よいよい君は夜に雪

ホノスズメ

夜がきて

 日が暮れ、恋人に親子が笑顔で街へ家へ足を運ぶなか、気だるげな少年は白い吐息を平ったい夜空にのぼらせた。

 それは狼煙のようにか細く、今にも消えてしまいそうで、冬のわびしさを思わせる。


「暗中模索ってんはこのことか」


 ぐるぐると考えを巡らせ、知恵熱を冷やそうと刺激的な街へ繰り出したはいいものの、得られるのは老若男女を問わない笑顔の群れ。

 これはこれでいいが、あいにく少年の求めるものではなく、ではなんだと問われても答えに窮してしまう類のものだとしか言えない。

 少し肌寒くなり、口元までマフラーに顔をうずめる。

 人気のないところへ歩を進めていくと、街路沿いに休むのにちょうどいいベンチを見つけて腰を下ろす。

 その冷たさと言ったら、触れた尻から背中を突き抜ける槍のように鋭かった。

 体を震わせて慣れようとしていると、意識に介入する声がある。


「あれ、こんなとこでどうしたの?」


 その人は少年の悩みの種であり、なぜこんな日に会ってしまうのかと嘆息して横目に目を合わせる。

 防寒装備で固めた少女だ。目元が赤く、うつむいて歩いてきたのだろう、鼻先から雫が垂れている。

 

「……あなたこそ、場末ばすえのベンチになんの用かい」


 もこもこの耳当てが揺れた。つられて目でなぞる。

 彼女は眉を下げていた。


「まあ、ね」

「ふーん……はあ、話を聞かせてもらっていい」


 あまりにも明からさまで、少年は根負けした。

 雪を払ってずずずと横に移動し、空いた其処をぽんぽんと叩く。


「っくす、君はいつも聞いてくれるのね」


 少年は表情を崩さず、そっと目を逸らした。

 それがおかしそうに少女の笑みは深くなる。


「己はそれしかできないから」

「誰でもできることじゃないよ。人の話に耳を傾けて、言葉にできない悩みを分かる形にしてくれるのは」


 ぴん背を張って返す。


「努力次第だ、歳を経れば自ずと身につく能だ。己の得意じゃない」

「頑固ね」

「結構」


 少女が腰を下ろして一息、少年は見えない緊張の糸が張り詰めてきているのを感じ取っていた。

 このまま黙り込むか、なにか喋るべきか。いや、ときには沈黙して寄り添うという選択肢もあるのではないか。

 考える時間だけが増えていき、口の戸は重くなっていく一方で焦りは意外にも湧かなかった。

 傷に触れるのは痛い。常識であるが、心に至ってはその限りでないことを少年は知っている。言葉は塩にも麻酔にもなる。あえて触れずに自然治癒を待つ、というのは時間任せで据わりがわるい。

 ほうっと大きく息をつけば、滑り台のようになにも考えずとも言葉が出た。


「失敗、は適切じゃないか。振られたんだ」

「ほんと、オブラートに包むことはできないかなあ。このタイプライターは」

「ばか言うな、己は忠告したはずだぞ。あれは受け入れんとな。そも、現代いまの己らのような子供は明確な恋愛感情を抱ける方が少数派だ。あなたがなにを思おうと、自らの価値観を定められない人間はあやふやで信がおけん」

「……石頭」

「なんとでも言え」


 少年は目を閉じて頭を反らす。

 分かっていてもままならないな、そう思わずにはいられない。

 少女はニット帽で目元まで隠す。少年には今更ながら実感が湧いてきたように見えた。声をかける気も起きない。

 嗚咽は短かった。


「忘れろ、それが己にできるアドバイスだ」

 

 返答はしばらくなかった。代わりに深雪が街灯にちらほら少年の目を楽しませる。


「……できると思う?」

「己に聞くな。自分に問え」

「冷たい人」

「冷たければ世界が良く見える。褒め言葉だな」


 でも、と少年はベンチから立ち上がる。


「それはあなたがどうでもいいって言うわけじゃない。己の少ない友人だもの、幸福でいてほしいと願うのはおかしなことかい?」


 少女には少年の顔が見えなかったが、声の弾みから微笑んでいることくらいは汲み取れた。

 中学の頃からの付き合いだが、いつも不思議な人という印象が拭えない。

 超然とした様子にいたずら心がくすぐられる。あの牙城を崩してみたい。

 その一心で、興味本位を装って聞いてみた。


「君は、きみには好きな人とかいないの」


 少年が振り返る。あまりにも冷気のこもった瞳に、少女はとっさに身をすくませて目を逸らした。


「あなたがそれを聞くか」

「えっ」



 ばっと顔を上げるが少年は背を向けていた。

 意味がわからない、けれど聞き流していいような感じがしない。どうやってでも明確にすべき何かがある。

 少女は使命感に駆られた。

 顔を覆っていた手で少年の手首をつかみ、一気に引き寄せる。


「どうしてそんな顔してるの」

「眠いから」

「誤魔化さないで」

「……知らなくていい」

「教えて」


 教えて、少女は上気したまま少年を見上げる。

 

「付き合ってらんない」

「あっ」


 乱暴に少女の頭を撫でた少年は、ポケットからハンカチを取り出して彼女の目尻に残った最後の雫を拭った。

 

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