第29話 瞳孔が縦になってます
蓮の職場の女性職員の間では、蓮はアイドル的人気を誇っていた。しかし、結婚していることを皆知っているので愚かなアプローチをする者は少なかった。
しかし、わざとぶつかったりする者や、明らかに好意を向ける態度を取る者はいるにはいた。結婚する前はクールでかっこいいというイメージだったのが、結婚してからは、それに加えて色気を帯びるようになり、それに当てられる女性が増えた。
事務職員の一ノ瀬結愛もその1人だった。一ノ瀬は短大を卒業してから事務職として働きはじめて2年目であったが、蓮を見た時一目惚れであった。
一ノ瀬は丸く愛らしい二重と、少し中心に寄った顔、そして高くないが日本人の可愛らしい鼻と、口角が内側に少し巻き込んだアヒル口のような口元が特徴のモテる女だった。ゆるくカールしたふんわりとした髪型も女性らしさを強く感じさせるもので、その明るい性格も相まって人気があった。しかし若さゆえに既婚の蓮に夢中になっており、周りから見ても少し危ういように思われた。
「か、課長!なにをなされているのですか!?」とある日の朝、係長が廊下でしゃがみこんで、何やら作業をしている蓮に焦って声をかけた。
「右側通行の矢印を…」と、顔を上げる蓮だった。
「何でそんなものを課長ご自身が!?」
と焦って係長が聞くと
「ぶつかる人が多いから…」と答える蓮。
なんとも気の毒に思う係長。
「ああ…なるほど、大変ですね…あとは自分がやりますからどうかお戻りください」
そういう係長
「ああ、もう終わったから大丈夫、ありがとう」
そう言って歩く大きな背中には疲弊が滲んでいる。
「課長の奥さんてぇ〜どんな人なんですかぁ?」と言う一ノ瀬。
「一ノ瀬さん、仕事終わったの?余裕あるなら仕事量見直すけれど?」
という蓮に、
「まだでぇす!頑張りまーす!」
という一ノ瀬。懲りない奴だと呆れる同僚たち。
奥さんは四交代制で交番勤務らしいが、奥さんと会える日は明らかに急いで帰っていることから一ノ瀬は嫉妬せざるを得なかった。
「愛妻家だね〜」
「すごい美人らしいよ」
という声が聞こえるのも嫌だった。
そこで一ノ瀬は、奥さんが働いているという交番を見に行った。
「スタイルは確かに良いし、顔も整ってたけど、なんか地味」
一ノ瀬はそう思った。
黎明は職務中は最低限のメイクしかしていなかった。自分の身分を考えてのこともあったが、メイクをしていると付けっぱなしになるし、拭いたりするのも面倒なのもあった。
「私の方がかわいいわ」
一ノ瀬はそう確信した。
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「ただいま」
蓮は家に帰ると黎明をハグする。
しかしなぜかこちらを見る妻の瞳孔が縦だ。
「どうしたの?瞳孔縦になってるよ?」
「あれ?そう?」という黎明。
最近時々よそよそしく、少し素っ気ない気がする。
ご飯を食べている時もなんだか会話が弾まない。
ソファで一緒にくつろいでいる時に、キスをしようとしたら、避けられた。
ショックだった。嘘だろ。嫌われた?
「もしかして、なんか怒ってる?」
と、蓮が聞く。
「怒ってないよ」
「じゃあ一緒にお風呂入る?」
「いいよ」
「良いの?」
そういうと自分が聞いたんじゃんという顔をされる。
正直ちょっとムカムカしている黎明。でも、このお耳が垂れたドーベルマンをどうして放っておけよう。
お風呂に入るとなんだか少し黎明の空気が柔らかくなったように感じる。
後ろからハグをしながら湯船に浸かる。
「どうして怒ってるの?」
蓮が聞く。
「怒ってないって」と黎明
「じゃあなんで少し素っ気ないの?」
そう聞くと、黎明がくるんと振り返って、向かい合わせになる。首に手を回し、またがる形で向かい合わせになるその格好はなかなか大胆でそそるものがあるが、なぜか被食者の気分だった。
「最近おんなじ女の人の匂いがするのはなぜ?」
黎明の瞳孔が完全に縦になっている。
「ああ、それか…そこまでわかるのか」
「どういうこと?」
蓮は糸切り歯が光ったのを見た気がした。
「最近、わざとぶつかってきたり、やたらと無駄に話しかけたり寄ってきたりする迷惑な子がいるんだよ」
「へえ、そうなの」
完全に捕食者の顔になっている黎明。
「結婚してるの知ってるのよね?」
「もちろん、みんな知ってる」
「ふーん、どんな子?」
「まだ若い子で分別がつかないみたいだ」
「若い子なのはわかるわ、美人?」
ああ、嫉妬してるのか。
「女の子らしい感じだよ、黎明の方がずっと綺麗だよ」
そういうと、黎明が口付けてくる。瞳孔は丸いが捕食者の顔だ。
じっと見つめたかと思うと耳から首筋から鎖骨のあたりへとキスを落とされる。
(わお、一ノ瀬サンキュー)と蓮は心の中で言った。
「嫉妬してるの?かわいい」と髪を撫でると
カプッ
「あっ痛っ」
肩のあたりを噛まれた。
「噛まれた…」
と言うと、黎明が満足げに笑う。してやったりという顔だった。
そのあとは激しくて、お風呂のお湯が半分くらい無くなった。
一ノ瀬はいい仕事をしてくれた。
「明日よかったら横浜で一緒に食事しない?」
と蓮が言う。
「いいね、あんまり行かないから嬉しい」
「職場に迎えにきてくれる?」
「とびきりお洒落して行ってもいい?」
「ああ頼むよ」
2人は悪戯を計画する子どものような顔をした。
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次の日黎明は、黒のワンピースを着てガウン風のコートを羽織り、暗めのグロスを付けて、モデル風にお洒落をした。黒を着ると黎明はとても華やかに見える。黒系統のワンピースはいつの間にかバリエーションを変えて増えていた。髪も無造作にかきあげたようにセットした。一応カラーコンタクトは付けた。カラーコンタクトをしていれば蓮の職場に入れるラインのコーディネートだ。
蓮の職場の近くは海で、すごく気持ちよかった。
蓮の仕事がもう少しで終わりそうだという頃に、職場に行って窓口で蓮を呼ぶ。
「奥様がお待ちです」と蓮に伝えられる。
「応接室で待たせてもらえる?」と指示する蓮。
応接室に通される黎明。すれ違う職員が皆振り返る。
お茶を出すように頼まれるのはもちろん一ノ瀬だ。
蓮はあからさますぎて黎明が良くない目で見られるかもしれないと少し心配したが、部署内の職員たちは意図がわかっていたので進んで一ノ瀬にお茶を出すように勧めた。
「課長今日はデートですか?」
助太刀する係長。
「ああ、妻はまだ配属される前の警察官だからつい職場を見てみたらって呼んでしまったけど気を遣わせてしまって申し訳なかった」
「いえいえ大歓迎ですよ」
と言う係長。
年配の警部もやれやれ美男子は苦労が多いなと思いやりつつ
「あんまり奥さんを待たせても悪い、今日は早く切り上げて楽しんできてください」と、言う。
「ありがとうございます」と、嬉しそうに言う蓮。
一ノ瀬はお茶を出しに行って固まった。オーラからして全く違う。こんな美人だったかと思う。そもそも日本人だろうか。雰囲気が変わっている。
「お気遣いいただきありがとうございます」と美しい仕草で言う女性。なんだか眼が独特の感じがするのはなぜだろう。そして、虎を前にした子うさぎのような気持ちになるのはなぜだろう。
「夫がいつもお世話になっております」と微笑む彼女には余裕がある。
「いえいえ!こちらこそ!」とたじたじの一ノ瀬。
そのあとなんとか会話を続けようとする一ノ瀬。
何を言っても優雅に返される。
そこに蓮が入って来る。
「黎明お待たせ!」とキラースマイル。
そしてキラキラスマイルを返す黎明。
笑ったのを一度も見たことがない一ノ瀬は目が点になる。
「一ノ瀬さんありがとうね」と、一ノ瀬にはいつもの塩対応。
職場に少し挨拶をして帰る二人。蓮の腕は黎明の腰に回されている。誰がどう見ても仲睦まじい夫婦だった。
二人は人気がなくなると、クスクス二人で笑った。
「ちょっとやりすぎじゃない?」
「いや、まだ足りないくらいだったと思う。でもみんな察して協力してくれたから効果はかなり上がったかも」
「暁を真似してみたけどどうだったかな」
「いつも綺麗だけどいつもに増してキラキラオーラ出てたよ」
と、蓮が笑った。
「暁みたいに貴族感はなかったかもしれないけれど」
「王者って感じだったよ」
「何それ、意図したのと違う」と、少し拗ねる。
「ふふっ何にしろ今日は特別綺麗だ」
「ありがとう」
蓮が庁舎から出ると頭の上にちゅっとする。
誰かが見ていたかもしれない。見ていれば良いだろう。
黎明は見られていることに気付いていたがされるがままにしていた。
海風を感じながらの横浜デートはとても素敵だった。ランドマークの観覧車もとても綺麗だった。
後日から一ノ瀬は流石に静かになった。
モデルみたいに綺麗な奥さんを溺愛しているという噂はすぐに広まった。
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