……気にしなくていいわ)
(でも、あの子はまだ小さいのに、お世話をされていないようです。とても痩せているし、髪もボサボサに伸びていて、着物も…)
(継人)
一瞬だけ、着物姿の美しい女は、冷たい目で直人を見下ろした。
(あの子供の面倒を見るのは、侍女の役目です。貴方は近寄ってはいけませんよ)
「直人様。こちらにいらっしゃいますでしょうか」
「何か用?」
「御台様の御命令で、直人様のお世話を仰せつかりました」
「入れ」
静かに襖を開けて、和装の女が入って来た。侍女の装いだ。
淑子が若い見かけなので、同世代のように見えるという事は淑子よりもいくらか年下なのだろう。
所作には品があり、代々高天原家に使えている家系の者か、高天原の分家筋か、どちらにしろ侍女の中では地位の高い方なのではないか。
「お初にお目にかかります。分家の高天原
直人が見て取った通り、座して畳の上に手をついて、侍女はそう名乗った。
どうでもよい息子の世話『だけ』なら、もっと身分が低く弱い立場の若手をよこしてもいいだろうに。
「顔を上げろ」
寝っ転がっていた直人は起き上がり、言った。
「始めにハッキリさせておこうか。――お前の主人は誰だ?」
「………!」
鮎子は、僅かな動揺に顔を強張らせた。
「……直人様にございます」
「雪を黒いと言いたいなら、5秒も空けてないで即答しろよ」
「…………」
侍女は、青ざめて黙りこんだ。
此処で詫びれば、自分の嘘を認めることになる。淑子に命令されてきた侍女の主は、淑子のままなのだと。
侮っていた。
七年前、虚ろな目をしてこの離れから出て行った無力な子供と同じだとは思わないように、侮らないようにと淑子から言われていたのに。
値踏みをする細められた黒い目に、侍女は思い知らされた。この少年には、嘘も通用しなければ言い訳も効きはしない。
無言の侍女を見て、直人は親指を立て、自分の首の辺りをスッと横に引いた。
「クビな」
「…………」
「安心しろよ。今のところ物理的な意味じゃないし、今後の返答によっては撤回してやってもいい」
「…………」
侍女は、自分の体中に汗がじわりと滲んでいるのを感じた。
直人に口に出して言われたことで、本当に自分はこの少年に殺されるのかも知れない、その可能性に気付いてしまった。
「もう一度聞く。お前の主人は誰だ?」
「直人様にございます」
ひと言でもしくじれば、殺される。
「お前にとって、高天原淑子は何だ?」
「当主様の正妻で、直人様の御母堂様でいらっしゃいます」
ころされる。
「その御母堂様の命令は何だ?見張りか?スパイか?」
「…………」
殺される。殺される。ころされる。
「沈黙は肯定と見なす。高天原淑子の命令の一切を、今後捨てられるか?」
「捨てます」
捨てなければ、殺される。ころされる。ころされる。
「俺だけに従い、俺の情報は一切他言するな」
「承りました」
殺され――――
「OK」
軽い口調で直人が言って、高天原鮎子は、張り詰めていた糸がふっと緩んだ。
滲んでいた汗が、どっと噴き出す心地がした。
今まで、これほどの威圧感を感じたことは無かった。――いまひとり、高天原家当主・高天原識以外では。
「お前、いつもは掃除や洗濯はしない地位の侍女だろ?身分が低くてしがらみの無い、下級侍女をひとりやふたり、連れてきて構わない。条件は、当然に俺のみに絶対服従であること。お前も含めて給料は倍。裏切ればクビだ。力仕事に駆り出せる下男も、常駐させる必要は無いが確保しておけ。出来るか?」
「はい。見繕って参ります」
「あと、取り敢えずコイツを御台様に届けてこい」
直人が、フェイスタオルで無造作に包んだものを差し出した。鮎子が受け取ると、はらりと布が崩れて中身が見えた。
「俺には通用しないと言っておけ」
色を失った侍女は、丁寧な所作で、しかし逃げるようにその場から去った。
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